戦艦ポチョムキン

戦艦ポチョムキン

2022.3.09

「戦艦ポチョムキン」 1925年 セルゲイ・エイゼンシュテイン監督

ロシアとの激しい戦闘が続くウクライナ。ニュースでは毎日、町が破壊されていく様子が映されています。映画は無力かもしれませんが、映画を通してウクライナを知り、人々に思いをはせることならできるはず。「ひとシネマ」流、映画で知るウクライナ。

勝田友巳

勝田友巳

映画史に残るオデッサの階段


「戦艦ポチョムキン」なくして今の映画なし。といっていいくらい、重要視されている1本。映画草創期の1920年代、ソ連で「モンタージュ」理論、つまり物語と感情を伝える編集の技術を理論化する動きが起きた。
 
エイゼンシュテインもその論争に加わった1人で、「戦艦ポチョムキン」はその効果を劇的に実証した作品だ。階段を落ちていく乳母車の場面は、ウクライナ南部の港湾都市、オデッサで撮影された。あの階段、今でも残っているそうだ。しかし海運の拠点であるオデッサは、ロシアの侵攻にさらされている。
 
「戦艦ポチョムキン」はセルゲイ・エイゼンシュテイン監督が、第1次ロシア革命20周年記念映画としてソ連当局から製作を委託された。ロシア帝国の圧政に対する革命運動が高揚し、1905年1月、大規模なデモ行進に軍隊が発砲。
 
この事件をきっかけに、ロシア帝国が崩壊に向かった。ポチョムキン号はロシア海軍の中から反乱を起こした実在の軍艦だが、エイゼンシュテインはこの事実を劇的に脚色し、英雄的な物語に仕立てている。
 

上官の横暴に反乱起こす兵士たち

オデッサ沖に停泊していたポチョムキン号の水兵が、甲板につるされた牛肉にウジがわいていることに気づく。上官に待遇への怒りをぶつけるが相手にされず、腐肉の入ったスープが供される。兵士たちは抗議の意を示して誰も手を付けない。やがて兵士たちは甲板に呼び出され、艦長はスープに不満を表明した者に銃殺刑を言い渡す。しかし兵士たちは命令を無視して艦長らに立ち向かい、艦を制圧した。反乱はオデッサの町に伝わり、市民はポチョムキンと同調することを決めた。しかしロシア帝国軍は、集まった市民に向けて発砲する。
 

ダイナミックなカメラと的確な編集

モノクロ、サイレントのこの映画でエイゼンシュテイン監督は、ポチョムキン号の艦内で、兵士たちの間に不満と怒りが満ちていく過程を的確な構図とテンポ良い編集で見せていく。
 
そして後半、軍隊が広場に集まった群衆を発砲しながら追い立てる6分間の階段の場面は、映画のクライマックスだ。ダイナミックなカメラの動き、兵士の非人間性を強調した構図、隊列を組み銃を構えて階段を降りてゆく帝国軍兵士と、群衆の恐怖と怒りの表情を交互に見せる編集と、今見ても緊張感と情感にあふれている。
 

親日家のエイゼンシュテイン 漢字が着想の原点?

エイゼンシュテイン監督はこの作品で一躍世界に名を知られ、モンタージュ理論は映画製作の基礎となる。しかしエイゼンシュテイン自身は、ソ連を独裁的に指導したスターリンの思想統制によりしばしば干渉され、思うような映画作りを阻まれた。
 
親日家でもあり、文字を組み合わせて意味を作る漢字の成り立ちが、バラバラの映像の組み合わせで感情を生み出すモンタージュ理論に影響を与えたとされる。
 
オデッサ階段の乳母車の場面は、ウディ・アレン監督の「ウディ・アレンのバナナ」(1971年)、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」(1987年)など、多くの映画でオマージュやパロディーとして引用されている。

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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