毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.8.12
この1本:「モロッコ、彼女たちの朝」 パン作り、響き合う心
臨月間近の体で一人町をさまようサミア(ニスリン・エラディ)が、女手一つでパン屋を営み娘を育てるアブラ(ルブナ・アザバル)の前に現れる。主要な登場人物はワケありの女性たち。しかも舞台はモロッコで、男性中心の風潮が色濃く残る。片隅の女性2人が心を通わせるさまを、乾いた古い町並みの中に描く。
2人の造形がたくましい。サミアは飛び込みで職探しをするものの、大きなおなかで家もなくては、どこも門前払い。それでも情けを乞うことも家に戻ることもなく、ついに野宿を覚悟する。アブラは一人でパン屋を切り盛りし、出入りの男からの控えめな誘いはピシャリとはねつけ、娘のワルダを慈しむ。店の向かいに横たわるサミアを見かねて、一晩だけと迎え入れる。
厄介を抱えたくないアブラと、遠慮と警戒が入り交じったサミアの出会いはぎこちないが、ワルダの愛嬌(あいきょう)とパン作りが2人をつなぐ。ワルダはすっかりサミアになつき、サミアが祖母に教わったという伝統パンを店に出すと好評だ。パン作りの手順を重ね、画面は和らいでいく。
2人の表情は、なかなかほぐれない。男社会に屈従を強いられているからだ。アブラは事故死した夫の葬儀に関わることもできず、サミアは婚外子は許されないと自分で育てることを諦めている。映画の終盤は、出産後のサミアの苦悩が描かれる。養子に出すからと覚悟して赤ん坊に背を向けても、湧き起こる愛情は抑えられない。選択を許さない残酷さを、サミアの葛藤に象徴する。
モロッコ出身のマリヤム・トゥザニ監督は、これが長編初監督作。自身の経験を基に映画を構想したという。ことさらに主張や感情をあらわにすることなく、物静かな映像でサミアとアブラの息づかいを伝える。抑えた筆致が好ましい。1時間41分。東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマほか。(勝)
ここに注目
フェルメールに影響を受けたという陰影豊かで絵画的な映像は美しく、カサブランカの街と住居は異国情緒を感じさせる。しかしこの映画の根底にあるのは、モロッコに暮らす女性たちの生きづらさだ。声高にメッセージを叫ぶわけではないが、ともにパンをこねる描写で女たちの連帯を伝え、ほんの数日の出来事に家父長制が根強い社会への憤りや、そこで生きる悲しみを描き出している。胸が痛んだのは、サミアが授乳をためらい、やがて我が子を抱くシーン。彼女の決断の先に幸運が訪れるようにと、祈るような気持ちになった。(細)
技あり
ヴィルジニー・スルデージュ撮影監督は、狭いパン屋を舞台に、母娘が未婚の妊婦を世話する話を大きいサイズで撮る。引き画(え)もある。店のガスの調子が悪く、共同窯へパンを乗せた板を頭にサミアが来る。息をのむシルエットは、構図の勝利。芝居はアップで進む。サミアがアブラに、アブラの亡夫が好きだった歌を聞かせると、アブラの体が自然に動き、表情も和らぐ。その夜、互いの事情を打ち明ける場面は、力のあるアップの連続。「私のゴールは彼女たちの表現を、カメラを通じて伝えること」と言うトゥザニ監督の思いが撮れた。(渡)