「バービー」(左、全国公開中©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved)と「オッペンハイマー」(http://oppenheimermovie.com)のポスター

「バービー」(左、全国公開中©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved)と「オッペンハイマー」(http://oppenheimermovie.com)のポスター

2023.8.20

バービーの髪の毛はなぜキノコ雲になったのか:前編 女性と兵器を結ぶもの:よくばり映画鑑賞術

映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。

伊藤弘了

伊藤弘了

「爆美女」という表現がある。「爆増」、「爆上がり」などの言葉と同様に「爆」を強調の意味で使っている。「爆弾のように」あるいは「爆発的な」といった意味を比喩的に参照することで、ある種の誇張表現に転用しているのである。英語にも「bombshell」という単語があり、爆弾を意味すると同時に、そこからの派生で「衝撃的なニュース」や「魅力的な女性」を表すこともできる。これらの例に限らず、女性の魅力を表すために爆発(物)が動員されることはしばしばある。
 

ダイナマイトの破壊力と女性身体

たとえば「ダイナマイト・ボディー」。もはや死語と化しつつあるかもしれないが、ある種の女性の身体(プロポーション)を表す比喩表現として知られている。言うまでもなく、ダイナマイトはニトログリセリンを利用した爆薬のことだ。最初にニトログリセリンを安定させる方法を編み出し、ダイナマイトの実用化に成功したのは、ノーベル賞に名を残すアルフレッド・ノーベルである。
 


Getty Images

土木工事への利用を企図して発明されたダイナマイトだが、ほどなくしてそれが人を殺すための武器として戦争に投入されるようになった。爆薬の代名詞となったダイナマイトが持つ爆発的な破壊力のイメージにあやかって、日本では女性身体を形容する言葉としてしばしばグラビア誌の誌面をにぎわせてきた。「悩殺」という言葉が文字通りに体現しているように、魅力的な女性身体は(もちろん比喩的な意味合いにおいて)男性を殺しかねないほどの威力を持つ危険物に相当するというわけである。「BOMB」という名前を持つグラビア誌が(「BOMB!」時代も含めて)30年以上にわたって日本に存在し続けている事実は、こうした連想の一般性を裏づけてくれるだろう。
 
筆者(1988年生まれ)よりも年配の人であれば、SMAPの往年のヒット曲「ダイナマイト」(97年)の歌詞を想起されるかもしれない(小学校のときの運動会のダンスでこの曲に合わせて踊った記憶がある)。くしくもBTSに「Dynamite」(2020年)という曲があるが、こちらは女性とは直接関係ない比喩としてダイナマイトの爆発のイメージを用いている。
 

SNSの投稿に映画会社が便乗して炎上

さて、前置きが長くなったが、何が言いたいかといえば、言葉を含む表象の世界では、一見かけ離れているように見えるもの同士が結びつくことがあるということだ。その領域では兵器が女性を形容するような事態が自然に発生する。
 
先日来SNS上をにぎわせている「バービーと原爆のコラージュ画像」の発想はこの延長線上にある。あえて言えば、バービーと原爆を結びつける感性はごく自然なものである。事情を知らない人のために、簡単にこの騒動を振り返っておこう。映画「バービー」(グレタ・ガーウィグ監督)と原爆の生みの親を描いた「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)のアメリカでの公開日が重なっていたことから、この二つを結びつけた複数の合成画像が出まわり、ネットミーム化したのである。

 
1945年8月9日、長崎の上空高く噴き上がったキノコ雲。この瞬間の地上は「地獄」であった
 
具体的には、オッペンハイマーの肩の上にバービーが乗ってポーズを決める爆発を背景にした画像や、バービーの髪がキノコ雲に置き換えられた画像が作られ、公開された。あわせて「Barbenheimer(バーベンハイマー)」という造語が広まり、ハッシュタグとしても用いられた。このような表現はそれ自体が物議を醸しかねないものだったが、公式アカウントが一般ユーザーに便乗するような好意的なリプライを複数送ったために大規模な「炎上」に発展した。「バービー」の配給元であるワーナーブラザースジャパン合同会社が声明を発表し、ワーナー・ブラザース本社も謝罪文を発表する事態となった。
 

