「ラーゲリより愛を込めて」 ©2022 映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989清水香子

「ラーゲリより愛を込めて」 ©2022 映画「ラーゲリより愛を込めて」製作委員会 ©1989清水香子

2023.3.29

133分に流れる77年 時間を伸縮させる芸術 「ラーゲリより愛を込めて」:よくばり映画鑑賞術

映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。

伊藤弘了

伊藤弘了

映画は時間を伸び縮みさせることができる。
 
一口に「時間」と言っても、いくつかの種類がある。もっともわかりやすいのは上映時間である。一般的な長編映画であれば、おおよそ90分から120分前後の時間に収まる。映画批評では、しばしば「あと10分短ければ傑作になった」というような表現が用いられる。冗長で間延びした印象を与えてしまっていることを批判する際の定型句である。量産体制下で製作されたハリウッドのB級映画や、日本のプログラムピクチャーを愛好する映画ファンの間では「1本の映画は90分以内に収まるのが望ましい」といった趣旨のことが言われたりもする。


 

永遠に感じる2時間 一瞬で過ぎる100万年

もちろん、2時間や3時間の上映時間を持つ映画がすべてダメというわけではない。観客にとっては、その映画の内容にふさわしい長さであることがなにより重要である。

時間としては同じでも、つまらない映画を見ているときの2時間と、おもしろい映画に没頭しているときの2時間は、主観的な長さが異なる。苦痛を感じているときは2時間が3時間に感じられるし、逆に夢中になっているときは3時間があっという間に感じられる。

そのような経験に覚えのある方は少なくないだろう。たとえば207分(実に3時間半近くである)の上映時間を持つ「七人の侍」(黒澤明監督、1954年)が名作として語り継がれているのは、多くの観客が後者の体験をしているからにほかならない。
 
観客の主観的な時間感覚に影響をあたえる要素のひとつに、劇中で描かれる時間の長さがある。「5時から7時までのクレオ」(アニエス・バルダ監督、62年)のように映画の上映時間と劇中の経過時間がほぼ一致する映画もあるが、そうした作品の方がむしろ例外的だろう。

多くの映画は数日から数年、あるいは数十年の幅を2時間のなかに収めている。一方で、なかには「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督、68年)の冒頭のように、あるショットから次のショットへ切り替わる間に数百万年を経過させてしまう例もある。
 
映画は上映時間と劇中の経過時間を巧みに操作しつつ、もちろん、ストーリーやショットのおもしろさを駆使して、観客の主観的な時間に影響を及ぼし、心を揺さぶろうと試みるのである。


「ラーゲリ」がたどる1945年から2022年

「ラーゲリより愛を込めて」(瀬々敬久監督、2022年)の上映時間は133分で、劇映画としては少し長い。とはいえ一般的な範囲に十分収まるものだ。劇中の経過時間は1945年から2022年までの77年間である。

ただし、22年のシーンは映画の最後に短く置かれているのみで、実質的には終戦直前から主人公がシベリアの収容所(ラーゲリ)で過ごした約10年間が描かれている。
 
映画は満州国のハルビンで行われている結婚式のシーンで幕を開ける。時は1945年の8月、広島に新型爆弾(原爆)が投下されて、いよいよ終戦が目前に迫っている時期のことである。主人公の山本幡男(二宮和也)は、妻のモジミ(北川景子)と4人の子どもとともに結婚式に出席している。戦況が思わしくないのはもはや誰の目にも明らかであり、彼らのいる満州にいつ戦火が及んでもおかしくない状況である。しかし、山本は「素晴らしい門出だ、素晴らしい結婚式だ」と言って若き新郎新婦を祝福する。
 
このとき、山本の長男・顕一の顔のショットが短く挿入されている点を見逃してはならない。彼の存在は、映画が時間を飛び越えるための鍵となっているからである。


60万人が犠牲となったシベリア抑留

結婚式の直後に、はたしてソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に攻め込んでくる。ソ連軍の爆撃から逃げる際、山本は落ちてきた瓦礫(がれき)で足にケガをして家族と別れざるをえなくなる。彼はソ連軍の捕虜となり、収容所に送られて強制労働に従事させられることになる。いわゆる「シベリア抑留」である。
 
