毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2023.5.12
この1本:「EO イーオー」 ロバの瞳に映る人間界
1頭のロバが人間社会をさまよって、その無垢(むく)な目に映るものを描く。人間中心主義を排して人間を描いた傑作「バルタザールどこへ行く」(ロベール・ブレッソン監督、1966年)の現代版の趣である。ポーランドのイエジー・スコリモフスキ監督はロバに再び、ヨーロッパを放浪させた。80歳を超える巨匠の、若々しい挑戦だ。
サーカスで曲芸を見せていたロバのEO。動物愛護団体の抗議と興行主の破産でサーカスが解散し、生々流転が始まる。牧場で馬と共に過ごし、森の中をさまよい、闇馬肉業者のトラックに乗せられてサラミにされそうになる。
ブレッソン監督は、ロバに聖書にも登場する名前を付け、禁欲的なリアリズムに徹して人間の無慈悲と身勝手さを淡々と描き出した。一方、スコリモフスキ監督はその鳴き声のような記号的な名前を与えたロバを、奔放に追いかける。50年前と比べて世界はずっと動きが速く、そして暴力的だ。EOは次々と荒々しい人間たちに遭遇する。動物を酷使する興行主、試合に負けて激高するサッカーのサポーター、殺処分される小動物、長距離トラックの運転手を襲う不条理。人間はEOを虐待し、お互いに傷つけ合い殺し合う。
しかしそればかりではない。サーカスで組んでいたカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)がEOの誕生日にニンジンケーキを持って訪ねてくる。牧場に遊びに来た子どもたちが、EOとじゃれ合って無邪気な笑顔を見せる。温かさや愛情も残されている。映像はカラフル、時に奇抜でポップ。ホラーのようにおどろおどろしいかと思えばユーモアも交え、EOの思い出のごとき幻想的場面も挿入される。
エピソードは断片的で目まぐるしく、人間界の混沌(こんとん)と不条理を乱反射する。動物を取り巻く過酷な環境、人間中心社会の身勝手さ、それでも残る人間性への信頼。物言わぬEOの黒い瞳が、思索に誘うのである。
カンヌ国際映画祭で審査員賞などを受賞した。1時間28分。東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで公開中。(勝)
ここに注目
「イニシェリン島の精霊」「逆転のトライアングル」とロバの存在が印象的な映画が公開されている今年。その決定版と言うべきか、本作はロバの目に映る人間社会を切り取るだけではなく、視点を体感させてくれる驚くべき作品だ。EOの、どこかエレジーを感じさせる黒い瞳と素朴なたたずまいだけでもずっと見ていたくなる魅力にあふれているが、さらにスコリモフスキは赤を使った映像や劇的な音楽で、見る者を最後までひきつけてみせた。動物愛護団体のエピソードに始まり、人間の滑稽(こっけい)さや愚かさをジャッジすることがない作品だけに、複雑な余韻が残る。(細)
技あり
ロバの流浪の旅を撮るのは大変だったと思うが、ミハウ・ディメク撮影監督が見事にまとめた。リアルな部分ではブロンズのように硬い白黒の画調が効いているし、トンネルで黄色、夜明けは南画のような赤い霧がかかる調色部分も効果があった。ロングの情景では、白黒調の岩壁を背に黒の輪郭だけのEOがいる画(え)や、放水しているダムを背景に、画面下部の橋をシルエットのEOがトコトコ渡っていく情景が秀抜だ。人との絡みでは、カサンドラが誕生祝いに来てケーキを食べさせてくれる唯一温かな場面がいい。(渡)