赤いきつね 緑のたぬきウェブCM 「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編

赤いきつね 緑のたぬきウェブCM 「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編maruchanchannel(@maruchanchannel、YouTube)、最終閲覧日2025年2月27日

2025.3.07

<再考察>マルちゃん「赤いきつね」CM 油揚げの「うるおい」「柔らかさ」と「女性らしい」映像世界

映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。

筆者:

伊藤弘了

伊藤弘了

新聞を見ていると人工降雨といふ大見出しの活字がある
メロドラマといふルビはどうか(小津安二郎)(注1)

「たぬきじゃなくてきつねなのか(笑)」。先ごろ公開されたマルちゃん(東洋水産)のウェブCMにはそんな声が寄せられている。当該CMは赤いきつねにフォーカスした「おうちドラマ編」と緑のたぬきの「放課後先生編」の2種類が作られており、それぞれ声優の市ノ瀬加那と畠中祐が起用されている。上記のコメントは市ノ瀬の当たり役スレッタ・マーキュリー(「機動戦士ガンダム 水星の魔女」)を念頭に置いたものである。どことなくたぬきを思わせるスレッタは、作品のファンから「水星たぬき」の愛称で親しまれている。このようなCM外の文脈を踏まえて、たぬきがきつねを宣伝していることにおかしみを感じているわけである。


水星〝たぬき〟の〝きつね〟起用は必然だった

俳優/声優と出演作品は別物とはいえ、はまり役や代表作のイメージはその後のキャリアにつきまとう。武田鉄矢と金八先生、大山のぶ代とドラえもんなどのように、ある世代の人々のなかでは俳優/声優本人のイメージと演じた役のイメージとが不可分に結びついている。短い尺で商品なりサービスなりの情報を伝えなければならないCMが、あらかじめできあがっている出演者のイメージを借り受けることはきわめて理にかなっている。今回のマルちゃんのウェブCMの場合は、一方の商品名にせっかくたぬきが入っているのだから、そちらに市ノ瀬を起用してもよさそうなものである(「水星の魔女」や市ノ瀬のファンは喜ぶだろう)。しかし、じっさいにはそうなっていない。なぜ、市ノ瀬加那は緑のたぬきではなく、赤いきつねのCMにキャスティングされたのだろうか。

CMの目的はブランドの認知や人気を高め、商品やサービスの購入を促すことにある。その目的に照らしたときに「市ノ瀬は緑のたぬきではなく赤いきつねに起用した方がいい」という判断がどこかの段階でなされたはずだ。もちろん、筆者はその内情を知るよしもないが、完成したCMから理由を推測することはできる。結論から言えば、赤いきつねがきつねうどんであり、そこに油揚げが入っているからである。


熱々のつゆと湯気のインパクト

赤いきつねを取り上げた「おうちドラマ編」のCMコンセプトを一言で表現するとすれば「うるおい」がふさわしいだろう。「柔らかさ」としてもよさそうだが、強いてどちらかを選ぶのであればやはり「うるおい」に軍配を上げたい。というのも、CMの世界観が水分を基調として形成されているからである。CMを構成する20のショットはそのために動員されている。

カップを満たす熱々のつゆと立ち上る湯気は、強烈な視覚的インパクトを放ち、ASMRを意識したシズル感を強調する音響とあいまって商品の魅力をアピールしてくる(ショット4)【図1】。そして、うどんの蒸気と、上気して紅潮した女性の頰が画面にうるおいを与える(ショット9)【図2】。そこに寒色系の青白い光を反射したテーブルと氷水入りのグラスのショットがアクセント的に短く挿入され、暖色に満たされたカップ内の様相と鋭く対比される(ショット10)【図3】。その直後には箸で持ち上げられた(つゆのよく絡んだ)うどんのショットが続く(ショット11)【図4】。背景のピンク色のセーターが、太麺の白さを際立たせるためにわざわざ選び取られた小道具であるのは言うまでもない。

【図1、2】

【図3、4】

1秒のショットに緻密な設計

ちなみに寒色と暖色は同一画面内でも対比されている。女性を真後ろから捉えた画面(ショット3)【図5】と真正面から捉えた画面(ショット14)【図6】を見ると、ちょうど女性を軸にして部屋の左右が寒色と暖色にわかれている。正面から捉えたショットでは、卓上のティッシュボックスとグラスの中の氷水の高さがそろっており、赤いきつねのカップの縁がそれよりほんの少しだけ高い位置にきている。また、カップは女性の身体の中心部分にあり、前を開けたカーディガンの間にすっぽり収まっていることも確認できる。

【図5、6】

この画面(ショット14)で大きく動くのはリモコンを持った女性の右手だけである(ショットの終わり際の瞬きと浮かび上がる涙も重要ではあるが)。その右手はグラスとカップの間の空間を効率的に利用している。一般に人の視線は動くものを追う。だから下ろした右手のすぐ横には主役の赤いきつねが鎮座しているのである。画面右側は、卓上のメガネの弦を起点にして、ふんわりとした暖かみのある色に包まれている(ショット3では部屋の光源が明かされている)。わずか1秒ほどのショットだが、緻密に設計されたものであることがうかがえる。