全世界に共有されていない原爆=悪

広島、長崎に投下された2発の原子爆弾は、地上に地獄を顕現させ、1945年末までに少なくとも20万人以上の命を奪った。正確な数はおそらく永遠に不明なままだが、後遺症で亡くなった方を含む死者数は現在までに50万人をゆうに超えている。唯一の被爆国であり、筆舌に尽くしがたい甚大な被害を受けた日本からすれば、原爆はネットの悪ノリに使っていいようなネタでは断じてない。
 
しかし、誠に残念ながら、この感覚は全世界的に共有されているわけではない。とりわけアメリカでは、「原爆投下が戦争の早期終結をもたらしたことでむしろ犠牲を少なくした」といった言説が主流派を形成し、長らくその行為を正当化してきた。無辜(むこ)の子どもたちを含む数十万人の非戦闘民を非人道的な方法で虐殺した側としては、そうでもして防衛機制を働かせなければ心の平安を保てないのだ



ビキニ環礁の東北東80キロ付近でマグロ漁を操業中、米国水爆実験に遭遇した第5福竜丸=1954年3月14日
 

「世界を変えた」バービーと原爆?

とはいえ、バービーと原爆を結びつける心性自体は十分に理解できる。「爆美女」や「ダイナマイト・ボディー」がそうであるように、現実に多くの人命を奪ってきた兵器と女性を結びつける表現は日本語にも見られるからである。
 
「オッペンハイマー」のポスターには「THE WORLD FOREVER CHANGES」というコピーが書きつけられている。一義的には世界のあり方を決定的に変えてしまった原爆の脅威を強調するものだが、これが「バービー」の内容にもピッタリ当てはまっているのである。というのも、映画「バービー」はまさに「変わってしまった世界」をめぐって展開される映画だからである。
 
バービーランドの心地よい幻想のなかに安住していたバービーは、人間世界に足を踏み入れて過酷な現実を知ってしまったことで、もうもとの生き方には戻れなくなる。人間世界の知識が入り込んだバービーランドも変質せざるをえない。バービー自身がいくら変わることを忌避しようとしても、どうにもならない。さながら禁断の果実を口にして楽園を失った人類の足跡を正確にたどるかのような展開であり、その衝撃はまさに「原爆級」である。
 
だから、「バービー」が映画の冒頭で「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督、1968年)にオマージュをささげているのは単なるしゃれや酔狂ではない。あの映画では、類人猿が放り上げた骨棍棒(こんぼう)が「核ミサイル」を搭載した各国の軍事衛星のショットに変化している【図1、2】。武器という知恵を獲得した人類は、あっという間に核兵器を生み出すまでになってしまった。棍棒から核兵器への飛躍をもたらすほどの衝撃は、バービー人形の誕生が世界に与えた衝撃の大きさと正確に一致すると同時に、世界の真実を知ったバービーの衝撃の大きさとも軌を一にする。
 

【図1】「2001年宇宙の旅」スタンリー・キューブリック監督、1968年(DVD、ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント、2010年)


【図2】「2001年宇宙の旅」スタンリー・キューブリック監督、1968年(DVD、ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント、2010年)
 

核兵器に対する日米の意識の違い

核は人類の平穏な世界=楽園を破滅させかねない恐るべき兵器である。だが、原爆によって第二次世界大戦の勝利を確定させたアメリカには、核兵器に対してポジティブなイメージを抱く素地がある。川本徹が「荒野のオデュッセイア 西部劇映画論」(みすず書房、2014年)で指摘しているように、物理的なフロンティアが消滅したあとのアメリカは宇宙やテクノロジーの領域に新天地を求めた。フロンティアの開拓は建国以来のアメリカの国是(明白なる天命)である。核兵器の開発は、ロケットと並んでアメリカの新たなフロンティア(ニュークリア・フロンティア)を形成した。
 
