「私のトナカイちゃん」

「私のトナカイちゃん」© 2024 Netflix, Inc.

2024.10.01

エミー賞受賞も納得「私のトナカイちゃん」 常道ホラーと一線画すストーカーもの

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

勝田友巳

勝田友巳

2024年エミー賞はドラマ部門18冠の「SHOGUN 将軍」旋風が吹き荒れたが、リミテッド部門をにぎわせたのがNetflixの「私のトナカイちゃん」だった。コメディアン志望の男がストーカーにつきまとわれるスリラー、と一口にくくれない、二転三転しながら予想を超えて転がってゆく奥行きのある物語。Netflixでは上半期の視聴数8800万と大ヒット、エミー賞も席巻し、俳優陣の今後の活躍も間違いなさそう。主演したリチャード・ガッドが実体験を元に脚本も書いたという本作、魅力を探ってみた。
 

エスカレートする付きまとい

売れないお笑い芸人のドニーが、自分が働いているパブに入ってきた女性の打ちひしがれた様子に同情し、紅茶をごちそうした。機嫌を良くしたその女性、マーサはドニーに向かって、自分は弁護士でセレブを顧客に持っているなどと、自分のことをとうとうと話し続ける。でも一文無し。セレブ弁護士なのに? 明らかにウソだが、ドニーが優しく相手をすると、それ以来、マーサは毎日パブに顔を出し、ドニーの前に張り付いて一日中しゃべりまくるようになる。

マーサはどんどんエスカレートするのだが、ドニーはなぜか拒絶しない。コーヒーに誘われて断らず、気になって家まで後をつけていく。マーサは毎日大量のメールを送りつけ(下品な下ネタで、スペルは間違いだらけなのが一層不気味)、仕事を休むと勤め先で待ち伏せし、ドニーのSNSを渉猟して女性の写真にケチを付けまくる。ネットで検索すると、マーサはストーカー行為で有罪判決を受けていたことが分かる。それなのにドニーは、マーサから来たフェイスブックの友達申請に、承認ボタンをクリックしてしまうのだ。


拒絶しない主人公にイライラ、やきもき

ドニーは元カノのキーリーの実家に居候し、偽名とニセのプロフィルでマッチングアプリに登録、トランスジェンダーのテリーと恋に落ちている。マーサはそんなドニーの生活にズカズカと侵入し、荒らし回る。それでもドニーは、テリーに「なんで通報しないんだ」と聞かれて「彼女はちょっとヘンなだけ」とかばい、距離を置こうと宣言したものの、半べそで「私を好きじゃないの」と落ち込むマーサを見て、「年齢差があるから子どもが持てない」とごまかすのだ。それに、全く受けなかったドニーの舞台が、客席にいるマーサのおかげで大受けなんて場面もある。執拗(しつよう)に追うストーカーと必死で逃げる主人公、というスリラーの構図とは明らかに違う。

かくして見ている方は、思い込みと妄想を過激化させていくマーサのストーカー行為がどこまでエスカレートするのかという怖いもの見たさ、それに加えてどっちつかずの対応で自ら災難を招き入れるドニーにイライラ、やきもきしながらも真意を知りたくて、ついつい引き込まれてしまう。ドニーは優柔不断なのか過剰に優しいのか、ひょっとしてマーサを本当に好きになり始めているのか。と思わせて、第5話で物語は転換、ドニーの過去にさかのぼる。エディンバラの演劇祭で出会った脚本家に気に入られたのはいいものの、そこでとんでもない目に遭うのである。


人気上昇確実 リチャード・ガッド

等身大の隣人が理解不能の怪物と化す、ストーカーを題材とした作品はあまたあれど、ほとんどが被害者の視点に立っていた。プレーボーイが一夜の情事の相手に襲われる「危険な情事」(1987年、エイドリアン・ライン監督)、人気作家を助けた元看護師が変貌する「ミザリー」(90年、ロブ・ライナー監督)など、妄想にとらわれた相手のつきまといが命を脅かす暴力へと発展するまでが、実に恐ろしかった。

しかし「私のトナカイちゃん」では、ドニーは理不尽な暴力にさらされる一方的な被害者ではなく、マーサも理解不能な怪物とは描かれない。見ている方は、マーサを恐れながら共感し、ドニーに同情しつつ不信感を抱くという、はなはだ不安定な状況におかれることになる。後半でドニーのおぞましいトラウマが明らかになり、やがてストーカー事案に決着がついても万事スッキリとはいかず、最終回を見終えた後で人間の業にしんみり思いをはせるだろう。

英国のコメディアンであるリチャード・ガッドが自身の体験を元に舞台劇を作り、自ら本作の脚本、製作を担当。どっちつかずのドニーを微妙なさじ加減で演じて、エミー賞では作品、脚本に主演男優賞と3冠。マーサを演じたジェシカ・ガニングも、陽気で人なつこい中年女性と狂気を秘めたストーカーの両面を演じ、助演女優賞。そして、自身もトランスジェンダーというナバ・マウが、妖艶さと知性を漂わせるテリー役で、受賞はならなかったが助演女優賞の候補となった。いずれも今作を契機に、大化けが期待できそうだ。

Netflixシリーズ「私のトナカイちゃん」は独占配信中

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ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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