第1回毎日映画コンクールの開催を伝える紙面=1946年5月31日

第1回毎日映画コンクールの開催を伝える紙面=1946年5月31日

2022.2.14

毎日映コンの軌跡② 社告掲載 スタッフまで顕彰、復興を後押し  

「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。

1946年5月31日の毎日新聞に、「第1回映画コンクール」の社告が掲載された。表裏2ページしかなかった時代である。「日本映画界の発展に資するとともに大衆娯楽としての正しい育成に乗り出す」と宣言している。同じ紙面には「南方・満洲の引き揚げ状況と消息」「食糧事情は憂慮ジャワ」などの見出しが躍る。日本は戦後の荒廃からようやく復興に取りかかったばかり。映画は疲れた人々に活力を与える格好の娯楽となり、映画界は活気を取り戻しつつあった。45年に11本だった公開本数は、46年に77本と急増する。コンクールは戦前の「全日本映画コンクール」を引き継ぎ、日本映画の復興を後押しし、優れた作品とスタッフを顕彰しようと始まったのだ。

東宝、松竹、大映の大手3社のほか映画各社から参加を募り、審査員に石川達三、尾上菊五郎、志賀直哉、河盛好蔵らが名を連ねた。この年の8月には東京、大阪、名古屋などで審査上映会を開催。コンクール賞と大衆賞に「或(あ)る夜の殿様」(衣笠貞之助監督)が決まった。他の賞は、▽脚本賞=久坂栄二郎「大曽根家の朝」▽演技賞=小沢栄太郎「同」▽撮影賞=立花幹也「檜(ひのき)舞台」▽音楽賞=早坂文雄「民衆の敵」。「或る夜の殿様」は、明治初期を舞台に、鉄道利権をめぐる商人たちの喜劇だ。

当時映画賞は大正時代から続く「キネマ旬報ベストテン」と、戦前からの「映画世界社賞」があったが、脚本・撮影・音楽とスタッフにまで目配りした賞は見当たらない。その後、映画は娯楽の王様として成長し、47年に「都民映画コンクール」(東京新聞など主催)▽50年には「日本映画文化賞」(ブルーリボン賞の前身。東京映画記者会主催)など、他の映画賞も次々と創設された。

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