「葬送のカーネーション」 © FilmCode

「葬送のカーネーション」 © FilmCode

2024.1.12

この1本:「葬送のカーネーション」 情感にじむ素朴な物語

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

棺おけを引きずった老人と少女がとぼとぼ荒野を歩く。地平線が空を真横に分割するような何もない風景に、大小二つの人影を捉えたロングショット。その絵柄だけで神秘的な美しさである。トルコ発の寓話(ぐうわ)的ロードムービーだ。

ムサ(デミル・パルスジャン)は、孫娘のハリメ(シャム・セリフ・ゼイダン)を連れ、ヒッチハイクで国境を目指していた。運んでいるひつぎには、妻の亡きがらが納められている。ムサは戦争で国を追われた難民で、妻の遺言通りに故郷に埋葬するため、旅をしているのだ。

という設定は、映画の中でぼんやりとしか明かされない。ハリメの両親のこととか、そもそも舞台はどこなのかすら、はっきりは分からない。2人を助ける親切な人たちは現れるものの、国境は遠い。ムサとハリメはほとんど言葉を発しない一方で、周囲の人たちは冗舌だ。ただそれも、キノコの調理法とか金を返さない相手へのグチとか、大方たわいないことばかり。

実に淡々として、無愛想なほど素っ気ない。しかし時々、不意に情感がにじみ出る。ムサが、ハリメのおもちゃから外した車輪を棺おけに取り付けてゴロゴロと転がしてゆく。悲しげなハリメとの対比に、そこはかとないユーモアが漂う。ハリメがスケッチブックに描く素朴な絵は、彼女が体験したらしい戦火の苦しみと悲しみを感じさせる。母子連れを見かけて自分も髪をといてみる姿に、母親への思慕が漂う。

あるいは、ムサとハリメの周りを飛び交っていた軽口めいた言葉は「大地に埋めたリンゴの種は、腐らず大きな木となる」とか「人間は生まれてこない方がいい。人生は無意味で混乱している」とか、深みのある内容へと変わっていく。2人の旅は、観客の内面へと入り込む。

荒涼とした自然を捉えた映像は時に幻想的で、ファンタジーめいたショットも挟まれる。これが2本目の長編映画というベキル・ビュルビュル監督は、慎重に丁寧に映像と言葉を織り上げた。素朴な物語の中に死と再生の連環や、理不尽な暴力がはびこる世界に生きる意味を考えさせるのである。1時間43分。東京・新宿武蔵野館、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)

ここに注目

言葉によるコミュニケーションをほぼ排除し、リアリズムとファンタジーが混じり合う映像で全てを物語る。そんな詩的な作風ゆえに、描写の意図が分からない場面も散見されたが、老人と少女がひつぎを引きずってとぼとぼと歩き続けるアナトリア地方の凍(い)てつく風景が圧巻。監督はイスラム神秘主義の思想に触発されて本作に取り組んだそうだが、最後に老人が行き着くマジカルな祝祭シーンはフェリーニ作品の夢幻性に通じるものがある。肉体の死から魂の再生への旅を紡いだロードムービーと言えようか。(諭)

技あり

撮影監督はバルシュ・アイゲン。ムサとハリメの、峨々(がが)たる山々を背景にした道行。終盤、遠く国境の山々が見え、かなたまで鉄柵が立ちはだかる。夕日に映える大ロングは、世界の現状も思い起こさせる雄渾(ゆうこん)なカット。一方、雪の夜の洞窟内、妻の亡きがらをひつぎから出して代わりにハリメを入れ、寒さをしのがせる。たき火のそばにムサ、向かい合って妻の亡きがら、奥にハリメが寝るひつぎが見える構図。「生き残ることのメタファー」と言うが、ここは考えすぎか。映画は、頼るなら人より自然だ。(渡)