映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。
2022.11.28
新海誠作品を支える神話的構造――「ほしのこえ」から「すずめの戸締まり」まで(前編):よくばり映画鑑賞術
*編集部注・物語の結末まで明かしています。
新海誠は「異界」を描くことに並々ならぬこだわりを持った作家である。「ほしのこえ」(2002年)から最新作の「すずめの戸締まり」(22年)に至るまで、彼の監督作品はすべて「異界に赴いた登場人物がそこで何かしらの啓示を得る物語」と要約できる。
一口に「異界」といっても、さまざまなバリエーションが存在する。ファンタジー色の強いものもあれば、日常の延長として位置づけられるものもあるだろう。まずは新海作品における「異界」のありようを概観し、後半で「すずめの戸締まり」のケースを検討しようと思う。
「異界」で啓示を得る物語
新海作品の「異界」をざっと挙げてみると、「ほしのこえ」と「星を追う子ども」(11年)の「アガルタ」、「雲のむこう、約束の場所」(04年)の「塔」、「秒速5センチメートル」(07年)の「岩舟」、「言の葉の庭」(13年)の「新宿御苑」、「君の名は。」(16年)の「宮水神社(御神体のある洞窟)」、「天気の子」(19年)の雲の上の世界、「すずめの戸締まり」の「常世」がある。
「ほしのこえ」の「アガルタ」はシリウス星系にある第4惑星の名前として登場する。国連宇宙軍のメンバーに選抜されたヒロインのミカコは、タルシス人を追う大移動の途中で地球によく似たその惑星を訪れる。突如として降り始めた雨のなかで、彼女は8.6光年離れた地球のことを思い出し、幼なじみのノボルに思いをはせる。
「ほしのこえ」の「アガルタ」
感傷に浸るミカコの前に、彼女の姿に擬態したタルシス人が現れる【図1】。タルシス人は幼い頃のミカコ、大人になったミカコへと姿を変えながら彼女に話しかける。その話の内容から察するに、タルシス人の目的は、彼らの有する高度なテクノロジーを人類に託し、人類をより高いレベルへと導くことにあるようだ。
【図1】「ほしのこえ」新海誠監督、2002年(DVD、コミックス・ウェーブ、2006年)
ミカコは、アガルタという異界にあって人類の未来に関するビジョンを見せられたわけである。「高度な文明を擁する宇宙人が人類を次のレベルへと導く」というSF的設定は、「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督、1968年)にも見られるおなじみのものだ。20分強の短編ということもあり、「ほしのこえ」のなかでミカコや人類のその後が具体的に描かれることはないが、「異界」と「ビジョン」の描写はこれ以降の新海作品でさらに研ぎ澄まされていく。
提示されるビジョン
「秒速5センチメートル」の「岩舟」や「言の葉の庭」の「新宿御苑」は、ぱっと見は「異界」ではないように感じられるかもしれない。しかし、登場人物が非日常的な経験をする舞台となっており、まぎれもなく新海作品における「異界」の系譜に連なる場所である。
「秒速5センチメートル」の「岩舟」では、主人公の貴樹と明里が満開の桜を幻視する。しんしんと降りしきる雪のなか、2人がその下に立っている桜の木はじっさいには寒木の状態である。
映画の冒頭で、まだ東京に住んでいた小学生の2人は一緒に満開の桜を見ている。そのとき、明里は貴樹に向かって「ねえ、なんだか、まるで雪みたいじゃない?」と問いかけ、さらに、踏切越しに「来年も一緒に桜、見れるといいね」と言う。
しかし、小学校卒業のタイミングで明里が栃木の岩舟に引っ越したため、その願いが果たされることはなかった。中学生になった貴樹は春休み前の3月4日に、季節外れの大雪に阻まれながらも明里の住む岩舟に向かう。大雪のせいで遅々として進まない電車は異界を訪れるための試練そのものであり、立ち往生した電車のなかで貴樹の脳裏に去来する回想シーンは広義のビジョンと言えるだろう。
雪のような桜 「秒速5センチメートル」
2人が桜の木の下に立ったとき、明里が「ねえ、まるで雪みたいじゃない?」と言うと、その瞬間、画面に満開の桜の木が映し出される【図2】。雪を前にして「雪みたいじゃない?」と言うのは普通に考えればおかしいが、その瞬間の2人にとってそれは間違いなく桜の花びらだったのだ。満開の桜は、2人の切実な思いが幻想となって具現化したものなのである。
【図2】「秒速5センチメートル」新海誠監督、2007年(DVD、コミックス・ウェーブ・フィルム、2007年)
その後、2人はキスをし、貴樹はその瞬間に世界の真理に触れたような感興に打たれる。「永遠とか、心とか、魂とかいうものがどこにあるのか、わかった気がした」のである。
地下、冥府、黄泉の国
「ほしのこえ」で惑星の名前に採用されていた「アガルタ」は、もともと伝説的な地下都市の名称として知られているものだ。「星を追う子ども」ではその基本設定に従って、地下世界のことを「アガルタ」と呼んでいる。
劇中には、主人公の明日菜が国語の授業中にイザナギとイザナミの黄泉(よみ)の国の神話に触れるシーンがある。教師の森崎は、「恋人を取り戻すために生者が死者の国に赴く」という構造を持った神話や説話は世界中に散見されると述べ、具体的な場所の名前として「黄泉の国、冥府、ハデス、シャンバラ」、そして「アガルタ」を挙げる。
森崎の正体は秘密組織に所属する中佐であり、彼は亡き妻をよみがえらせるためにアガルタへの入り口を探している。明日菜は不意に自分の前に現れ、そして消えていったシュンという男の子の手がかりを求めて森崎の「冥府巡り」に同行する。
「すずめの戸締まり」で、すずめを導くのは、大学生の草太である©2022「すずめの戸締まり」製作委員会
「行きて帰りし物語」
異界(非日常の世界)を訪れた主人公が、そこで何がしかの試練を乗り越え、日常へと帰還する。これは「行きて帰りし物語」として知られる構造である。たとえば「浦島太郎」や「桃太郎」などのおとぎ話や、映画であれば「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督、01年)あたりをイメージしてもらえればわかりやすいだろう。「星を追う子ども」は典型的な「行きて帰りし物語」の話型を採用しており、同様の話型は「君の名は。」、「天気の子」、「すずめの戸締まり」に引き継がれている。
「君の名は。」の瀧は三葉を、「天気の子」の帆高は陽菜を、「すずめの戸締まり」のすずめは草太を取り戻すために「異界」を訪れる。三葉、陽菜、草太はいずれも日常的な世界から引き離された「死者」と化しており、その意味で、主人公が訪れる異界は「死者の国」となっている。
「君の名は。」では、三葉を取り戻すために瀧が宮水神社の御神体のある地下空間へと赴く。御神体のある場所は劇中で「カクリヨ(隠世)」、すなわち「あの世」であることが明言されている。瀧はそこで三葉の口嚙(か)み酒を飲み、彗星(すいせい)の壁画に導かれるようにして三葉の過去を幻視する。これが本作におけるビジョンである。(後編に続く)