1970年代のソウル・明洞=毎日新聞社

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2024.7.11

涙、鳥肌……選曲センス抜群「密輸 1970」の〝聴きどころ〟 いとしの韓国大衆歌謡

誰になんと言われようと、好きなものは好き。作品、俳優、監督、スタッフ……。ファン、オタクを自認する執筆陣が、映画にまつわる「わたしの推し」と「ワタシのこと」を、熱量高くつづります。

鈴木琢磨

鈴木琢磨

ああ、もうだめだ。こんな映画を見てしまったら、歌わずにいられない。そう、7080(チルゴンパルゴン)。韓国で500万人を動員した海洋クライムアクション「密輸 1970」がとびっきりゴキゲンなのは、ふんだんに盛り込まれた歌だ。歌。それも大衆歌謡だ。この夏もまたソウルへ旅立つけれど、わがいとしの歌たちにスクリーンで再会させてくれたお礼?に思いのたけを吐き出しておこうか。


一獲千金のドタバタ 歌に乗せ

7080は1970~80年代のはやり歌のこと。とりわけ私が偏愛するのは学生のころ旅したソウルのちまたに流れていた70年代の歌だ。国産車ポニーのタクシーで、連れ込み宿ふうの怪しいホテルで、夜な夜な真露をあおった路地裏のポジャンマチャ(屋台)で。なにせ朴正熙率いる悪名高き軍事独裁政権ゆえ、暗いイメージを抱きがちだが、ほこりっぽい首都はめまいがしそうなほど活気にあふれていた。だが、明洞だってガム売り少年はたくさんいた。まだまだ貧しかった。そんな時代に歌が未来だった。希望だった。まぎれもなく韓国歌謡の全盛期だったのだ。

海女たちを乗せた船が漁場へ向かうオープニングにチェ・ホンの「ゆすら梅」がテンポよくかぶさる。♪信じていいの あなたの心 流れる雲じゃないでしょう 信じていいの あなたのひとみ 雲間の太陽じゃないでしょう……。トロット(演歌)を軽快なゴーゴーのビートにのせている。一獲千金をたくらみ、だまし、だまされ、ドタバタ悲喜劇の序曲にふさわしい。漁港では朴正熙作詞・作曲の「セマウルの歌」も聞こえてくる。♪夜明けの鐘が鳴ったよ 新しい朝が明けたよ きみもぼくも起きて セマウル(新しい村)をつくろう……。遠くでモクモクと黒煙をあげる工場の煙突が「漢江の奇跡」の影を象徴している。来年は日韓国交正常化60年だ。


「密輸 1970」© 2023 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & FILMMAKERS R&K. All Rights Reserved.

音楽監督チャン・ギハ 名曲ぎっしり詰め込んで

パク・キョンヒの「身を寄せるところはどこかわからないけれど」は鳥肌が立った。78年の東京音楽祭で銅賞を受賞、韓国きってのディーバ、ペティ・キムもカバーする名曲だが、日本ではほとんど知られてはいない。♪行き場もなく 去らねばならないのか 歓迎してくれる人もいないけど 夢の道を行く 未練などない 身を寄せるところはどこかわからないけど 私は寂しくなんかない いつかは立ち去るその日が 早くきただけだから……。映画で2度、使われている。海女たちを密輸に引き込む元海女のチュンジャが、カリスマ密輸王と大勝負に出ようとするシーン、そしてエンドロールにも。

この映画の封切りにあわせ、公共放送KBSの人気歌番組「不朽の名曲」は70年代の宝物ソング特集を組んでいた。「身を寄せるところ……」は韓国を代表するミュージカル俳優、チェ・ジョンウォンが熱唱し、共演する歌手や観客の目に涙がにじんだ。

どん底からはい上がり、波乱の現代史を歩んできた世代の多くはチュンジャみたいな大勝負こそできなかったにしても、イチかバチか、ヒリヒリする体験はしているはずだ。エンドロールでわが人生を振り返り、その余韻を引きずったまま、夕暮れの酒場へ急いだに違いない。

ほかにも上等のタイ焼きのごとくアタマからシッポまで名曲ばかり詰まっている。キムトリオ「沿岸埠頭」、ポールシスターズ「君よ」、ソン・デグァン「日が昇る日」、イ・ウナ「夜汽車」、サンウルリム「私の心に絨毯を敷いて」、キム・チュジャ「無人島」……。選曲はリュ・スンワン監督だが、初めて音楽監督をまかされた天才シンガー・ソングライター、チャン・ギハが無類の7080ファンでなければ、あのころのにおいのするテーマ曲など生まれっこなかっただろう。


消える〝7080〟へのレクイエムか

こんなひとコマがあった。漁港で海女たちが退屈な日々の仕事をしていると、ハン・デスの「ある日の朝」がけだるく響く。♪ある朝 目を覚ましたら 気分がおかしく 時間は11時半 かったるく 焼酎を1杯 焼酎を2杯 焼酎を3杯……。とかく「パーリ、パーリ(早く、早く)」とせき立てる社会に異議を申し立てているのだ。ハン・デスはアメリカ帰りのフォークロックの大御所。チャン・ギハは彼にあこがれ、ユーチューブでぶらぶら、まったり昼酒紀行をやったりしている。ソウルを離れ、田舎町の一膳飯屋で。K-ポップが地球を席巻していくさまに戸惑いながら、ホンモノの大韓ミュージックを探し続けているんだな、と私はにらんでいる。

ソウルはいま、あっちこっちで大規模再開発が進む。目抜き通り、鍾路を歩いてみてほしい。ついこのあいだオープンしたこじゃれたカフェがもう閉店だ。よく見れば、70年代に建ったオンボロビルに厚化粧をほどこしただけの危なっかしいビル、明洞でチュンジャが毛皮を見せびらかしていたころのビルだ。まもなくクンチョンの喫茶店「鍾路茶房」が「ニュー鍾路茶房」に変身したように、ソウルはニューソウルになるだろう。リアルな7080は消える。仕方ない。映画「密輸」はそんな韓国へのレクイエムなのかもしれない。

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ライター
鈴木琢磨

鈴木琢磨

すずき・たくま 毎日新聞記者。1959年、滋賀県生まれ。たまにテレビにも顔を出す平壌ウオッチャーだが、韓国トロット(演歌)好き。話題の韓流映画はたいていソウルで見た。
 

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