「ショウタイムセブン」

「ショウタイムセブン」©2025『ショウタイムセブン』製作委員会

2025.2.11

圧巻!「ショウタイムセブン」阿部寛の存在感 魅惑!「テロ、ライブ」ハ・ジョンウの話術

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

筆者:

洪相鉉

洪相鉉

「黙れ、お願いだから」。その瞬間、観客は爆笑した。誰にも負けないユーモア感覚の持ち主でありながら、ジョルジュㆍビゼーの同名オペラをリメークした「カルメン」ではドンㆍホセを演じるなど、舞台ではそのセンスを披露する機会を得られなかった彼の、喜劇役者としての持ち味がさく裂した瞬間だった。


大学公演で観客を爆笑させた発声法

2003年11月、学科創設45周年記念の定期大公演「我が家の楽園」(原作は同名タイトルのアメリカ映画)。その後、河正宇(ハㆍジョンウ)と呼ばれるようになる、筆者の中央大学演劇映画学科の1年先輩、金聖勳(キムㆍソンフン)の話である。

極めて単純なこのセリフに人々が大笑いした理由は、突然現れるFBI(米連邦捜査局)要員に扮(ふん)した彼の、「状況に合わない無愛想な口調」のためだった。彼の演技で最も重要な比重を占めるのは発声だ。感情に大きく振り回されないため、むしろ周辺の状況とはアンバランスに聞こえる口調。筆者が共演した「オセロ」のような悲劇では特に問題にならないが、喜劇の場合その意外性がスプリングのように跳ね返ってしまう。


「ショウタイムセブン」©2025『ショウタイムセブン』製作委員会

「テロ、ライブ」

このような「河正宇話術」が再び輝き、彼の演技人生のターニングポイントを作るのに決定的な役割を果たしたのが、彼の代表作のひとつである「テロ、ライブ」(2013年、以下「原作」)である。新人監督金乗佑(キム・ビョンウ)のオリジナル作品にもかかわらず、我が学科出身映画人の「ゴッドファーザー」でもあった、製作者の李椿淵(イㆍチュンヨン)がすべてを懸け、奉俊昊(ポン・ジュノ)監督が米国で撮った「スノーピアサー」の10分の1の製作費にもかかわらず、ボックスオフィスで対等な競争を繰り広げる偉業を成し遂げたのだ。

ただし、原作の完成度は河正宇一人で引き上げたわけではない。まず、空前絶後のシナリオの導入部からラストシーンまで、コスパを重視しながら観客を絶えず駆り立て、「密偵」(16年)や「神と共に」シリーズ(17~18年)など韓国映画を代表するブロックバスターの製作に参加することになった、尹大元(ユンㆍデウォン)の特殊効果に言及せざるを得ない。

ここに加わるのがスリラーの緊迫感を極大化させたキャストのチームワークだ。「報道局長」役の李璟榮(イㆍギョンヨン、日本では「インサイダーズ/内部者たち」で知られている)と、23年に亡くなった李善均(イㆍソンギュン)の妻で韓国演劇界の個性派俳優、「主任(刑事)」役の全惠璡(チョンㆍヘジン)は、中盤以降、ダレがちな主人公の演技に活力を吹き込んだ。登場場面は少ないものの、主人公の元妻の「女性記者」役で学生時代から蓄積してきた潜在力を爆発させ、以後「ザㆍキング」(17年)、「非常宣言」(23年)などでワールドスターに飛躍することになる、我が学科の後輩の金素辰(キムㆍソジン)も忘れてはならない。


役者の演技が光る「ショウタイムセブン」

筆者がここまで原作のディテールについて書いたのは、原作のこの全ての長所が、やりすぎの印象さえ与える特殊効果という「人工甘味料」を取り除き、役者の演技で勝負する作品として生まれ変わった「ショウタイムセブン」に発展的に継承されているからだ。

俳優陣の演技は凝縮されたパワーを爆発させ、客席を掌握する。例えば原作で悪人だった報道局長は吉田鋼太郎が演じる「プロデューサー」に変わり、善悪の境界を行き来しながら時には緊張を高め、時には笑いを誘う立体的なキャラクターに変貌している。

原作より比重が増えた一方、主人公との関係は「同僚」にとどまり、彼の肯定的な側面を強調する女性記者(井川遥)もそうだ。安藤玉恵が意外なカリスマ性を披露しながら警視庁刑事として登場するのも興味深く、何より面白いのは、原作には存在しなかった、竜星涼が演じる後輩アナウンサーだ。最初はありふれた局アナのように見えた彼の人物像は、時間がたつほど欲望をあらわにし、躍動感を帯びる。


「ワイドショー」は日本ならではの親密さを築いた

そして、すべてをリードしながら、全体の調和を重視する交響曲を思わせる原作に対し、「ショウタイムセブン」を個性あふれる協奏曲にしているのが、ドラマ、映画の「トリック」「新参者」シリーズという人気作品を誇る、名実共に日本映画の大俳優、阿部寛のカリスマ性であろう。「インクレディブル」という修飾語が似合う彼の存在感は、韓国語で聞けば人によっては違和感を覚えるだろう原作の主人公の乱暴な言い方をしなくても、観客の緊張感を維持しながらドラマに集中させてくれる。

さらに、原作の特殊効果に負けないくらい(インド版さえ原作の物量攻勢を引き継ぐアプローチを選んだが)、日本ならではの強みを見せているのが、ワイドショーという舞台の設定だ。良くも悪くも強い影響力を持つワイドショーの特性が、「ショウタイムセブン」では面白さの要素として活用されているのだ。日本の地上波放送局は、1億2000万人の人口規模の国勢にもかかわらず、他国では想像もできないほど視聴者と親密な関係性を築いている。考えてみよう。デパートの飲食コーナーのイベントを報じただけで、消費のトレンドにまで影響を及ぼす地上波放送局が日本以外にあるだろうか。


テレビと映画の境界崩す相互参加型スリラー

「ショウタイムセブン」に夢中で没頭しながら「この途方もなく面白いワイドショーは何だろう」と感嘆していると、二つのことが頭の中に浮かんでくる。まずこの映画は日本映画で、しかもこの映画の監督である渡辺一貴はテレビコンテンツの強みを誰よりもよく把握している専門家ということ。

テレビというメディアが過度に強い力を持っており、映画の影響力が相対的にそれに及ばないために、いろいろと残念な結果を招いている日本的現実を強みとして活用し、スリラーであると同時に誰もが参加できるインタラクティブサプライズショー。映画館に行こう。何も考えずに客席に座っていれば、テレビと映画の境界線は崩れてしまうだろう。作品のクライマックスに、スタジオに押し寄せる興奮の瞬間とともに。

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