側面からの画面(ショット19)【図7】では、部屋の大きな窓の外に都市の夜景が見えており、凍(い)てつく外界との対比で暖かみのある女性の自室が表現されている。ほかのショットにも共通することだが、総じて後景の焦点がボケているのも作品世界の構築に一役買っている。最後の画面はもちろん赤いきつねのカップのクローズアップである(ショット20)【図8】。窓越しの夜景をバックに、カーテンの間に収まっていることで、赤色がよく映えている。ここまで作り込んだクリエーターの熱意にはただただ頭が下がる。

【図7、8】

さて、カップうどん=商品が主役の座を占めている以上、それを食べる女性もまた商品の魅力を引き立てるための道具に過ぎない。涙が女の武器であるとすれば、それを使わない手はないだろう。じっさい、CMの視覚面において、道具としての女性が果たしている最大の貢献は涙を流すことにあると言っていい。女性が泣いているのは、彼女が自室で鑑賞している(おそらくは恋愛)ドラマに心を揺さぶられているからのようだ。大粒の涙をたたえて潤んだ瞳は、彼女の眼前を漂う湯気と混じり合って画面の湿度を大いに引き上げている(ショット5)【図9】。メロドラマは女優の泣き顔のクローズアップを要請し(注2)、その姿を見た女性観客は紅涙を絞る(そして随伴している男性をとりこにする)。映画が女性の涙を飽かず描き続けてきたのは、視覚的快楽の文字通り源泉だからである。それは個々の作り手の創意を超えた、映画/映像史の総意である(注3)。

【図9】

黒く細いよりも白くもちもち

さて、ようやく本丸の「揚げ」に攻め入る準備が整った。なぜ緑のたぬきではなく赤いきつねだったのかという問いは、なぜそばではなくうどんでなければならなかったのか、なぜ天ぷらではなく油揚げでなければならなかったのかという二つの問いに置き換えることができる。答えは明白である。うるおいと柔らかさを基調とする女性的な世界観を完成させるには、天ぷらの硬さではなく油揚げの柔らかさ、天ぷらの「サクっ」ではなく油揚げの「じゅわっ」が必要だったからである(ショット7)【図10】。もちろん、うどんよりもそばのほうがより女性らしい雰囲気の醸成に寄与する。(少なくともこのCMが描こうとしている世界においては)やはり細く黒みを帯びたそば麺よりも、白さともちもち感を備えたうどん麺の方が女性に似つかわしい。

【図10】

つゆと湯気、氷水に女性の涙といった道具立ては、各種音響や寒色と暖色の配分などの細部へのこだわりに支えられ、うるおいと柔らかさを基調とする統一感のある映像世界の構築に向かっている。白くて太くてもちもちしたうどんのイメージもそれを後押ししてくれるだろう。ひらがなとカタカナのみで名付けられた「おうちドラマ編」と漢字のみの「放課後先生編」という文字情報も、もちろんそのような方向づけに加担している。乾燥した天ぷらの武骨な硬さは、せっかく築き上げた世界に亀裂を生じさせかねない(つゆを吸ってふにゃふにゃになったとしても所与のイメージは拭い去れない)。女性らしい映像世界を完成させるには、滴り落ちるほどのつゆを含んだ黄金色の油揚げがぜひとも必要だったのである(ショット16)【図11】。

【図11】

注1=田中眞澄編『全日記 小津安二郎』フィルムアート社、1993年、354ページ。
注2=加藤幹郎「メロドラマは泣き顔を要請する ジョーン・フォンテインへのオマージュ」(『映画のメロドラマ的想像力』フィルムアート社、1988年、36〜53ページ)の表現および議論を参照した。
注3=したがって作り手が男性か女性かということはほとんど関係ない。上野千鶴子による次の議論も参照されたい。「広告に氾濫している性的メッセージは、誰が誰を引きつけるためなのか? もちろん、女が男を性的に引きつけるためである。その理由はいくつかある。まず第一に、広告の作り手たちが、広告の受け手を男だと見なしていることがあげられる。男から男への、女を媒介にした欲望のメッセージ――これが広告の実態なのである。(中略)では、女性をターゲットに狙った商品の広告にさえ、女性の性的アピールが多く用いられるのはなぜなのだろうか。それは、女性が女性を見るときには、男の色めがねをかけて見るからである。これが広告に性的メッセージがあふれていることの、第二の、そして最大の理由である」(上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究 女の読み方・読まれ方・読ませ方』岩波現代文庫、2009年、88〜89ページ)

【図1〜11】赤いきつね 緑のたぬきウェブCM 「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編、maruchanchannel(@maruchanchannel、YouTube)、最終閲覧日2025年2月27日、

https://youtu.be/UKSyu8gZ_rs?si=x5Ojeh0gq9VxIL7P

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