最初に送り込まれたスベルドロフスクの収容所で3年を過ごしたのち、ついに「ダモイ(帰国)」の通達が出る。しかしながら、山本を含む一部の日本人抑留者は途中駅で降ろされ、ハバロフスクの収容所で再び強制労働を命じられる。満鉄時代の単なる出張がなぜか諜報(ちょうほう)活動とみなされ、それが重罪扱いにされてしまったからである。
 
極寒の地にあって満足な食事や暖房設備を与えられることなく、厳しい労働に駆り出された捕虜たちからは次々に落後者が出る。正確な数字は今なお確定できないが、抑留者の総数は約60万人にも上ると考えられており、そのうちの約1割に当たる6万人が日本への帰国を果たすことなく亡くなっている。


 

山本幡男の遺書を届けた仲間たち

そうした過酷な状況に置かれていながら、山本はなお希望を失わず、ほかの抑留者たちを励まし続けた。文字や俳句を教えるシーンやボールを自作してみなで野球ができるようにしたシーンは、彼の卓越した人間性とリーダーシップを表現するとともに、ともすれば重くなりがちなテーマを扱っているこの映画にしかるべき明るさを与えている。
 
山本の存在はまさに抑留者たちの希望そのものだったと言っていいだろう。だが、彼の身体は恐るべき病魔に侵されつつあった。家族との手紙のやりとりが許されるようになり、帰国の日をいっそう強く待ち望むようになっていたが、その願いはついにかなうことはなかった。
 
山本に救われた抑留者たちは、彼が病床でしたためた家族宛ての遺書を何としても届けようと決意する。しかし、文字の書かれた紙がソ連兵に見つかれば没収は免れない。そこで、遺書の文面を4人で手分けして記憶するのである。


死者と生者の混ざり合う記憶

「記憶」はこの映画の重要なテーマの一つである。そして「記憶」は「時間」と手を携えて映画のクライマックスを形成することになる。山本は、年若い抑留者の新谷健雄(中島健人)が俳句を書いたノートを没収された際に「頭の中で考えたことは誰にも奪うことはできない」と述べている。彼らはその山本の教えを実践したのである。
 
さらに新谷の場合は、山本から教わった文字を使って手紙を代筆しており、深いところで山本の記憶を継承していることになる。また、新谷が預かったのは山本の子どもたち宛ての遺書であり、まさに収容所内で山本の疑似的な子どものような存在だった彼が担うのにふさわしい役どころとなっている。
 
遺書を託された新谷以外の3人も、無事に帰国を果たしたのちに、山本の妻・モジミのもとを訪れる。妻宛ての遺書を預かった相沢光男(桐谷健太)は、戦争中に身重の妻を亡くしている。山本の妻への言葉は、彼自身の経験や心情と重なりあうものである。
 
山本の母親宛ての手紙を持参した松田研三(松坂桃李)も事情は同様で、彼は抑留中に日本に残してきた母親のことを思い続けていた。このようにして、山本の記憶と、それを継承した各人の記憶が混ざり合い、映画的な盛り上がりを形成しているのである。


 

円環構造がもたらす厚み

また、松田は遺書を読み上げたあとにモジミに呼び止められ、山本との思い出を聞かせてほしいと頼まれる。松田は山本と初めて出会った汽車のなかでの出来事を語り始めるが、これは観客に映画序盤のシーンを想起させるためのフックとなっている。映画の序盤には、松田が山本と初めて出会った際のエピソードとして、汽車のなかで「いとしのクレメンタイン」を歌っている山本とそれを見ている松田の姿を描いたシーンがある。
 
こうした「円環構造」はしばしば映画に取り入れられるものである。「ラーゲリより愛を込めて」は、この構造を巧みに使って、「記憶」のテーマを観客の体験にまで広げようとしている。というのは、映画終盤の松田のセリフは、観客が約2時間前に目にしたシーンを思い出させるものだからである。このような仕掛けが133分の上映時間に厚みを持たせ、2時間で10年分を描いていることに納得感を与える。


