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2024.4.22
音声ガイド制作の仕事「悪は存在しない」私は分からせる係ではなく、見たままを描写する係
映画の音声ガイドとは
私の職業は、映画の音声ガイド制作です。
音声ガイドとは何かといいますと、映画を見るお客さんの中に、視覚障害のある方、つまり視力が弱かったり、視野が欠けていたり、全盲の人がいたりした時に、映像だけで見せている部分を把握できず、リラックスして楽しめないので、鑑賞ツールとしての役割を担っています。昨今では目が見えている晴眼者もリピート鑑賞の際に、使ったりしているので、文字通り、映画鑑賞ツールですね。
ロードショー中の映画で、音声ガイドが準備されているものに関しては、技術のお陰でお客さん自身のスマートフォンで自動同期アプリを利用して、イヤホンから音声ガイドが聞ける仕組みになっています。
音声ガイドの制作手順は、原稿を書いて、監督などに確認してもらい、スタジオでナレーターに読んでもらって収録する、ということになります。ここでは、私が音声ガイドの制作をした映画について書いていこうと思います。なぜなら、ガイド原稿を書くために、映画を何度も何度も再生し、さまざまな角度から確認をしながら、映画を読み解いていくので、その視点からの何かを書いてみたら面白いかもしれないと思ったからです。
記念すべき第1弾は、「悪は存在しない」。音声ガイド制作の工程と共に書いてみようと思います。まず、作品を試写室で拝見しました。私は初見の時は、音声ガイドを書くということは一旦置いておいて映画を見ます。のちのち、原稿を書く際に、自分の心の動きを思い出すのに役立つので、一鑑賞客として見る時間を大切にしています。
さて、どう書きましょうか?
印象に残ったのは、冒頭の映像、学童の子どもたちの登場シーン、鹿の水飲み場、車のヘッドライト、車中で会話するシーンでの主人公の顔・・・・・・。
これらのシーンに来た時には、自分が見た時に感じた「何か」のようなものを共有できるよう気をつけたりします。エクセルで原稿を書きますが、いざ、映像とエクセルを立ち上げた時に、冒頭のあの映像。さて、どう書きましょうか・・・・・・?
だいたいの映画は初めの20分くらい、目が見えていようといまいと、多くの人が頭の中で情報を整理しながら見ています。この作品に関しては、しばらく戸惑いながら見たのですが、だんだん音楽の素晴らしさにひき込まれ、植物って一つとして同じ造形はないんだなーとか、あれれ? 見上げてると思ってたけど下りてってるのかも? むむむ? およよ?
実家の裏山を歩くとパキパキ音がして楽しかったな。
山に囲まれた自分の田舎がイヤで東京に出たけど、こういう景色はいいなー
とかなんとか自分と対話していたら、ふいに、足音が聞こえてきて、この景色を見上げている人かな?と思う。なので、音声ガイドの原稿でも足音には音声ガイドをかぶせないように注意しました。
おもしろい映画とはどういうものですか?
ちょっと話はそれますが、皆さんはどのようにご自身が映画を観ていると思いますか?
映画においての「おもしろい」は、どこに重きを置いてとらえているでしょうか?
私にとって1つ、はっきりしているのは、映画は視覚だけで観ているものではない、ということ。そのことを音声ガイド制作を通じて知ることができたのは宝です。
この作品においては、まず、冒頭。あの映像体験、もしくは音楽体験か、あれがよかった。あと、子ども達が初めて出てくるところの映像と音楽のバランス。これは観てほしい。もっと沢山ありますが、1つの映画の中に、「いいな」と思える部分が1つでもあれば御の字だというのが持論なので、全然おもしろくなかった、と感じた映画にも1つくらいは、ぐっときた箇所がなかったか、反芻する派です。
自分では分かった気になっている部分
音声ガイド原稿を書き始めて分かった…というのが正しいかは分かりませんが、自分の中で分かったような気になったのは、主人公の巧もずっと「分からない」を抱えながら生きているのではないだろうか、ということでした。
「いや、単純に分からないんだ」という巧のセリフがありますが、彼が極端に言葉が少なくて、無表情なのは、心の中で何度もこの言葉をつぶやいているからじゃないかしら、と思うようになりました。そして、それがそのままラストの行動にも繋がったように思え、起きていることは案外、単純だったのかもしれない、とさえ思えてきました。さて、どうでしょう?
見たままを届ける係
音声ガイドの書き手である私が、このくらいふわっとしたまま書いていて大丈夫なのか?と思われるかもしれませんが、私は「分からせる係」ではなく、「見たままを描写する係」なので、大丈夫。もちろん、作品を間違って捉えた状態で、「見たまま」を書いてはいけません。そのため、収録前に、「モニター検討会」と称しているのですが、視覚障害のある方と監督やプロデューサー、映画製作スタッフと原稿をチェックするようにしています。今回も濱口監督に参加していただき、モニター検討会を実施しました。
修正した箇所
そこで、モニターさんに描写してほしいと言われた箇所がありました。
雪に覆われた湖に凍ってない部分があり、それを巧が「鹿の水飲み場」と娘に紹介するところです。その水面に景色映り込んでいるのですが、最初の原稿では以下のようになっていました。
雪に覆われた湖。
対岸のほとり近くに丸く凍っていない部分がある。
(中略)
水面が鏡のように、ほとりを映している。
しかし、モニターの女性から、水面には何が映っていたのか知りたいと意見をいただきました。
この意見はある程度想定できていましたが、中略しているところに別の情報を入れたことで
尺(ナレーションを入れる隙間)がなくなったので、ほとりを映している、とだけにしていた箇所でした。再度この場所が出た時にガイドするから、勘弁してという気持ちで。
でも、モニター検討会後に再検討し、演出ではない自然が見せている風景を説明しようと思い、
以下のように書き直しました。
雪に覆われた湖。
対岸のほとり近くに、丸く凍っていない部分がある。
(中略)
水飲み場の水面が鏡のように、枯草と雪の斜面を映している。
視覚障害のあるモニターさんの感想
参加した2名とも、考えさせられたり、答えがない映画の方が見ごたえがあって好き、とおっしゃっていました。1人は盲導犬ユーザーさんで、帰りの電車で相棒の頭を撫でたら、ふと、主人公の巧自身が鹿だったのではないか?と思ったらしいのです。なんか、羨ましい。
タイトル
この作品のタイトル、「悪は存在しない」。
いやいや、存在したじゃないか!なのか、わかるわかると納得するのか、はたまた何を言ってるのか分からないとなるのか。それはそれぞれの中に芽生える感情。体験したら、私にも教えてほしいです。