「熊は、いない」©2022_JP Production_all rights reserved

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2023.9.22

この1本: 「熊は、いない」 監督自身の苦難と重ねて

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

イランのジャファル・パナヒは、世界で一番動向が注目される映画監督の一人だ。新作が待たれるというだけでなく、出国も創作も禁じられた状況で心身の安全と健康が気遣われるという意味でも。「オフサイド・ガールズ」などが反体制的だと2010年に逮捕されて以来、当局の目を逃れて映画を撮り続け、国際映画祭での受賞を重ねている。本作もベネチアで審査員特別賞を受賞した。

「これは映画ではない」(11年)以降の作品で、パナヒ監督は自身の置かれた状況を逆手にとって物語を作り、自身で主演する。「熊は、いない」でパナヒ監督が演じるパナヒは映画監督で、偽造パスポートで出国を図る俳優夫妻のドキュメンタリー風の新作の撮影中だ。撮影現場はトルコだが、自分は出国できないのでイラン側の村からリモートで指示を出す。一方、滞在する村には、生まれた時に結婚相手が決められるという因習があって、一人の女性を巡って三角関係がもつれていた。パナヒが撮影した写真が解決の証拠になると提出を求められる。

物語は、パナヒ監督自身と重層的に絡み合う。映画内映画で、夫妻そろって出国がかなわないと知った妻は、この映画に意味はないと姿を消す。撮影するパナヒは深夜、国境近くに行ってこのまま国外に出ろと促されても、きびすを返してしまう。村で宣誓を求められ、村人の前でしきたりの愚かさを指摘する。

パナヒ監督はこれまで、作品の中に分身としての自分を置くことで、政治体制や自身を取り巻く深刻な状況への憤りと抗議を、ユーモアと皮肉で包んで提示してきた。本作でもパナヒは不条理な事態に右往左往するものの、笑いの配分は少なめ。苦みが強い。撮影中の映画も村の恋愛沙汰も、結末は悲劇的だ。映画としての余韻は深いとはいえ、監督自身を取り巻く環境の厳しさの反映かと想像すると心配も募る。

題名の「熊」は、村人が危険な道に注意喚起するためのこけおどし。いないはずの熊が、人々を脅かし思考と行動を決めてしまうのである。1時間47分。東京・新宿武蔵野館ほかで公開中。大阪・シネ・リーブル梅田(29日から)など全国でも。(勝)

ここに注目

牧歌的な辺境の小さな村が、次第に緊迫感を帯びる。村人らは一見穏やかだが、写真を持っているかパナヒを問い詰め、否定しても聞き入れず神に誓わせる。古いしきたりは抑圧的な社会、国家に通じる。その脅威や恐怖とともに、映画としてのサスペンスを一気呵成(かせい)に生み出していく。「オフサイド・ガールズ」「これは映画ではない」などでも、巧みな語り口を駆使し政治や社会の暗部を物語として見せた。国や村の外へ逃れようとするカップル2組と、国境近くまで行きながら国外に出ることを拒むパナヒ。メタファーに満ちた手法で現在を撃つ。(鈴)

技あり

パナヒ監督との仕事が多いアミン・ジャファリ撮影監督が撮った。低予算映画だが、魅力的な細部を持つ。例えばパナヒ監督が夜のトルコ国境に立つ場面。トルコ側で撮影現場を仕切るレザ助監督と合流し、密輸業者の車が行き交うトルコへの山道を車のヘッドライトだけで走る。レザはイラン出国禁止の監督に、繊細なシーンが続くので撮影現場に来てくれ、そのためのルートは確保したと懇願。2人が車を止め国境の山に登ると、画面の横幅いっぱいに帯状のトルコの街の灯が見える。パナヒの撮影現場がある町の光景。短いが得難い情景カットだ。(渡)

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