Y2K=2000年代のファッションやカルチャーが、Z世代の注目を集めています。映画もたくさんありました。懐かしくて新しい、あの時代のあの映画、語ってもらいます。
2023.2.22
19歳でも苦しいものは苦しい「きみに読む物語」の「君はどうしたい!」の呼びかけ
「ラブロマンスか・・・・・・」
朝から不機嫌な自分の心に、なけなしの変化をもたらしてでも上機嫌になってやろうと勇気を振り絞り、再生ボタンに私は指を重ねた。
「絵を描いている時間だけはいつもごちゃごちゃしている頭の中も静かになるの」という少女アリーの言葉に序盤から大きな共感を覚えた私は、作品の登場人物というものに珍しく自分を重ねてこの映画を見ていた。私もごちゃごちゃした頭の逃げる先を芸術に投じている人間の一人であるからだ。私の場合は文学だ。
身分が釣り合っていない恋
これは、周囲の反対に負けずに最期まで愛し合った男女の物語。年老いた二人は療養施設で過ごすが、大往生を待つ男ノアがアルツハイマーの老女アリーに、ノートに書かれた自分たちの物語を聞かせる。この映画ではアルツハイマーのせいでノアのことも過去の記憶も失ったアリーが実にかれんに描かれている。また二人の若い時と今が切り替わりながらテンポ良く進んでいく。舞台は1940年代アメリカの南部。
アリーは材木置き場で働く恋人ノアの存在を、「身分が釣り合っていない」と親族に否定される。そんなアリーはノアから引き裂かれるように地元を離れて大都会ニューヨークに引っ越すことに。現代のJKが見れば、「好きな人と引き裂かれるとかエモくね!」と彼女たちはセンチメンタルな気分になることだろう。現代を生きる私たちも、誰もが自分の思想に、親ないし人生に深く影響を与える誰かの邪魔が入る半面、私たちは忖度(そんたく)をして生きるのが年々上手になっていく。それも「自分に忠実です」という顔をしながら。それは、テクノロジーの発達により増えすぎた情報量のせいで選択が困難になってしまった現代人ゆえの悩みであると思っていたのだが、テレビもないこの時代の人々も、若い時に自分の「大事な」選択に周囲の意見が複雑に混ざりながら生き抜いていたのだと思った。
むしろ、この時代の人たちの方が生きづらそうである。彼らは戦争や今のように整っていない社会の仕組みのせいで「明日死ぬかもしれない」という漠然とした不安を心のどこかに抱えながら生きているからだ。また、現代のようにSNSもないことから、家柄を取っ払ったコミュニティーの形成も難しかったのだろう。
俺のことも婚約者のことも考えるな!
やがて大人になったアリーは、ニューヨークで大企業の息子ロンにプロポーズされる。ノアとの交際に猛反対だった親も、この結婚には大賛成し念を入れて結婚式の準備を進める。しかし、かつての初恋相手ノアの存在がどうしても脳裏をよぎるアリー。街での大規模な結婚式を目前に、不安になったアリーは初恋相手ノアの元に行く。そこで二人は数年ぶりに再会するも案の定、彼女は自分に疑念を抱くのであった。「このままロンと結婚していいのだろうか」と。そんなアリーに対して、初恋相手ノアが「俺のことも婚約者のことも考えるな! 君はどうしたい!」とアリーに言うシーンは今年ハタチをむかえる私の心にブッ刺さるものだった。何度見返しても、心臓の動きが止まった反動で涙が出そうになる。
このせりふは愛する人への本質的な問いになり得る。再会するまでのノアは、徴兵に行くまで1年間毎日手紙を書き続け、徴兵から帰ってきてからもアリーと会える日々を待ち続けていた。手紙はアリーの親が隠したため、彼女からの返事がないのはもちろん、ノアの書いた手紙が彼女に読まれることもない。愛する人に対して義理の感情はいっさい捨てて自分の気持ちをはっきりと伝えた上で、相手のどんな決断も受け入れる覚悟がなければ、相手を本当に愛しているとはいえないのだろう。もし、相手と単なる利害関係でつながっていれば、きっと「俺のところに来い」や「お前は俺だけのものだ」などと、独占欲が隠しきれないようなセリフを吐くことになるのだから。そんな「愛」の本質的な部分が垣間見えた瞬間に私は驚かされた。
鳥と材木置き場
また、本映画ではアリーの心情の描写として、鳥のシーンが数多く登場する。大海原で夕日に向かってカモメが飛ぶシーン、海でカモメが飛ぶシーン、川でアヒルが泳ぐシーン。これらは決まってアリーがノアと時間を過ごす時。つまり、アリーが素の自分を出せているときだ。アリーの、自由を求める強い思いがまるで「羽しか要らない」とでも言うような鳥たちに現れている。
また、材木置き場で働くノアにも注目したい。私はこの「材木置き場」というものがこの映画におけるノアの人格を忠実に表しているような気がするのだ。ノアの職場が「材木置き場」でなければきっと、それは全くの別人格が形成されているのだろう。材木というのは、一度死んだ木が再生されるための資源だ。木は椅子や机などに形を変えながらも永遠に続いていく。自分の使命を最後まで全うするように。二人がこの映画で誓っている「永遠の愛」というのも、それに暗示されているのではないだろうかと私は考えた。
かつてアリーが渇望した家をノアが完成させた時、二人は枯れた愛を生き返らせたように再会を果たす。それは一度死んだ木が生まれ変わるかのようだ。木と密接な距離感にあり自然に溶け込んでいるこの映画は見ていて心地が良い。
19歳でも苦しいものは苦しい
本映画のテーマは「愛と死」だ。よくいるのが「死ぬ時に後悔しなければそれでいい」という人たち。私もそういう気持ちはあるが、それでもまだ一瞬一瞬の感情に敏感に生きてしまう。
大人たちは言う。「まだ19歳なんだから」と。私はそれを聞いて不安になる。19歳から見た19歳と、50代から見た19歳は重みが違っていると思うからだ。19歳でも苦しいものは苦しいし、年齢のせいで今の不安を帳消しにしてしまうことへの恐怖が私にはある。
私もたまには自分の意見に反した行動をしてしまいそうになるが、私もアリーのように意志に反した道をたとえ選んでも、死ぬときに思い出す記憶のなかに残るように今の感情を大事にしながら生きたい。
そんなことを思いながら、大事な人と死ぬまで一緒にい続けることの幸せをかみ締めるように、この映画の再生ページを私は閉じたのだった。
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