毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2023.12.08
この1本:「市子」 人の存在のもろさ問う
同棲(どうせい)中の恋人、長谷川義則(若葉竜也)に結婚を申し込まれた翌日、川辺市子(杉咲花)は全てを捨てて失踪する。折しも山中から白骨化した死体が発見された。事件を捜査する刑事(宇野祥平)は義則に「市子という女性は存在しない」と告げる。義則は3年も暮らしを共にしながら何も知らなかったことに気づき、市子の行方を捜して彼女を知る人たちを訪ね歩く。
戸田彬弘監督が、自身の舞台劇を映画化した。知っていると思っていた人物の意外な素顔が次々と明らかになるというミステリー仕立ての展開だ。証言者ごとの章立ての構成で、観客は狂言回しの刑事と義則とともに市子の過去をたどり、さまざまな姿を目にすることになる。
小学校時代の友人は市子の呼び名が変わり発育が極端に良かったことを思い出し、住み込みで新聞配達をしていた時の同僚からは、市子とケーキ屋を開く夢を語り合ったことを聞く。高校の同級生は市子と共有する秘密を明かす。一方、山中の死体の身元が明らかになり、市子と事件の関わりも浮かび上がる。視点を変え時制を行き来する工夫で物語を引っ張り、舞台の映画化作品が陥りがちな閉塞(へいそく)感を逃れている。
少しずつ明らかになる市子の正体の興趣もさることながら、映画の主眼は謎解きではない。市子がなぜ他人をかたって生き、罪を犯したのか。社会制度から「存在しない」ことにされていた一人の女性が、いかに自分を保とうとしたか。市子の切羽詰まった心情をかたどってゆく。杉咲が、常に隠れおびえながらも懸命に幸せをつかもうとあがく市子を緊迫感と迫力を持って造形した。受けに回った若葉も好演。市子の真の姿を目の当たりにしても、自分が知る市子を信じ続ける義則が、映画に厚みを与えている。
物語の背景には無戸籍や貧困といった社会問題も見え隠れする。こちらの掘り下げに物足りなさはあるものの、人の存在の意外なもろさとあいまいさを問いかけ、余韻を残すのである。2時間6分。東京・テアトル新宿、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(勝)
ここに注目
市子と関わった複数の人たちの視点を通して彼女を追いかけていく構成ゆえ、見ている自分自身が他者を理解するということとは?と試されているような感覚になった。戸田監督は市子という女性の居場所と過去を探っていくドキュメンタリータッチのミステリーを、社会の格差をあぶり出す悲痛な物語へと着地させている。杉咲は怒りや感情を爆発させるときに輝く俳優と思っていたが、この作品では光が届かない世界の片隅で、声を上げることもできなかった人間の心の叫びを体現し、忘れられない存在感を残した。(細)
技あり
春木康輔撮影監督による、微妙に揺れる手持ち撮影。冒頭の、義則が市子に結婚を申し込む夕食の場面は大きめのアップの切り返し。終盤、人影のない漁港で義則と市子の母が会う時は、動きを止めない水面を背景に、バストの切り返し。芝居がいいところに差しかかると、寄りサイズの切り返しで撮られている。昔の撮影所で新人がまず覚える撮り方だが、当今は廃れ気味。春木が最初に技術指導を受けた日活芸術学院で、撮影所育ちの教師から伝承された技か。途中冒険した画(え)作りをしていても、肝心な芝居を寄りサイズの切り返しで締めておくと、映画はうまくまとまっていく。(渡)