「マエストロ その音楽と愛と」©2023 NETFLIX, INC.

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2024.1.13

「マエストロ その音楽と愛と」音楽記者も納得 天才の素顔も活写

音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。

梅津時比古

梅津時比古

クラシックの演奏界は不思議にどの分野も「両雄並び立つ」。古くは、ピアノ界ではケンプとバックハウス、バイオリン界ではクライスラーとブッシュ、指揮界ではフルトベングラーとトスカニーニ……、おそらくそれによってクラシックファンのさまざまに分かれる好みを吸い上げてきたのだろう。

 
 

カラヤンと同時代の両雄

両雄並び立つと、耳目を集め、分野としても隆盛を誇る。「巨匠の時代」は半世紀前に終わったが、指揮界で最後の両雄となったのがドイツのカラヤンとアメリカのバーンスタイン。ブラッドリー・クーパーが監督として取り組んだ第2作「マエストロ その音楽と愛と」は、バーンスタインを伝記的な物語として映画化している。
 
カラヤン、バーンスタインとも見た目も魅力的で、自らが前面に出ることを好み、共に映像時代の走りを築いた。そのほかはことごとく対照的だった。きらびやかな音で輝かしい音楽を求めるカラヤンに対して(それは第二次世界大戦の敗戦国としての鬱屈を引きずるドイツからの脱出でもあったろう)、バーンスタインは内面的な音で精神性を求める(それは底の浅い軽少文化と言われた新興アメリカからの脱皮でもあったろう)。
 
帝王としてオーケストラに君臨するカラヤンに対して(ドイツ的な軍隊組織論でもある)、バーンスタインは若い人にも呼び掛けてオーケストラを共に創る(アメリカ的な民主組織論でもある)。カラヤンがドイツ伝統のベートーベン、モーツァルトを中心にすれば、バーンスタインは当時まだ顧みられていなかったマーラーを集中的に取り上げ、ミュージカルにも踏み込むなど幅広い。


 

演奏もクラシックもミュージカルも

実はバーンスタインの内部にも、両雄どころか幾人もの人間、才能がひしめいていた。若い頃にピアノでラベルなどを弾く映像が残っているが、そのテクニック、音楽性には驚愕(きょうがく)する。ピアニストとしても大家になったのは間違いない。また作曲家としては大ヒットした「ウエストサイド・ストーリー」は紛れもなくミュージカル界の代表作。一方、オペレッタ「キャンディード」はクラシック界でアリアがよく取り上げられる。クラシックとポップス、ロックを融合した「ミサ曲」もある。有り余る才能、多様な人間性が渾然(こんぜん)となっていた。
 
バーンスタインはユダヤ系アメリカ人(一方、カラヤンは若い頃、ナチに関わった)。若いバーンスタインの背景として描かれるこの映画の場面は事実に基づいており、バーンスタインはクラシック界で成功するために、ユダヤ系と分かるバーンスタインという名前をバーンズと変えるよう勧められる。意に介さないバーンスタインを描写することによって、後年、彼がユダヤ系作曲家のマーラーに熱を入れる道筋が見えてくる(映画としても絶妙の伏線)。同時に、強力なユダヤ系グループと関わりを持つことで成功する音楽界をほのめかしてもいる。
 
しかし、バーンスタインはユダヤ主義でもない。やはりドイツ名を使わなかったユダヤ系の作曲家、メンデルスゾーンにはあまり関心を示さなかったことからも、彼がなによりも自分の音楽的感性に忠実であったことが分かる。映画はそこのところもうまく描く。たとえば、クラシックからは「軽い音楽」とみられがちなミュージカルに、「好きだから」と没入するバーンスタインを、後に妻となるフェリシアとの交際に絡めて手に取るように見せる。この若いころの描写がモノクロ画面になっているのも写真芸術のようで、効果的。それがゆえに、後半のカラーも絵画のように引き立つ。


 

バイセクシュアルにして妻フェリシアに深い愛

バーンスタインは女性も男性も愛するバイセクシュアルとしても知られていた。映画はそこにも臆するところなく踏み込む。堪忍袋の緒が切れる妻フェリシアとの壮絶な夫婦げんかは、まるで現場をのぞいているような迫力。娘も悩む。だが、フェリシアはバーンスタインが魂を込めて演奏したイングランドの大聖堂でのマーラー「交響曲第2番『復活』」の公演に行く。この「ゆるし」の場面でのフェリシア役のキャリー・マリガンは名演と言うしかない。
 
そのフェリシアががんと分かるとバーンスタインは重要なオーケストラ公演をキャンセルして看病する(1978年の日本公演はそのためキャンセルとなった)。構想15年、自らバーンスタイン役を演じたブラッドリー・クーパー監督「マエストロ」は、音楽的伝記に見えて実は「愛情物語」でもある。


映画、音楽、そして詩

それにしても、これは映画なのだろうか(伝記的にも脚本=ジョシュ・シンガー=がしっかり事実を押さえている)、音楽なのだろうか(全編、バーンスタインの曲に加えてマーラーなどの名演があふれる)。詩、または絵なのだろうか(水が流れるようなカット割りが素晴らしい)。
 
いずれにせよ、芸術の創作を突き詰めながら、決して難解にならずにひきつける新しい美に違いない。作品の対象がアメリカの生んだ天才的な音楽家、レナード・バーンスタインであるなら、この映画の創作自体も、俳優、演出、音楽、メークなど、いくつもの天才的な才能が結集したまさに最高度の芸術となっている。

ライター
梅津時比古

梅津時比古

うめづ・ときひこ 1948年生まれ、毎日新聞特別編集委員。ドイツ留学を経て85年から学芸部。専門は西洋クラシック音楽。著書多数。なかでもシューベルトの研究書は日本人として初めてドイツで翻訳・刊行されている。桐朋学園大学前学長。現在、同大学特命教授。早稲田大学招聘研究員(音楽学)。

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