2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。
2022.3.09
「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影現場で、高倉健はひたすら遠かった
4回目となる高倉健を次世代に語り継ぐ企画、
Ken Takakura for the future generations
本日はひとシネマ編集長50代の勝田友巳です。
映画記者かけ出し、高倉健は遠目にうかがえるばかり
映画記者になって間もない1999年の冬、北海道で撮影されていた「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ現場を、取材で訪ねた。道央・南富良野町のJR根室線幾寅駅が、映画の舞台「幌内駅」に作り替えられてロケセットとなっていた。高倉健が演じる駅長、佐藤乙松が働き、住居としているという設定だ。真冬の豪雪地帯だから、辺り一面深い雪に覆われて、東京からたどり着くのも一苦労だった覚えがある。
久々の主演作という呼び込みで高倉健を取材することが目的だったのに、その撮影現場でいちばん印象に残ったのは、撮影監督の木村大作の大声だった。遠巻きに撮影風景を見学するわたしたち記者の元まで、指示する声がよく届く。はじめは監督が怒鳴っているのかと思ったほど、自信に満ちて堂々としていた(偉そうだったとも言える)。降旗康男監督は物静かで、声は聞こえず姿も見分けられず、果たしてどこにいたのか。肝心の高倉健は、駅長の衣装である黒コートと制帽でたたずんでいるのが遠目にうかがえるばかり。
実際の取材は場所を移して記者会見のような形で行われ、高倉健はここでも言葉少なく、一言二言、しゃべっただけ。その後わたしが書いた撮影現場ルポの記事には「八甲田山も撮ったから寒さには慣れている」という素っ気ないコメントだけが引用されている。撮影に集中したい俳優にしてみれば、大勢の記者が現場まで押しかけてくるのは迷惑この上なく、そうして姿を見せてくれたのも異例のサービスであったには違いない。とはいえこの撮影現場では、木村大作の元気の良さに感心し、高倉健の寡黙でぶっきらぼう、近寄りがたいイメージを補強して持ち帰ったのだった。
「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地JR幾寅駅 2018年1月1日北海道版紙面より
大学の映研で「昭和残俠伝」を自主上映も行ったが
わたしの高倉健体験は、おそらく中学生ぐらいの時に、テレビで放送された「八甲田山」か「幸福の黄色いハンカチ」「野性の証明」あたりから始まっている。当時はビデオなどなく、そんな映画が繰り返しテレビの映画枠で放送されていた。「南極物語」をスクリーンで見たのは高校生の頃。以後折に触れて、映画館やテレビの映画放送枠で高倉健と接することになる。「居酒屋兆治」「あ・うん」など、「鉄道員」に続く降旗監督・木村カメラマンとの作品や、「ブラック・レイン」「ミスター・ベースボール」といったハリウッド映画。任侠映画時代の高倉健は、深夜テレビの映画放送か名画座で。学生時代には映研で、「昭和残俠伝」を自主上映したこともあった。
出演するのは映画だけ。CMに姿を見せても、テレビのドラマには出ない。スクリーンの高倉健は、逆境に黙って耐え続ける。誰にも告げずに決意を固め、行動を起こしたら迷わず一直線。意志が強い不言実行の人だ。頼りがいはあるが、少々怖い。ゴシップも漏れてこず、素顔がなかなかうかがえない。スクリーンの中で神格化されたスター、むしろ「スタア」という大時代的な呼び方が似合う存在。ビデオが普及し始めて、古い映画もレンタルビデオで見られるようになると、「新幹線大爆破」の犯人役や「君よ憤怒の河を渉れ」での破天荒なアクションなどが、「寡黙でぶっきらぼう」な男のバリエーションとして挿入される。
映画人からの固定観念を裏切る姿が
「鉄道員」で見かけた高倉健は、そのイメージそのまま、自身が「高倉健」のイメージを保つために多大な努力をしていたようだから、わたしの印象も当然だろう。しかしその後、高倉健を知る映画人から、その固定観念を裏切る姿が次々と入ってきた。むしろ冗舌、寂しがり屋。スタッフにこまやかな気遣いをする繊細な人。「寒い撮影現場なのにガンガン(暖を取るためのたき火)にあたろうとしないから、こっちも遠慮しちゃって」「出番まで座らないで、現場で立って待っているんですよ」「撮影が終わったから、外国にでも行ってるんじゃないか。連絡は取れませんよ」。エピソードを語る人たちの口ぶりには、尊敬と親しみが込められている。本人はめったに取材には応じてくれなくなっていたから、私の中の虚像と実像の格差はなかなか埋まらない。
虚像と実像の格差はなかなか埋まらないが……
「鉄道員」の乙松は、家庭を顧みずに仕事に生き、定年退職を目前にしても官舎を追い出された後の住まいさえ決めようとしない。そして、死んだ娘の成長した姿を見た後で、駅のホームに倒れて雪の中で死ぬ。いやはやこれぞ昭和の男、ザ・高倉健。今、こんな男が映画に登場しても、共感は得られまい。むしろ身勝手、パワハラの憎まれ役だろう。時代遅れ。しかし、それでいいのだ。高倉健が演じれば、どんな役でも全肯定できる。高倉健はスクリーンの中で、筋を通した人生を送ったのだ。
死後、追悼記事で多くの逸話が語られたし、養女だった小田貴月の「高倉健、その愛。」も出版された。ネットでも、本名の小田剛一としての高倉健にまつわる多様な情報とイメージが、広く流布している。親しみを感じる一方で、いささか残念な気もしている。わたしは虚像だけを見ていたいとも思う。神格化が不可能になった情報過多の現代で、遠くから仰ぎ見る特異な光を放つ存在が、一つぐらい残ってもいいではないか。
「鉄道員(ぽっぽや)」
Blu-ray&DVD発売中 Blu-ray:3,850円(税込)DVD:3,080円(税込) 販売:東映 発売:東映ビデオ