「AIR/エア」© AMAZON CONTENT SERVICES LLC

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2023.4.17

顔を見せない〝最重要人物〟が主人公と映画を走らせる 「AIR/エア」とあの傑作:勝手に2本立て

毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。

髙橋佑弥

髙橋佑弥

もはや厳密な記憶はないが、おそらく中学に入学した頃、必要に迫られて最寄りの総合スーパー内にある靴店で買い求めたローファーに魅了されて以来、度重なる買い換えを繰り返しながら(どこかでモデルチェンジもなされたようで靴底の形状に変化があったが)今日に至るまでずっと同じ靴を履いており、すなわちスニーカーというものに全くといってよいほど縁がないままにこれまで年月を過ごしてきた――とはいえ長い付き合いに起因する愛着や、靴ひもを結ばずに「つっかける」ことができる利点はあっても、それ以上の感情を持ち合わせているわけはなく、要は靴というものに特段の思い入れがないのであるが――私でさえも、ナイキの「エア ジョーダン」という名称は知っており(長年人気の靴、くらいの認識ではあるけれども)予告を見て「ああ、あの靴の話か」と合点し、ほどよい成功物語を仕事帰りに1本ひっかけるつもりで、公開まもなく平日夜に出かけていったベン・アフレック監督作「AIR/エア」(2023年)が、期待をはるかに凌駕(りょうが)する美しい出来映えの映画で、いまだ驚きのただ中にある。



ないないづくしの美しさ

さて、なぜ長々とスニーカーに縁がないだの、靴に関心がないだの、「ない」話題ばかり――ひと付け加えるなら、バスケットボールにもあまり興味が持て「ない」のだが――しているのかといえば、これがないないづくしの映画だからだ。
 
要は、スニーカーやバスケットボールに興味津々である必要はないということである。なにせ、どちらも全然出てこないのだ。それどころか、約2時間の上映時間を備え、豪華なアンサンブルキャストをそろえていながら、本作にはひねった展開や凝った場面のバリエーションも皆無ときている。
 


では、そんな本作に何が残っているのかといえば、それは「会話」であり「移動」であるということになる。同業他社(アディダスやコンバース)に距離を離され、苦境に立たされているナイキのバスケットボールシューズ部門を立て直すため、本来なら複数人分の予算を投下してナイキ嫌いを公言している逸材マイケル・ジョーダンの契約を狙うイチかバチかの賭けに出る……という本作の、主人公がとる行動は、ひたすら誰よりも多く出向いて会話すること、あるいは電話し会話することである。


 

ひたすらに、移動し、会話する

映画を見る前から、われわれは結末=エア ジョーダンを知っている。主人公はナイキ嫌いの天才(ないし実質主導権を握る母親)の説得に成功するし、3人分の予算をジョーダンひとりに充てる奇策に難色を示すCEO(最高経営責任者)の説得にも成功する。それを分かって見ているのだが、分かっていたところで、本来それは説得力にはならない。われわれを納得させるのは、すべてが行動の結果として、理にかなっていると感じるからだ。
 
むろん熱意や発想は描かれる。けれどもそれ以上に主人公は絶えず動いている。相談する。会いに行く。電話をかける。ひたすら思いを行動へと転化させているからこそ、結果が付いてくる。より多く移動し、電話し、会話した者が、運命的な来訪、着電、演説の機会を手にする。そこにこそ感動がある。
 

影の中にいるディープスロート「大統領の陰謀」

けれど、ないないづくしの映画とはいえ、マイケル・ジョーダンを映さないのには驚かされた。きちんと登場するのに、である。最重要人物であるにもかかわらず、常にその顔はフレームの外にあって、見ることができないのだ。
 
理由はいろいろあるだろう。実際のジョーダンの記録映像を用いる事情もあって、そっくりさんを起用したところで面白さに寄与しないと判断したのかもしれない。だが、この貫徹ぶりにはどこか遊び心が感じられる。いちいち「意地でも見せませんから」と目くばせしているかのようなのだ。
 
そこでふと思い出したのが、アラン・J・パクラ監督作「大統領の陰謀」(1976年)。本作は70年代の政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」を追った記者ふたりを描いた「社会派実録映画」で、言わずと知れた名作だが、本作にも「見えない顔」が出てくるのだ。
 
さしたる手がかりもないなかで、主人公の新聞記者が頼るのが謎の内部情報提供者。ふたりはたびたび夜中に地下駐車場で会うのであるが、記者の顔が映されるのに対し、内部情報提供者の表情は柱の影に覆われて読み取ることができないのである。


「大統領の陰謀」© Warner Bros. Entertainment Inc.


行動=説得力

「AIR/エア」の主人公が、「見えない顔」のマイケル・ジョーダンにひたすら話を聞いてもらおうとするのと対照的に、「大統領の陰謀」の記者は情報を小出しにする内部情報提供者からひたすら話を聞き出そうとする。どちらも表情は読めない。こいつは何を考えているんだ?  おれの言葉は響いてるのか?
 
聞き手の表情が説明機能を帯びないがゆえに、われわれ観客は、主人公の語りを聞きながら、結末を知りながら、不思議と一緒にじらされることになる。いや、むしろ結末を知っていればこそかもしれない。どこで、なにが、決め手になるのか?
 
「大統領の陰謀」もまた、ひたすら移動と会話で占められた映画だ。手探りで取材を進める一方、上司の理解もなかなか得られない。どちらの映画も、敵も味方も同時並行で説得せねばならず、最後の最後でようやくGOサインが出る。行動がすべてを語り、説得力を担保するからこそ、題材に関心がなくとも支障がない作りになっている。
 
「大統領の陰謀」にいたっては、あまりに事態が複雑であるがために、関心の有無を問わず見ただけでは状況把握が困難なほどだ。それは、そこが問題ではないという何よりの証拠でもある。ある目的のために、愚直なまでに行動する個人こそが核心なのだろう。
 


おもえば、かつて「大統領の陰謀」を初めて見たとき、事件のことなど何も知らなかった。だから、むろん見たところで理解などできようもなかった。新聞記者が主人公の硬派で格好いい映画(なのだろう)というだけの動機で、軽い気持ちで見始めたのだ。そして、ひたすら駆けずり回る姿に、電話口でまくしたてる姿に、魅了された。
 
そして「AIR/エア」もまた、そんな映画だったのだ。
 
「大統領の陰謀」はU-NEXTで配信中。

ライター
髙橋佑弥

髙橋佑弥

たかはし・ゆうや 1997年生。映画文筆。「SFマガジン」「映画秘宝」(および「別冊映画秘宝」)「キネマ旬報」などに寄稿。ときどき映画本書評も。「ザ・シネマメンバーズ」webサイトにて「映画の思考徘徊」連載中。共著「『百合映画』完全ガイド」(星海社新書)。嫌いなものは逆張り。

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