ドンバス©︎MA.JA.DE FICTION  ARTHOUSE TRAFFIC  JBA PRODUCTION  GRANIET FILM  DIGITAL CUBE

ドンバス©︎MA.JA.DE FICTION ARTHOUSE TRAFFIC JBA PRODUCTION GRANIET FILM DIGITAL CUBE

2022.5.23

いつでもシネマ:「ドンバス」ウクライナ東部 独裁政権下の不条理描く

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

政治権力とは何でしょうか。つきつめていえば、権力とは、相手がそんな行動を取る意思がない場合であっても、相手に何らかの行動をさせることとして定義することができるでしょう。いや、厳密に言えば、行動させるだけでなく、何らかの行動をさせないことも含まれますね。
 
でも、普通私たちはそんな学者の定義にかかわりなく生きている。法の支配がある限り、権力行使には制限が加えられているからです。警官、あるいは官僚には相手に行動を強いることが認められていますが、それはあくまである範囲の中でのこと。法によって認められた範囲を超えた権力の行使は違法ですし、裁判に訴えることができるわけです。無制限な権力行使は法の支配の対極に立つものだと言っていいでしょう。

プロパガンダ感じさせず現実の手触り伝える


 

法の支配を期待できなくなったら

 
でも、独裁体制のもとでは、法の支配を期待することはできません。独裁者が法を使って支配することはあっても、その独裁者が法によって行動を制約されることがないからです。だから極端に言えば、独裁のもとではいくら無茶なことでも強制することが可能になってしまう。かつてアルベール・カミュが戯曲「カリギュラ」で描いたように、無制限の権力は不条理そのものです。
 
冷戦時代のソ連や東ヨーロッパでは不条理な権力の行使が日常のように行われていましたが、ウクライナ東部のドンバス地域では、そんな不条理がいまの世界でも行われています。


 

占領社会の理不尽なエピソード

2022年にロシアがウクライナに侵攻する8年前の14年、マイダン革命によってヤヌコビッチ大統領が失脚しました。その後ロシアはクリミアを併合し、さらにロシアの支援のもとで、ウクライナ東部のドンバス地域でウクライナからの分離を主張する勢力がウクライナ軍と武力衝突を起こします。
 
このドンバス戦争のさなかに、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国という二つの国家が独立を宣言します。あくまで自称共和国であり、国際的に承認されてはおりません。後押ししたロシア政府でさえ、22年2月まではこの二つの政府を承認していませんでした。
 
ドンバスに住んでいる人からすれば、自分たちの承認なしに突然新しい権力のもとに置かれてしまった。もちろん法の支配に服するなんて権力じゃありません。今回ご紹介する映画「ドンバス」は、そんな不条理な権力のもとに置かれた社会を、短編小説を並べるようにいくつものエピソードを通して描いた作品です。いまウクライナというと戦争のことにどうしても目が向きますが、ここで紹介されているエピソードの焦点は、戦場よりも占領支配における権力の不条理に置かれています。


 

SUVを略奪する警察

ひどい話ばかりが続きます。最初のエピソードは、いまでいうフェイクニュース作成の現場。カメラに向かって爆発音を聞いて出てきたら人が死んでいたなんて言うんですが、この人たち、化粧室でメークした後に指示を受けて現場にやってきたわけで、これ、ぜんぶウソ、やつらはこんなことをしているというニュースをでっち上げているんですね。
 
この後も不条理なできごとばかり。ウクライナ側から東部占領地域にやってきた住民は検問所でバスから降ろされ、検問と称して上半身を裸にされますし、ドイツ人のジャーナリストはナチだと決めつけられるし、もう散々。笑えないブラックユーモアみたいなエピソードが続きます。
 
なかでも印象的なのが、車を取り上げられてしまう話です。なくなったスポーツタイプ多目的車(SUV)を警察が見つけたというので持ち主が警察本部にやってきたんですが、車を返してもらうどころか、この車を警察に委託するという委任状に署名しろと求められる。それじゃ略奪じゃないかと訴えると、ゴリ押しのように署名を強制された上、さらに10万ドルの罰金も命じられてしまいます。
 
車を返してもらえると思った人が、車を奪われることに怒り、怒ってもしょうがないとあきらめ、不条理を受け入れてゆく表情の変化のなかに、何でもかんでもやりたい放題の権力を前にした怒りと絶望が表れています。


 

感情移入拒む冷えた描写

どのエピソードをとっても不当な権力行使ばかりです。でもこの映画は、怒りや悲しみのような感情を出すことがない。見ているこっちはひどい目にあった人には怒ったり悲しんだりしてもらいたいし、被害者と一緒になってこんなひどいことがあっていいのかなんて怒りたくなるのが人情ですけれど、映画は感情移入を拒むかのように淡々と進みます。
 
まず、キャラクターをクローズアップにしない。全体を映すような大きな構図のまま、カットを割ることもクローズアップもせず、映像が流れてゆく。何が起こっているのかも説明してくれませんから、感情移入のしようがありません。終始一貫して感情を排除するので、観客を遠ざけてしまうような冷たさ。冷えた映画といえばいいでしょうか。
 
しかも起承転結のようなドラマにはなっていないので、観客は、ジグソーパズルのピースのような現実の切れ端を見せられるばかりです。ただ、エピソードはそれぞれ独立しているとはいえ、エピソードにまたがって繰り返し登場する人もちょっと出てきたりするので、そこがいわば継ぎ目のようになって、一見するとバラバラのエピソードが結びつき、大きな現実の姿がゆっくりとわかってきます。
 
ジグソーパズルのピースを結びつけ、ドンバスの現実を頭の中に再構成してゆくわけですね。監督のセルゲイ・ロズニツァはドキュメンタリー作品で知られる人ですが、ぶっきらぼうに断片を投げ出すかのような表現によって、怒りや悲しみを表に出すことなく、ドンバスの現実の手触りを伝えることに成功しています。


 セルゲイ・ロズニツァ監督©️Atoms & Void


不正に立ち向かう強い意志

映画は冷静ですけれど、ロズニツァ監督は熱い人です。ロシアのウクライナ侵攻のあと、ヨーロッパ映画アカデミーの声明がいかにも不十分なのに失望して、このアカデミーから脱会する。他方、ウクライナ映画アカデミーがロシア映画をボイコットするとそれにも反対してこのアカデミーからも脱会しています。ロシアの映画界にも戦争に反対している人がいるからです。プーチン政権の犯罪を告発しながらロシア映画の排除にはくみしないという、いろいろ非難を浴びそうな難しい立場に自分を置いている人です。
 
戦争の暴力と不正の告発は、それ自体がプロパガンダに陥ってしまう危険をいつも抱えています。戦争反対がイデオロギーになってしまうわけですね。でもこの「ドンバス」は、プロパガンダを一切感じさせない映画です。見たときにはそこが不思議でしたが、ロズニツァ監督の活動を知って、不条理に屈しない監督の意志があるからこそプロパガンダにならなかったんだとわかりました。
 
不条理について省察を加えたアルベール・カミュが政治党派を排除しつつナチス・ドイツによる権力行使に立ち向かっていったように、ロズニツァ監督はナショナリズムに溺れることなくドンバス侵攻の不正に立ち向かっている。その強靱(きょうじん)な姿勢に敬意を表します。
 
5月21日~6月3日、東京・シアター・イメージフォーラム。6月3日から東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。