音楽映画は魂の音楽祭である。そう定義してどしどし音楽映画取りあげていきます。夏だけでない、年中無休の音楽祭、シネマ・ソニックが始まります。
2023.5.11
女性差別的クラシック界の実情あらわ 音楽ジャーナリストが驚いた「TAR/ター」の赤裸々さ
ジェンダーの問題で旧態依然とした分野はどこだろうか。クラシック音楽がその上位にあることは確かだ。と言うと、妙に思われるかもしれない。クラシック音楽では女性が大活躍しているではないか、ピアニスト、バイオリニストに華やかな女性奏者が多いし、音楽大学もオーケストラも女性で埋め尽くされている、と。
クラシック音楽界は女性差別の巣窟
それは日本に偏った現象である。たとえば、自他共にクラシック音楽の国と認めるドイツ、オーストリアの音大では男子学生が圧倒的に多いし、世界に冠たるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はついこの前まで男性団員だけしか入団できなかった。
では日本のクラシック音楽界は、差別の無い世界だったのだろうか。いや、逆である。むしろ欧米より差別に満ちていた。実際のところ、今も日本のクラシック音楽界は二重の差別に見舞われている。
音楽は一生をかける仕事ではない
二重の差別となる二つは何か。まず、クラシック音楽自体が日本では差別を受けてきた。そんなものは「男子一生の仕事」ではなく、せいぜいお稽古(けいこ)ごとだ、とさげすんだ扱いだったのである。大の男がまともにする仕事ではない、というわけだ。
演奏家がどれほど社会の中で認められていないかは、たとえば現在でも多くの演奏家が経験している例を取れば、家を建てようにも銀行がローンをなかなか組んでくれないことからも分かる。社会的信用が無く、収入の信用も無いのである。その影響だろう、音楽的にとても優秀な男の子が、中学受験を機に楽器をやめてしまう例は今も後を絶たない。親は決まって「この子は男の子ですから」と言う。
女の子ならともかく、男の子にとっては楽器は情操教育の趣味程度にとどめたいのだ。バイオリンやピアノを弾く男の子がもてるようになったのは、ごく最近のこと。以前は「え、バイオリンやってるの? 女の腐ったやつみたい」と、今では絶対使われない差別用語を投げかけられることもしばしばだった。中年以上の男性の演奏家たちは多かれ少なかれそれを経験している。
今でも、バレエをやっている男の子はそれに近い言葉を浴びせかけられることもある。つまり、まず「芸ごと」が差別され、そのうえに「女性差別」が重なる二重差別によって、日本のクラシック音楽は、せいぜい女・子供がやっていればいいもの、と女性に集中したのである。
欧米では社会的価値高く男性社会に
欧米では、クラシック音楽の社会的価値は極めて高い。常にそれは「男子一生の仕事」であった。おそらくクラシック音楽が宮廷や教会から出発している要素があるからだろう。
従って男女差別の激しい時代には、女性はクラシック音楽界から、はじき出されていた。くだんのウィーン・フィルは世界中の女性団体から抗議を受けて、最近は数人の女性奏者を入れているが、同フィルに長年在籍したコンサートマスターは「女性が入って、このオーケストラの音が壊れてしまった」と嘆いていた。
メンデルスゾーンの姉も才能示せず
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シューマン、ドビュッシー、ラベル、チャイコフスキー、ラフマニノフ等々、音楽史に残る作曲家はすべて男性。女性に作曲の才能が無いのではなく、演奏家ならまだしも、作曲を女性がするなんて「身の程知らず」だったのである。当時、女性が作曲した場合、男性の名前で発表したほどだ。
神童メンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンは弟よりも豊かな才能であったと言われ、実際、現在では、彼女が作曲した素晴らしい作品が明らかにされているが、当時は女性が作曲家になることなど許されるはずもなく、ファニーは終生、家庭音楽会に閉じ込められていた。
指揮者の女性は圧倒的少数
ピアニスト、バイオリニスト、それにもちろん女性が必要な歌手は、名を成した演奏家もいたが、指揮者は最近まで女性は皆無。女性に統括されることを男性がいやがったのだろう。ウィーン・フィルを2005年に女性指揮者として歴史上初めて指揮したシモーネ・ヤングは、某有名指揮者の彼女だから起用されたなどと、しがないうわさが駆け巡った。
コントラルト歌手から指揮に転向しつつあるナタリー・シュトゥッツマンなど女性指揮者も出てきたが、まだまだ圧倒的に指揮は男性社会である。日本でもかつては、1960年代に活躍した久山恵子をはじめ、松尾葉子など限られていたが、最近は西本智実、新田ユリ、田中祐子、阿部加奈子など続々と登場し、中でも沖澤のどかが京都市響の常任指揮者に就任するなど、活況を呈している。
ベルリン・フィル、初の女性マエストロ
映画「TAR/ター」はまるでジェンダー問題の告発のように始まる。世界トップのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にもウィーン・フィルにも、マエストロなどの称号で呼ばれる首席常任指揮者・音楽監督に歴史上、女性はいない。
映画はリディア・ターという女性指揮者が、ベルリン・フィルの初の女性マエストロに就任したという仮定の物語だ。ターがコンサートミストレスの女性バイオリン奏者とレズビアン生活を送っている想定も、まさに現代のジェンダー問題の渦中にある映画だろう。
最初のターへのインタビューシーンから、セクハラで問題になった指揮者などが実名で次々に出てきて、まるでノンフィクションのドキュメントを見ているようだ。クラシック界の頂点をめぐって陰謀、権謀術数、告訴、SNSでの拡散などがうずまく世界の描きかたも、あまりにも事実そのもので驚く。それらすべてに、私たちクラシックのジャーナリストが知っている内部事情がそのまま暴露されているのだ。映画とはいえ、訴えられないだろうかと心配になる。いわばドキュメントとしての楽しみが味わえる。
演奏シーンの美しさに魅了される
この映画に用いられている演奏シーンの美しさにはことのほか魅了される。ターがベルリン・フィルとリハーサルを行うとされるときの団員への指摘、音楽的な表情付けなどは、実際に実力のある指揮者が指示しているところを見ているのと同じレベルと言っていい。極めて優れた音楽的リアリティーだ。
その音の迫力、美しさにも驚く。それはそうだろう。実際に、これまた優秀なドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団が出演しているのだから。ホールもドレスデンにある芸術宮殿ホールが使われている。筆者も行ったことがあるこのホールは極めて音響が良く、それが映画に奥行きを与えている。主に用いられているマーラー《交響曲第5番》がうっとりするように響く。
もうひとつ主要な曲として用いられているエルガー《チェロ協奏曲》を弾く女性ソリストには、実際に音楽界で注目されている若いチェリスト、ソフィー・カウアーが起用され、彼女が女優としてもまた驚くべき才能を示している。この映画のあと、彼女はソリストとして実際にロンドン交響楽団とエルガー《チェロ協奏曲》をCD録音したそうだが、間違いなくヒットするだろう。音楽的にも極めて楽しめる映画だ。
「TAR/ター」は5月12日公開。写真はすべて「TAR/ター」の一場面。© 2022 FOCUS FEATURES LLC.