「ナポレオン:ディレクターズ・カット」より

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2024.9.09

もはや別作品! 劇場公開版との見比べをおすすめの歴史ドラマ「ナポレオン:ディレクターズ・カット」

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子、梅山富美子の4人です。

村山章

村山章

昨年に劇場公開されたリドリー・スコット監督の「ナポレオン」は2時間38分の歴史超大作だが、公開前から4時間半に及ぶディレクターズカットが存在すると報道されていた。そして劇場公開からほぼ9カ月を経て、ついに「ナポレオン:ディレクターズ・カット」がアップルTV+で配信された。事前に言われていた4時間半より短いが、総尺3時間24分とかなりのボリュームだ。
 

劇場公開時は監督の意図をつかみかねていた

しかし世界の歴史に大きな爪痕を残したナポレオン・ボナパルトを描くには、3時間24分でも決して十分とはいえない。ちなみにフランスのアベル・ガンス監督は1927年にナポレオンの伝記映画を発表していて、なんと9時間22分のバージョンが存在する。しかもガンスが描いたのは、ナポレオンがイタリア遠征の司令官に任命されてフランスの英雄となる26歳までの前半生だけなのである。

ではスコット監督は、ナポレオンという巨人を一本の映画にまとめるために何を取捨選択し、何を物語の軸に持ってきたのか? 正直、劇場公開版の「ナポレオン」を見ても、筆者はその意図をつかみかねて戸惑っていた。ホアキン・フェニックスが苦虫を潰したような顔で演じたナポレオン像は、軍の運用には優れていても、思想や教養に乏しく、コンプレックスにさいなまれ、権力欲に溺れていく愚鈍な男だったのだ。

もちろん、映画がひとりの人生を余すことなく描くのは不可能であり、あらゆる伝記映画は、なんらかの解釈に基づいた二次創作のようなものだといえる。本作の主人公も、スコットや脚本家、そして演者であるホアキン・フェニックスが創出した「オレたちのナポレオン」という物語上のキャラクターにすぎない。

スコットはあえてナポレオンの負の内面に焦点を絞り、ラストではナポレオンが起こした戦争がもたらした人的被害を数で示すことで、人間がなす所業の愚かしさを炙(あぶ)り出している。
 
しかしそのために多くの歴史的事実をスルーしたり改変したりしていることも事実で、本作のような魅力の乏しい人物が国中を熱狂させる「英雄」に上り詰めることは不可能ではないかという疑念も生じる。本作のナポレオンからは、歴史に残る人物として語り継がれるだけのカリスマ性が見えてこないのである。
 

ジョゼフィーヌとの関係に焦点を当て、ナポレオンの描写にも奥行きが

ところがディレクターズカット版を見て、作品の印象がガラリと変わった。スコット監督の狙いがようやくわかったような気がした。今回追加された48分のほとんどは、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ(バネッサ・カービー)にまつわるシーン。
 
劇場版ではあくまでもナポレオンの成功と没落がメインになっていたが、ディレクターズカット版は、出自も生き方も価値観も違う2人の男女が、お互いにマウントを取り合いながら、精神的に離れられない共依存的関係に陥っていく愛憎のドラマになっているのだ。
 
ディレクターズカットは確かに長いが、冗長ではなく、むしろ雄弁な印象さえ受ける。劇場版では割愛されていたが、ジョゼフィーヌはフランス革命の混沌(こんとん)の中で貴族である夫が処刑され、自らも投獄されて、子供を持つ母親としてどんな手を使ってでもサバイバルしようと決意する。
 
一方で(劇中の)ナポレオンには確たる思想や理想がなく、ぼんやりとした権力への渇望を除けば、ジョゼフィーヌをわが物にしたいという情欲しか確固たるものがない。つまり本作におけるナポレオンのおぼつかなさは、のっぴきならない覚悟を決めたジョゼフィーヌの生き様と対比されているのだ。

ひいては戦争と政治にあけくれる男たちの社会と、踏みつけられながらもたくましく生きようともがく女性たちの物語だとも言える。ジョゼフィーヌだけでなく、隙(すき)を見てナポレオンに取り入る侍女の挿話なども加えられ、男性社会VS女性という構図がより明確になっている。

またナポレオンについても、細かい描写が追加されることで、良くも悪くも人間味が増し、嫌悪と同時に憐憫(れんびん)も感じさせる奥行きが生まれていた。筆者の感じ方がスコット監督の意図と一致しているかはわからないが、思わず「なぜ最初からこのバージョンを公開してくれなかったのか!」と問い詰めたくなった。

いずれにせよ「ナポレオン」のディレクターズカット版は、全体の60%は劇場版と共通しているのに、別の志向性を持った別の作品だととらえていい。スコットの冷徹な視線は変わらないが、ナポレオンとジョゼフィーヌが物語の両輪となることで、人間の限界を俯瞰(ふかん)的に見つめた悲しみが宿っているように思えるのだ。
 
同じ題材、同じ監督、同じ出演者、同じ素材からここまで違った作品ができるというひとつのサンプルとして見るのも、映画の楽しみ方が広がる経験になると思うので、お時間があるひとはぜひ見比べてみていただきたい。
 
「ナポレオン:ディレクターズ・カット」はApple TV+で配信中

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ライター
村山章

村山章

むらやま・あきら 1971年生まれ。映像編集を経てフリーライターとなり、雑誌、WEB、新聞等で映画関連の記事を寄稿。近年はラジオやテレビの出演、海外のインディペンデント映画の配給業務など多岐にわたって活動中。

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