ひとシネマには多くのZ世代のライターが映画コラムを寄稿しています。その生き生きした文章が多くの方々に好評を得ています。そんな皆さんの腕をもっともっと上げてもらうため、元キネマ旬報編集長の関口裕子さんが時に優しく、時に厳しくアドバイスをするコーナーです。
2023.6.10
大学生ひとシネマライター「ジョーズ」のコラムに元キネ旬編集長がアドバイス
大学生のひとシネマライター青山波月が書いた映画コラムを読んで、元キネマ旬報編集長・関口裕子さんがこうアドバイスをしました(コラムはアドバイスの後にあります)。
年齢の異なる仲間と映画を語るのはとても楽しい
年齢の異なる人たちと一つの映画を見て話し合うのは、とても楽しい。1975年に作られた「ジョーズ」は、青山波月さんの生まれる26年前の作品。彼女の世代にとっては、「USJのアトラクションの印象が強い」のも仕方ない。でも、だからこそ、「フェイブルマンズ」の公開をきっかけに掘り起こしの機会があったのは本当にうれしい。
青山さんは、巨大ザメの襲撃をあえて公表せず、人命より経済を重視する判断に、「私が署長の立場だったら、絶対市長との会話をスマホで録音しておいてTwitterで拡散するのにな!」、「社会の変わらぬ愚かさの部分を見せられた気がした」と現代との比較で書いている。これこそ時代を経て映画を見るだいご味の一つだ。
結果的に、「これを超すサメ映画はない、まさに原点にして頂点であると感じた」という境地に達したと書いているのはうれしい限りだ。
ただし、青山さんの甘い記憶でもある、「サメの模型が大きすぎて壊れてしまったから、あのヒレだけが海面から見えている演出が生まれた」のは事実ではないようだ。
波のある海での撮影で、サメのクリーチャーが壊れたのは本当。だがヒレだけを使った演出は「フェイブルマンズ」でも描かれるように、スピルバーグが少年時代から培った演出術によるもの。まあ、この場合、事実であるより〝映画について恋人と語る〟ことのほうが重要だと思うわけだが。
※以下本文
サメ映画の原点にして頂点。「ジョーズ」
巨匠スティーブン・スピルバーグが1975年に手がけた映画。私が生まれる26年前の作品だ。私と同じ世代の方たちは、もしかしたらテレビなどでちらっと見たことがあるかもしれないし、USJのアトラクションの印象が強い方も多いだろう。
それにしても、今から48年前にできた古い映画を見ようとはなかなかならないと思う。実は、私自身も昔のサメ映画なんて稚拙なものに違いないとなめてかかっていたが、そんな考えは大間違いだった。
サメの演出、音楽の活用、登場人物たちの人情の部分。それぞれが良いあんばいで作られている。やはり、現代のサメ映画のルーツはここにあり、これを超すサメ映画はない、まさに原点にして頂点であると感じた。
夏の海開きを迎えた海辺の田舎町で起こる悲劇
舞台は海辺の田舎町アミティ島。夏の海開きを迎えようとするある日、海辺で1人の少女の死体が見つかった。サメの襲撃を疑う警察署長・ブロディだが、町の収益を優先した市長により、少女の遺体は事故として処理された。
しかし、海辺で遊ぶ子供たちの集団に人食いザメが現れたことをきっかけに町の人々は次々と被害を受ける。ブロディはサメを退治することを決意し、海洋学者のフーパ―、町の漁師クイントとともに人食いザメの現れる海へと出向くのであった。
私がこのストーリーの中で面白いと感じたのは、サメの襲撃の部分はもちろん、人の中身の部分を描いた描写だ。町の人々の命より、町の収益を優先する市長。その責任をなすり付けられ、被害者家族から責められる署長。
私が署長の立場だったら、絶対市長との会話をスマホで録音しておいてTwitterで拡散するのにな!とか思ったけれど、もちろんこの時代にそんなことはできないもので。なにかと判断を見誤ったり、真実がわからないまま反対をする人々の姿が、70年代の作品なのに現代の政治やSNS社会を風刺しているように感じ、社会の変わらぬ愚かさの部分を見せられた気がした。
