「アメリカン・フィクション」より ©2023 MRC II Distribution Company L.P. All Rights Reserved.

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2024.3.01

オスカー像は遠くない? 痛烈な風刺喜劇と家族ドラマが融合「アメリカン・フィクション」:オンラインの森

いつでもどこでも映画が見られる動画配信サービス。便利だけれど、あまりにも作品数が多すぎて、どれを見たらいいか迷うばかり。目利きの映画ライターが、実り豊かな森の中からお薦めの作品を選びます。案内人は、須永貴子、村山章、大野友嘉子、梅山富美子の4人です。

勝田友巳

勝田友巳

米国では2023年12月に公開され、賞レースに躍り出たコメディードラマ。アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚色賞、作曲賞と5部門で候補入りしている。作品賞候補の中では小ぶりで本命「オッペンハイマー」の壁は厚くても、オスカー像のいくつかは持ち帰るのではないか。特に映画を支えたジェフリー・ライトの主演男優賞は、十分可能性ありと見た。日本ではAmazon Prime Videoで配信中だ。
 

売れない黒人作家のやけくそ小説

売れない作家のモンク(ジェフリー・ライト)は、真面目な自分の本は出版すらできないのに、黒人の悲劇を売り物にした女性黒人作家シンタラ(アイサ・レイ)の本がベストセラーになっていることにうんざりし、「〝黒人らしさ〟が足りない」と指摘され、怒りにまかせて〝白人が読みたがる黒人の物語〟を偽名で書いてみる。
 
「貧困」「ラッパー」「麻薬」「暴力」とステレオタイプの黒人像を並べて書きなぐった小説に、意に反して出版社が飛びついた。成り行きで逃亡中の指名手配犯を名乗り、覆面作家としてたちまち時の人になってしまう。
 
陳腐さは簡単に見破られる、こんなデタラメが通じるはずがないというモンクの信念と裏腹に、本は売れ、映画化の話まで舞い込んで来る。モンクの欲求不満は増すばかり。一方で認知症になった母親の介護にお金が必要で、真相を明かすこともできない。自分が作り出した不条理な状況にのみ込まれ、モンクは深刻なジレンマに陥ってしまう。
 

米国社会の差別構造と俗物性を暴露

白人が支配する出版界やハリウッドが、黒人の状況を都合良く利用した物語を作って差別を告発したつもりになっている、いわゆるトラウマポルノの偽善を、モンクは許せない。「白人は真実よりも、許しを求めているんだ。罪悪感を逃れようとしているだけ」と告発するのももっともだ。
 
なのに、周りの誰も取り合ってくれない。エージェントはようやく本が売れたと大喜びだし、恋人でさえモンクの覆面小説を面白がっている。憤まんはどこにも届かず、それが怒りの火に油を注ぐ。
 
軽蔑しているステレオタイプの黒人を自ら演じなければならなくなるモンクの姿に、同情と哀れみを感じつつ笑わずにはいられない。米国社会の複雑な黒人差別の現状を背景に、他人の悲劇を免罪符として消費して、思考停止のまま分かりやすさに安心する世間の俗物性をからかい、芸術界が売れるものこそ正義という資本主義の原理に振り回されていることも風刺する。
 
そしてその矛先は、正論を主張するモンクにも鋭く向けられる。映画の後半、モンクはシンタラの本を批判して「そういう黒人もいるかもしれないが、そうじゃない物語があるはずだ」と怒りをぶつける。しかしシンタラは「求められたものを書いているだけ」と反論し、モンクの中に潜むエリート意識を暴露する強烈な一言を発するのだ。
 

二つの筋が同時並行

そしてこの映画の白眉(はくび)は、単なる風刺劇にとどまらず、家族と人間再生の物語ともなっていることだ。モンクは姉のリサ(トレイシー・エリス・ロス)、弟のクリフ(スターリング・K・ブラウン)とも医者で、きょうだいの中では変わり種。死んだ父親は厳格で思いやりがなく、浮気もしていて家族から疎んじられていたが、モンクのことはお気に入りだった。リサと暮らしていた母親に認知症の兆候が表れて、介護の話し合いを始めようとした矢先にリサが急死してしまう。
 
ゲイであることをカミングアウトして離婚し、享楽ざんまいのクリフには頼れず、モンクは母親の世話を1人ですることになる。そこで初めて、自分が家族を自ら遠ざけ何も知らなかったことに気づく。リサの葬儀に集まり、一家で長年働いていた家政婦が結婚することになって、自分と家族とのつながりを改めて見つめ直す。偽物作家をめぐる大騒ぎと、しんみりとした人間ドラマが同時並行で展開するのだ。
 

ジェフリー・ライトの好演あってこそ

二つの筋が無理なく融合されているのは、優れた脚本もさることながら、ジェフリー・ライトのおかげだろう。インテリで真面目、悪い人物ではないが、ちょっと無神経で人を見下すところがある。
 
微妙に共感しにくいモンクの輪郭をタイトル前の2シーンでくっきりと描き出す。感情を吐き出すよりものみ込んで、渋面の下にいくつもの思いが渦巻いている中年男を、表情一つで繊細に表現した。おかしなことはしていないのに、一挙手一投足が笑いになる見事なさじ加減。
 
出世作となった「バスキア」(1996年)で、才能と野心あふれる天才芸術家を生き生きと演じていたジェフリー・ライト。最近では「007」シリーズのフェリックス・ライターなど、娯楽作の印象的な脇役としても存在感を示していた。場数を踏んで年を重ね、渋みと深みを感じさせる主演作で、オスカー候補も納得、弟役で出演したスターリング・K・ブラウンが助演男優賞候補となったのも、ライトの好演があってこそだろう。
 
パーシバル・エベレットの小説「ERASURE」を、コード・ジェファーソンが脚色、監督した。ジェファーソンはジャーナリズムからドラマの脚本家に転じ、20年には「ウォッチメン」でエミー賞・リミテッドシリーズ部門の脚本賞を受賞している。これが監督デビュー作。アレクサンダー・ペインやキャメロン・クロウらに連なる、洞察力のある作品を期待してしまう。
 
「アメリカン・フィクション」はAmazon Prime Videoで独占配信中

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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