3度の飯より映画が好きという人も、飯がうまければさらに映画が好きになる。 撮影現場、スクリーンの中、映画館のコンフェクショナリーなどなど、映画と食のベストマリッジを追求したコラムです。
2023.6.01
行政予算ゼロ、富士宮のフィルムコミッションと絶品のMt.Fuji YAKISOBA
「ロケに関わった映画は全部見る」静岡県富士宮市のエンズプランニング代表取締役・遠藤崇浩さんは、はっきりと答えた。
「ロケ飯はもちろん、ロケハンだけでなく、撮影が始まれば土木工事なども請け負っている。映画への関わり方が濃厚。民間で市のフィルムコミッションの役割を果たしているのは珍しい」と続けた。
街の人の不満の声がくすぶる
元々富士宮には2001年、青年会議所がフィルムコミッション(ロケ応援団!富士宮)を設立したが、立ち行かなくなった。「撮影に不慣れのため何をしていいのか?弁当の数も、日程もスケジュールが変わりキャンセルになる。弁当の予算も、工事予算も少なく、ロケに関わりたくないという街の人の不満の声がくすぶっていた」と当時を振り返る。
富士宮駅前から望む富士山
やれることは全部やる
遠藤さんが代表を始めたのが16年。行政予算ゼロ。民間がやっているので最初の頃は持ち出しも多かった。ロケハンしても撮影が決まらないことも多く、無駄足や時間と経費ばかりが増え大変な時期もあった。そんな中、ロケを受ける撮影チームにある一定の基準を決めたそうだ。「地域の事をしっかり理解してくれる方が最低条件。身勝手なロケを進めようとする方や時間にルーズな方とは基本的にお仕事しないようにしています。他のロケ地と比べると広大なロケーションが多いため制作の方の作業も大変で、私たちで協力してやれることは全部やる」と気概を見せる。そのために土木の免許は一通り取得したそうだ。
遠藤さんはこの街のハブ
そんな遠藤さんの気概に触れた制作部は、「次々とロケを持ってくるようになった。撮影中に次の撮影映画の脚本を見せてくれて、ロケ先を相談することもある」という。
「ラーゲリより愛を込めて」の日本人捕虜が鉄道をつくるシーンのために、川砂利を敷いてレールをかけた。「川砂利をそのまま敷いたので、撤去しても小さな石が残り、現状復帰まで2週間もかかった」と笑いながら話す。「次は大きい石だけを選んで敷こう」とトライ&エラーで「ノウハウを蓄積している」そうだ。
「自分が受けられない仕事は、多くの協力してくれる地域の仲間に振る。ロケーションサービスも4人の仲間が手伝ってくれている」。遠藤さんはこの街のハブのような人なのだ。仲間だけでなく、最近看護師を退職した母親はロケ先の救護班として活躍していると言う。
18歳の頃からいつかは自分の店を持ちたいと市内のレストランやバーで修業を積んできて、05年に4.5坪10席の店から始めた。「東京に行く話もあったが、結局地元を一歩も出なかった。それなら富士宮を元気に楽しく、また来たいと思わせたい、地域の良さを伝えたい」といろいろな活動をするようになった。4月には富士宮やきそばを〝Mt.Fuji YAKISOBA〟と称してニューヨークのイベントで焼いてきたそうだ。
富士宮やきそばを焼く遠藤さん
映画に出れば特別な聖地になる
広大なロケーションがあるのでよく合戦シーンなどが富士山のふもとで行われるが、それが外国の設定シーンだったり、他の合戦だったり。「富士山を背にして映らないような撮影がほとんどなので少し悲しい。しかし、最近海外のロケ隊が入り、そのほとんどが富士山を映している」と世界の映画にも期待している。
「どうって言うことのない道も映画に出れば特別な聖地になる」とロケの街に対する効果を熱く語る。
ハリウッドで富士宮やきそば
ニューヨークでの焼きそばの評判はどうでしたか?と聞くと「1日1000食が飛ぶように売れた。アメリカ人はソース味が好きなんだと気づかされた」と手応えを語った。「これからも積極的に富士宮やきそばを日本だけでなく世界にアピールしていきたい」と目標を語った。いつかはハリウッドで富士宮やきそばをケータリングするというのはどうですか?と問うと遠藤さんは満更でもない笑顔を返すのでした。
☑人気ロケ飯
富士宮やきそば
戦後大陸から引き揚げたマルモ食品の創業者がビーフンを再現したいと製麺業を興した。そこでできた蒸し麺が富士宮やきそばの特徴となった。ちょっと硬いがもっちり感もある。当時、肉が貴重品だったので、豚のラードを搾った後のカスとイワシの魚粉を隠し味にするのがミソ。ロケではその場で焼いて食べてもらう。食べている時、油カスが入った部分が当たると幸せな気分になる。もちろんロケ飯は普通の弁当の他、パスタやパエリアなどバリエーションも豊富。