私が昔好きだった人はなぜか雑学王で、変な知識をたくさん持っていたのだが、「ジョーズ」を見る前にふと思い出したのが「サメの模型が大きすぎて壊れてしまったから、あのヒレだけが海面から見えている演出が生まれたんだよ」という言葉。
私の甘酸っぱい恋の記憶を引っ張り出して注目してみると、確かに後半30分ほどに入るまでサメの姿がほとんど見えない。見えるのはヒレだけであって、人が食われる時もサメの口すら見えない。見えるのは、とりあえず死に物狂いでもがく人間と、海を真っ赤に染める血だけ。
しかし、その姿を現さない不気味さが私たちの不安をさらにあおってくるのだ。姿の見えないえたいの知れなさが怖いのなんの。後半はサメの全体像がはっきりと見えてくるのだが、散々じらされた分、姿が見えた時の驚きっぷりはホラー映画そのもの。やはり、現代のCGには劣る稚拙さがあるものの、実際に造形されたものだからこその戦闘シーンの迫力。
当時の現場では、サメが壊れるというのはハプニングだったかもしれないが、そのハプニングがサメの不気味さを引き立てる良いスパイスとなった。これに気付かせてくれた私の元好きな人、ありがとう。おかげさまでこうやって記事書かせてもろてます。
サメ視点のカメラワークと不気味な音楽が怖さを増幅させる
また、もう一つ怖さを演出しているのが、サメ視点のカメラワーク。水の中から海に浮かんでいる人々の脚を映す視点は明らかにサメの視点。あーー、だんだん近づいてきてるよ、気付いてよー!!と思わず、声を出してしまったり。
かと思ったらフェイントかけられて、食わんのかい!!とツッコんでしまったり。もう、ハラハラドキドキ手汗がドバドバ。サメ映画では、この水中からの視点は結構お決まりの画角であるが、これの原点こそサメ映画の元祖「ジョーズ」から来ているのだ。
そして、「ジョーズ」の魅力は音楽にあると言っても過言ではない。実際、アカデミー賞で音響賞と作曲賞、ゴールデングローブ賞で作曲賞を受賞している。「ジョーズ」と言えば思い出すのが、ターッランターッランタラタラタラ↗(こうやって文字面見ただけで頭の中に音楽再生されるよね)という音楽。「ジョーズ」を見たことがない人でもサメと言えばこの曲を連想させるくらい広く浸透している曲だ。
また、ブロディとフーパ―、クイントの3人が船でサメを引きずり回している場面も、前半部分の怖さとは打って変わってまるで冒険物語のような爽快な音楽に切り替わり、ワクワクさせられて面白い。
このような「ジョーズ」の魅力的な音楽を担当しているのは、「E.T.」や「ジュラシック・パーク」など、スピルバーグと共に名作を送り出しているジョン・ウィリアムズ。調べてみると、「スター・ウォーズ」や「スーパーマン」など、印象的で壮大な映画の音楽はジョン・ウィリアムズによって手掛けられているのだ。
スピルバーグ監督の最新作「フェイブルマンズ」では、スピルバーグ監督とジョン・ウィリアムズの黄金コンビが再来する。また、頭から離れない歴史的メロディーラインが誕生する予感だ。
「ジョーズ」だけじゃない。近作も最新作も年代関係なく楽しめる
「ジョーズ」の他にも、「インディ・ジョーンズ」シリーズや「E.T.」など数々の名作を生み出しているスティーブン・スピルバーグ。「ジョーズ」は48年前の作品と思うと少し尻込みしてしまうかもしれないが、最近では「レディ・プレイヤー1」や「ウエスト・サイド・ストーリー」なども手掛けていて、最新作「フェイブルマンズ」はゴールデングローブ賞の監督賞と作品賞(ドラマ部門)を受賞している。それほど現役バリバリの監督だということを念頭に置いたら、きっと「ジョーズ」も年代関係なく楽しめるはず。
この際に、「ジョーズ」や「フェイブルマンズ」はもちろん、その他のスティーブン・スピルバーグの作品を巡るなどしてみてはいかがだろうか。
「ジョーズ」はDVD発売中。
(ジャケット写真)
Blu-ray: 2075 円 (税込み) / DVD: 1572 円 (税込み)
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント