「映画を観て、ミャンマーを知る」

「映画を観て、ミャンマーを知る」

2022.4.13

トピックス:藤元明緒監督がミャンマー支援上映会 〝新年〟に合わせ全国で

公開映画情報を中心に、映画評、トピックスやキャンペーン、試写会情報などを紹介します。

勝田友巳

勝田友巳

「映画を観て、ミャンマーを知る」


2021年2月、ミャンマーで軍事クーデターが起きてから1年がたつ。国際社会の非難やミャンマー国内の抵抗運動にもかかわらず、軍事政権の姿勢は変わっていない。メディアで報じられることも減ってきたが、コロナ禍の影響も深刻で、いまだ多くの市民が拘束され、命を落としている。そうした現状に目を向けてもらおうと、「海辺の彼女たち」(20年)の藤元明緒監督が、「映画を観(み)て、ミャンマーを知る」と題した上映会を開催する。

「映画を観て、ミャンマーを知る」

上映するのは、藤元監督によるミャンマーを題材にした2作品。デビュー作の「僕の帰る場所」(17年)と、短編の「白骨街道ACT1」だ。ミャンマー暦で新年に当たる4月17日に合わせて、東京・ポレポレ東中野や大阪・シネヌーヴォなど、全国のミニシアター18館で同時期に一斉に上映する。会場での募金と、上映の収益の一部をミャンマー支援の団体に寄付する。
 

「ぼくの帰る場所」

「僕の帰る場所」は、弾圧を逃れて来日したものの、難民認定を受けられないミャンマー人の家族を描く。日本で暮らそうとする夫に対し、妻は環境になじめず2人の息子を連れて帰国する。ところが日本で育った長男はミャンマー語も不自由で、日本に帰りたいと家出してしまう。異郷で苦しむ人々をリアルに描いた。
 
「白骨街道ACT1」は、第二次世界大戦中、日本軍のインパール作戦で命を落とした日本兵の遺骨を収集する、ミャンマーの少数民族を追う。日本軍の行軍の跡をたどり、放置された遺骨を集める作業を、現地の人々を起用して淡々と再現した。クーデター前に現地で撮影。長編の一部になる予定だが、現地に入ることができなくなってしまった。

 「白骨街道ACT1」


声を上げられない人たちの思いを共有したい

藤元監督は、専門学校を卒業して映画監督を目指していた13年、ミャンマーを題材にした脚本公募の企画を知り、初めてミャンマーに興味を持ったという。それまでは「国の名前も知らなかった」というほど関心が薄かった。しかしそこから、在日ミャンマー人やその社会を取材し、支援活動にも参加するようになって「僕の帰る場所」を監督。その後知り合ったミャンマー人女性と結婚した。
 
長編第2作の「海辺の彼女たち」ではベトナム人実習生の苦境を描くなど、日本とアジアへの関心を映画にしてきた。「社会に多くの問題がある中で、家族や仲間など身の回りで感じることを芯にして映画で表現したい」と話す。新人監督に贈られる新藤兼人賞金賞、大島渚賞などを受賞した。
 
藤元明緒監督

クーデターに加えて新型コロナ禍で、ミャンマーでは多くの人々が苦しんでいるという。藤元監督は「クーデター直後は抵抗運動も起きたが、軍の弾圧で声を上げたくても上げられなくなっている。その思いを共有したい。またコロナ禍では、ワクチンが行き渡らず、多くの知人が命を落とした。報道が少なくなって落ち着いているように見えても、大勢が苦しんでいる」と訴える。上映する2作は、ミャンマーと日本の過去と現在を描いている。「日本とミャンマーの関係は深い。映画を見てミャンマーを知り、身近に感じてほしい」
 
ミャンマーの4月は年間で一番暑い季節。例年なら各地で「水かけ祭り」で新しい年のお祝いをするが、今年はコロナ禍とクーデターでひっそりしたままだという。「関心を広げたい」と、全国のミニシアターに働きかけ、一斉開催を実現。藤元監督は「上映会は毎年続け、ミャンマーの作品も上映したい」と話している。

僕の帰る場所

難民申請中の在日ミャンマー人一家。アイセは料理店で働き、2人の幼い息子は日本語の方が堪能だ。一方で、妻のケインは日本での生活になじめない。難民申請は却下され、たえきれなくなったケインは子供たちを連れて帰国してしまう。ミャンマーの家族の元に身を寄せるが、今度は息子たちが日本に帰りたいと言い出した。

©E.x.N K.K.

製作年 : 2016

出演 :

    ライター
    勝田友巳

    勝田友巳

    かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。