言葉の通じない異国でひとりぼっち、誰かに見つめられる恐怖……(写真と記事は無関係です)

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2024.11.28

誰も助けてくれない! 異国で孤立した女性の不安と恐怖 「視線」

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、大野友嘉子、梅山富美子の3人に加え、各ジャンルの精鋭たちが不定期で寄稿します。

高橋諭治

高橋諭治

真夜中にひとりぼっちで帰宅中、暗い夜道を歩くのが心細い。しかも見知らぬ何者かに後ろからつけられているような気がして、どんどん怖くなってくる。もしあなたが女性ならば、誰もがそうした心臓バクバクの嫌な経験をしたことがあるだろう。

しかし本当に恐ろしいのは、次のようなケースかもしれない。何とか無事に帰宅して同居人の夫、もしくは恋人に事情を説明すると、「ふーん。そうなんだ。疲れてるんじゃないの? 気のせいかもしれないよ」。そんな素っ気ない反応を返されたあなたは、最も身近な人に耳を傾けてもらえないショックとともに、どうしようもない孤立感に打ちのめされるだろう。Netflixで配信中の「視線」は、そのような状況に陥っていく若いアメリカ人女性を主人公にした心理スリラーだ。


向かいの住人はストーカーなのか……

元女優のジュリア(マイカ・モンロー)が、夫フランシス(カール・グルスマン)の転勤に伴い、ニューヨークからルーマニアのブカレストに移り住む。ところが新居での生活を始めて間もなく、向かいのアパートの5階の住人がぼーっと窓辺に立ち、こちらを凝視していることに気づく。折しもブカレストでは、〝スパイダー〟と称する連続殺人鬼が若い女性の首を切り落とす猟奇事件が起こっていた。やがて街を散策している最中に、不審な男性につきまとわれていると感じたジュリアは、向かいの住人のストーカー行為を疑うのだが……。

ジュリアの新居となるアパートは真新しく清潔で、ひときわ大きな窓がある。その〝窓〟を活用した描写によって怪しげな隣人の存在をほのめかす序盤は、ヒッチコックの「裏窓」(1954年)やそのトリッキーな追随作品であるブライアン・デ・パルマ監督の「ボディ・ダブル」(84年)を想起させる。しかし見進めていくうちに、本作がまったく別の視点で撮られていることがわかってくる。

ポランスキーに連なる〝抑圧される女性〟

アメリカ人の主要スタッフ&キャストが、現地クルーとの共同チームでブカレストロケを実施した本作は、全体の20~30%を占めるであろうルーマニア語のセリフに字幕がつかない。そのため見る者は、言葉が通じない異国にやってきたジュリアの孤独を疑似体験することになる。冒頭でタクシーの運転手が何やら激しくまくし立てる言葉も、食事中に夫の同僚らが交わす会話も、ジュリアにはさっぱりわからない。
 
加えて、素性不明の何者かに監視されたり、ストーキングされたりというシチュエーションは、多くの場合、女性が被る恐怖だ。そうしてジュリアの精神不安をじわじわとあぶり出す本作は、上記のヒッチコックののぞき見映画の流れをくむというより、ロマン・ポランスキーの〝抑圧される女性〟映画「反撥」(65年)や「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)と共鳴する。同じポランスキーによる異国の恐怖もののアパートメントスリラー「テナント 恐怖を借りた男」(76年)のエッセンスも随所に垣間見える。
 

青ざめた映像、シンメトリーの構図

監督のクロエ・オクノはこれが長編デビュー作だが、明確な演出方針を貫いている。安易なジャンプスケアの描写を排除し、本稿の冒頭で示したような女性の日常的な恐怖をリアルに表現することに徹している。夫のフランシスは常に優しくジュリアに接し、彼女のストーカー被害の訴えを聞き入れて警察に通報することもあるが、会社での出世競争を妻に妨げられたくないという本音もちらつく。そうしてジュリアは疎外感を募らせ、英語をしゃべれるイリナという隣人のストリッパーと親しくなるが、ほどなくイリナは謎の失踪を遂げてしまう。

ブカレストのロケーション選択と、撮影監督ベンジャミン・カーク・ニールセン、プロダクションデザイナーのノラ・ドゥミトレスクの仕事も素晴らしい。先ほど〝真新しくて清潔〟と書いたアパートのセットはジュリアの孤立感を際立たせ、屋外シーンの青みがかった映像は冷たい寂寥(せきりょう)感を漂わせる。シンメトリーの構図を多用したカメラワークも効果的で、終盤の地下鉄車内のシンメトリーショットはことさら不気味で忘れがたい。

「妄想なのでは?」男性を試す視点

そしてオクノ監督の最大のお手柄は、ジュリアを脅かす〝視線〟の主の正体をギリギリまで曖昧にしたことだ。そのためジュリアが感じる恐怖は本当に実体を伴っているのか、ひょっとすると彼女の妄想の産物なのではないかという解釈の余地が生まれる。正直に告白すると、男性である筆者は鑑賞中、ジュリアの夫と同じように「妄想なのでは?」と思う瞬間が何度かあった。ここにも作り手の狙いがある。徹頭徹尾、女性の視点で撮られたこの恐怖映画は、筆者のような男性鑑賞者の見方も試しているのだ。つまり本作は「MEN 同じ顔の男たち」(2022年)に代表される、#MeToo以降のフェミニズムスリラーの系譜に位置づけるべき作品でもある。そう考えると、本作のラストショットにおけるジュリアの鋭い〝視線〟の矛先にもゾクリとせずにいられない。オクノ監督、かなりの実力者と見た。

最後に、主演女優のマイカ・モンローにも触れておきたい。出世作「イット・フォローズ」(14年)でえたいの知れない何かに追われ続けたモンローは、本作でもアメリカンホラーの典型的ヒロインが見せるような絶叫演技を封印し、このうえなく繊細なニュアンスの感情表現を披露。25年には新たなキャリアの代表作になるであろう、全米大ヒットのサイコホラー「Longlegs」の日本公開も控えている。スリラー&ホラーのジャンルで、まぎれもなく今最も注目すべき女優のひとりである。

ライター
高橋諭治

高橋諭治

たかはし・ゆじ 純真な少年時代に恐怖映画を見すぎて、人生を踏み外した映画ライター。毎日新聞「シネマの週末」、映画.com、劇場パンフレットなどに寄稿しながら、世界中の謎めいた映画、恐ろしい映画と日々格闘している。
 

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