たとえば「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督、16年)ではゴジラ討伐のために熱核兵器(水素爆弾)を使用するかどうかが国家の一大事として描かれているが、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(マイケル・ドハティ監督、19年)では、なんとゴジラを救うために(エネルギーを供給して復活させるために)核魚雷が使用される。突如として特攻精神を発揮した芹沢博士(渡辺謙)が自身の命と引き換えに核弾頭を起爆させ、目的を果たす。もちろん東京のど真ん中と人気のない海底洞窟という使用場所の違いはあるが、この対比には日米の核に対する意識の違いが如実に表れているように思う。
 
あるいは、あたかも実戦で核兵器を使用した唯一の国という引け目から目をそらそうとするかのように、アメリカ文化には核兵器をことさらありふれたもののように描写する傾向も見られる。「トイ・ストーリー3」の冒頭で唐突にさく裂する「サル爆弾」のキノコ雲にはそういった精神性の発露ではないだろうか【図3】。
 

【図3】「トイ・ストーリー3」リー・アンクリッチ監督、2010年(DVD、ウォルト・ディズニー・ジャパン、2010年)
 
しかしながら、原爆がもたらした悲惨さは、それを引き受けさせられた側にとってはたかだか80年やそこらで忘れられるようなものではない。異なる立場の人々に対して想像力を働かせることは、かくも難しい。
 

日本のマンガに登場する核のモチーフ

映画、音楽、マンガをはじめ、核兵器をモチーフとして取り込んでいるポップカルチャーは世界中に存在する。もちろん、日本も例外ではない。その内容は反核、抗核を前面に打ち出したものから、核エネルギーの平和的利用を考えさせるもの、エンタメ要素としてポジティブな(ホットな/クールな)イメージを読み込むものまで多岐にわたる。
 
古くは手塚治虫の「鉄腕アトム(アトム大使)」から、尾田栄一郎の「ONE PIECE」(核兵器を連想させる古代兵器の存在)や冨樫義博の「HUNTER×HUNTER」(ミニチュアローズ【図4】)に至るまで、国内を代表するマンガ家の代表作に複雑なニュアンスを込められた核(原子力)のモチーフが繰り返しあらわれることの意味は決して小さくない。だが、それについて詳細に論じるためには稿を改める必要がある。さしあたり、戦後日本のフィクションが描いてきた「核イメージ」の歴史に興味のある向きは、山本昭宏「核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ」(中公新書、2015年)を参照されたい。


【図4】作中最強クラスの破壊力を誇る爆弾「ミニチュアローズ」。その爆煙は「キノコ雲」として知られている核兵器のそれから「薔薇(ばら)」の形に移し替えられている。冨樫義博「HUNTER×HUNTER」28巻(モノクロ版、ジャンプコミックスDIGITAL、Kindle版)、集英社、2012年、位置No. 158/211。
 
ちなみに「鉄腕アトム」には浦沢直樹によるリメーク作「PLUTO」があり、手塚の先見性に富んだ想像力が現在の作家にも刺激を与え続けていることがわかる(「PLUTO」はNetflixでアニメ化されることが決定している。配信は10月26日開始の予定)。
 
もちろん、日本の原爆描写はよくて、アメリカのそれは悪いと言いたいわけではないし、ましてや日本文化の方がアメリカ文化よりも優れているという単純なことが言いたいわけでもない。意識の違いが反映されることがあるとはいえ、原爆を含む兵器と女性のイメージが結びつきやすいのは日本においても同じだからである。後編では具体的な事例をいくつか挙げて、そのあたりをさらに詳しく考えていこう。

「バービーの髪の毛はなぜキノコ雲になったのか:後編」はこちらから。

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ライター
伊藤弘了

伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶応大法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。大学在学中に見た小津安二郎の映画に衝撃を受け、小津映画を研究するために大学院に進学する。現在はライフワークとして小津の研究を続けるかたわら、広く映画をテーマにした講演や執筆をおこなっている。著書に「仕事と人生に効く教養としての映画」(PHP研究所)。