国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。
2022.3.30
普段の感覚と芝居職人 吉田羊の俳優力
「すみません。 お願いがあります。 お手数をおかけしますが、もしお勧めの作品がありましたら、ご紹介していただけませんか」
あり得ない状況だった。プログラムブックを新学期の時間割のように開いて手に持っているこの人。 「プログラムブック」という単語からも分かるように、場所は2018年釜山国際映画祭の上映館の控室。同行取材のため待機していた筆者に声をかけた女性は、正式出品作の「母さんがどんなに僕を嫌いでも」のヒロイン、吉田羊であった。
トップクラスに属すると言える人物
とても気さくでまねできない向学心に驚嘆する一方、頭の中にはこの出会いが筆者を非常に緊張させる原因となった13年前のある出来事を思い出させた。筆者には若くして亡くなった母がいるが、ずいぶん前に縁を切られてから行ったことがなかった高知の母の実家を訪れた。小さくて素朴で、春になると月光で輝く木蓮(もくれん)が美しかった南向きの古巣は、コンビニになっていた。 隣のおばあさんによると母以外に子供がいなかった祖父母の晩年もあまり幸せではなかったという。高知から新宿に戻った筆者は、頭の中をリセットしたいという衝動を感じながら街角の劇場に入った。 プログラムはどうでもよかった。 ただ看板にフランスの喜劇作家・モリエールの名前が書いてあるだけで十分だった。 切実に笑いたかったが、東京スウィカの「ひねもすの煙」は筆者を泣かせた。
「母さん……」
母親役の女優が彼女だった。 今年2月で3年6ヵ月目を迎えた日本映画人インタビューの11回目のインタビュイー。 しかし、彼女はこうした13年前のビハインドストーリーとは関係なく、89人のインタビューの中で断然トップクラスに属すると言える人物になった。行われたインタビューでの一言は、みんなの胸を打つものだった。
「観客に嫌われるのが目標でした」
人生の傷痕に耐え切れず、一人息子まで虐待し、理性的には理解できても、感性的には共感しがたいキャラクターを完璧にこなした彼女のアプローチは、筆者の記名インタビューシリーズ(「洪相鉉のインタビュー」)が、当時までのページビューを数千単位で更新するきっかけとなった。 驚喜ばかりのインタビューはその7ヵ月後、「ハナレイㆍベイ」で全州国際映画祭に来た彼女と再会したときにも行われた。釜山国際映画祭の彼女の独占インタビュアーとして誇らしいのは、彼女が「母さんがどんなに僕を嫌いでも」での熱演やゲストトークでの謙虚で知的な姿などから、多くの韓国の国際映画祭関係者から日本映画の名優として挙げられていたからだ。
「芝居職人」としての心構え
ここに新しく知った事実がある。 彼女は2回目のインタビューでも釜山と同様に事前に質問文を求めた。 事務所からではなく、本人からの要求だった。 それは困難な質問を取り除くためではなく、まさに準備に万全を期するためだった。 実際、インタビュー中に彼女の前に置かれていた質問文には返事の要点や追加説明、参考事項などが自筆でぎっしりと書かれていた。 1時間も続いたインタビューで彼女は文学研究者以上に村上春樹を勉強し、監督以上にシナリオを分析し、自分が映っている全てのシーンを覚えているプロフェッショナリティーを見せつけた。 そうしてみると当然の帰結だったのだろうか。 全州への出品から劇場公開までつながった「ハナレイㆍベイ」を見て、筆者の韓国映画界の知人は皆「スクリーンで繰り広げられるモノドラマ。 他の誰でもない吉田羊の映画」と口をそろえた。それだけにとどまらず、韓国の《キネマ旬報》の《シネ21》も「『シークレット・サンシャイン』のチョンㆍドヨン(同作品でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞)を思い出させる」と彼女を絶賛した。
以上で書いた経験から、改めて実感するのは日本映画を支える「俳優の力」である。 そして、それを構成する要素は二つ。 シナリオを読んで作品性が高ければ自分の知名度を意識せず、たとえ海外で低予算映画に分類される作品(2020年韓国映画振興委員会の発表によると、韓国映画の総制作費の平均=宣伝費を含む=は、約1億8500万円余り)でもいとわない芸術魂と、日常ではスター意識よりも一般人としての感覚を維持しながらも、厳然たるフィルムインダストリーの「プロダクション」で与えられた報酬の水準をはるかに超える努力を傾ける「芝居職人」としての心構えだった(もちろん、このような「コストパフォーマンス」を当然視する風潮は警戒するべきだが)。
映画界の新春ラインアップのニュースが続々と伝わるこのごろ。 彼女の新作が見当たらず、少し寂しさを感じる。 しかし、悲しむよりは新しい人々の名前を備忘録に加えていきたいと思う。今この瞬間にも全国各地の舞台で数えきれないほどの次世代が育っているはずだ。