 

繰り返される「素晴らしい門出」

くわえて、映画は最後に2022年のシーンを置いている。この種の付け足しは、ともすれば蛇足ともなりかねないものだが、本作の場合は冒頭と呼応させることで高い効果を生み出している。
 
最後に置かれているのは結婚式のシーンである。このシーンでは、老齢に差しかかった顕一(寺尾聰)、すなわち山本の長男が、孫娘の結婚式で祝辞を述べる姿が描かれている。彼は祝辞のなかで「素晴らしい門出です、素晴らしい結婚式です」という言葉を使う。

これは、彼の父親がかつてハルビンの結婚式で口にしていた言葉である。父親の山本とともに結婚式に出席していた顕一はその言葉を「記憶」し、劇中の時間で77年後にそれを反復しているのである。
 
最後に置かれたこのシーンによって、先ほどの円環構造の大外にさらにもうひとつの円環が形成される。それを可能にしているものこそ「記憶」にほかならない。山本の母親も、おそらくは妻のモジミももう亡くなっているだろう。それでも、山本の記憶は確かに次世代に継承されている。映画は入れ子ようの円環構造を使って時間を折りたたみ、133分の上映時間のなかに77年分の内実を与えているのである。
 

抑留生還者の祖父

私の母方の祖父はシベリア抑留からの生還者である。1926(大正15)年生まれの祖父は、つい先日、97歳で亡くなった。祖父はもともと寡黙な人だったが、とりわけ満州やシベリアのことは語りたがらなかった。それでも、まだ元気だったころに、それがどのような経験だったかを断片的に聞いたことがある。
 
祖父が亡くなるちょうど1カ月前に、1歳の娘を会わせるために実家に帰省した。ビデオ通話をしたことはあったが、直接祖父と娘が顔を合わせるのは初めてである。結果として、最初で最後の機会になってしまった。その時点ですでに寝たきり状態だった祖父は、それから食事をほとんど取らなくなり、眠りながら息を引き取った。自宅で祖父の介護を引き受け、最後を見取った母親は「ひ孫に会って思い残すことがなくなったのかねえ」などとつぶやいていた。
 
その真偽は誰にもわからない。半ば無理やりスケジュールを空けて祖父と娘が対面する機会を作ったのは、私自身が何かしらの予兆を感じていたからなのかもしれない。いずれにせよ、そうした感傷は所詮、生者のエゴでしかない。


 

個人的な体験と重なり合う醍醐味

娘は祖父(娘から見れば曽祖父)のことを覚えていないだろう。だが、私が生きている限りは、祖父のことを伝えていきたいと思う。祖父がシベリアから帰ってこなければ、母も私も、そして娘も、この世には存在していなかった。祖父がどんな人生を送ったのか、シベリアでどんな経験をしたのか。いつか私にも、娘の結婚式で何かを言う機会が訪れるかもしれない(もちろん、娘の人生なのだから結婚してもしなくても、するにしても式を挙げるも挙げないも自由である)。そのときには確実に祖父のことを思い出すし、同時に「ラーゲリより愛を込めて」のことも思い出すだろう。
 
映画はときに観客の経験とぴたりと重なることがある。それはごく個人的な体験だ。たとえば、その体験に普遍性を与えて、研究論文に仕立て上げることは困難だろう。しかし、間違いなく映画の楽しみ方の最たるもののひとつである。そうした映画との幸福な巡り合いは、人生の醍醐味(だいごみ)でさえあると思う。

ライター
伊藤弘了

伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶応大法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。大学在学中に見た小津安二郎の映画に衝撃を受け、小津映画を研究するために大学院に進学する。現在はライフワークとして小津の研究を続けるかたわら、広く映画をテーマにした講演や執筆をおこなっている。著書に「仕事と人生に効く教養としての映画」(PHP研究所)。