毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
2021.8.19
この1本:「ドライブ・マイ・カー」 喪失の先、静かに深く
幼い娘を亡くし、妻も失った男が、自分の心と向き合うまでの長い旅。要約すれば目新しさはなさそうでも、濱口竜介監督の洞察と演出にかかれば、見たことのない映画になる。2時間59分の長丁場もあっという間である。
演出家の家福(西島秀俊)は脚本家の妻、音(霧島れいか)と2人で暮らす。互いをいたわり合う仲の良い夫婦だが、家福は音の浮気を目撃し、やがて音が急死する。
ここまでが映画の序盤。2年後、家福は広島の国際演劇祭に招かれる。多国籍の俳優が各言語で演じる「ワーニャ伯父さん」を演出するのだ。専属運転手のみさき(三浦透子)が、家福を送迎することになる。生前の音を知る人気俳優の高槻(岡田将生)がオーディションに現れる。ある事件で公演が危うくなり、家福は決断を迫られる。
濱口監督の映画では、言葉が強い力を持つ。入念に彫琢(ちょうたく)されたセリフは一語も無駄がなく、観客をくぎ付けにする。対話する間、登場人物はほとんど動かない。バーのカウンターで車の中で、座ったままの人物を、カメラは時に正面から捉える。しかし互いの言葉に反応し、彼らの感情が激しく動いていることを観客は理解する。静かな画(え)と内面の動きの対比が、映画のダイナミズムとなる。
対話劇にとどまらない。多くの伏線や脇道が用意され、重層的だ。家福は左目に緑内障が見つかり、定期的に目薬を差す。セリフを覚えるため、音が読む脚本を吹き込んだテープを、車の運転中に繰り返し聞く。みさきも暗い記憶を抱える。韓国語手話の俳優も出演する多言語劇では、言語を超えて感情が響き合う。いくつもの主題が反射し、映画はさまざまな考察を誘う。
虚構の物語から発せられた作り物の言葉は、真実となり観客の心に届く。深く長い余韻が残る貴重な映画体験となるだろう。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪ステーションシティシネマほか。(勝)
ここに注目
日本では撮影上の制約ゆえに車での移動を主体とした映画は撮りづらいが、これは実に視覚的に豊かでスリリングなロードムービーだ。瀬戸内の島々などのロケーションに映える、赤いサーブのえも言われぬ美しさ。その車内を見知らぬ男女の秘密めいた共有空間に仕立て、人生の謎と数奇な巡り合わせを描いた〝行き先不明〟の物語に魅了される。失意の舞台演出家と寡黙な運転手の心の距離を表す小道具として、今どき珍しくたばこが使われているのもいい。サンルーフから伸びる2人の手が夜風に触れて並走するショットが感動的だ。(諭)
技あり
四宮秀俊撮影監督は車の走りも手を緩めない。橋や曲がりくねった道の、俯瞰(ふかん)のロングが撮れそうな地点に、B班の配置を怠らない。夜、光源がないS字カーブを、サーブの小さな灯が一度隠れてまた見え、大きな光の輪へ向かう。捉えにくい動きを逃さなかった。シャープな現代建築、広島市環境局の工場などの実景も時間をかけたと思わせる。芝居もよく撮った。印象的なのは家福とみさきの対話場面。カメラは2人の小さな仕草にも反応する。背景にボケた並木とまばらな家、芝居も力が入る5分弱の長回し。みんないい仕事をした。(渡)