「ドリーム・ホース」©DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

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2023.1.04

夢をかなえる人たちを見る幸せ 「ドリーム・ホース」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

新型コロナウイルスとかウクライナ侵攻とか、暗いニュースばっかりですね。いやなことばっかりが続くとき、一息ついて、幸せに浸りたければ、映画を見るのがいちばん。今回は人生に希望を持たせてくれる作品をご紹介しましょう。


 

そうだ、馬を飼おう

映画の舞台は、イギリスのウェールズ地方の谷あいにある小さな村です。ジャンは、昼はスーパーマーケット、夜はパブで働く女性。ずっと年上の夫はもう働いていませんし、高齢の両親も介護しなくてはならない。くたびれ果てるような毎日を過ごすなか、パブの常連のひとり、会計士のハワードが、かつて馬主だったと耳にします。もともと動物が大好きなジャン、そこから自分が馬を飼うことを考えはじめ、その考えから抜け出せなくなり、とうとう牝馬を買ってしまいます。子馬を産ませ、競走馬に育て上げるという計画です。
 
でも、とてもお金が足りません。そこで、村のみんなでお金を出し合って組合を作り、出資者がみな共同の馬主になって、一緒に競走馬を育てる計画を立てるんですね。そうはいってもなかなか大変。お金を出してくれる人、いるんだろうか。子馬は生まれるだろうか。トレーニングを行う訓練士がみつかるだろうか。試合に出ることはできるのか。どれひとつとっても、とても無理、みたいな高いハードルが障害物競走のように並びます。
 

うまくいきすぎ でも観客をつかむ

で、さて、先を急いでご紹介すると、みんな次々にうまくいく。馬主組合は発足し、子馬も生まれ、ドリームアライアンスと名付けられたその子馬は立派な競走馬に育ちます。障害物を次々に乗り越えてゆくわけですね。育てた馬が競技大会に出場するというストーリーはエリザベス・テーラーの「緑園の天使」の昔からおなじみですが、ちょっと都合が良すぎる展開だと思う人もいるでしょう。そんなのウソだ、現実にはあり得ないことを映画に仕立てた現実逃避だ、なんて声さえ上がるかもしれません。
 
そんな声に対しては、映画は作りものに決まってるじゃないか、現実から逃避したいから映画館に行くんだと軽くかわした上で、この「ドリーム・ホース」が実話に基づいていることも申し添えておきましょう。でも、問題はウソかホントかではなく、そのフィクションが観客をつかむ力を持っているか、という点にあります。
 
その力、この映画にあると私は思います。観客が感動するように演出されていることがはっきりしている映画ですが、ちゃんと感動するんです。
 

実在感と魅力備えたトニ・コレット

どうして感動するんでしょう。その理由の第1は、ジャンを演じたトニ・コレットのおかげです。映画に感動する前提は登場人物への感情移入ですが、そのためには俳優にリアリティーが必要ですし、しかもリアルなだけじゃなく魅力も必要になる。で、トニ・コレット、リアリティーも魅力もあるんです。
 
映画の冒頭では生活にくたびれ果てた姿ばかりで、生気がない。馬を飼う着想を得ると灰色の表情が少し変わり、馬主組合を企画して馬を飼い始めると少女のように生き生きしてくるんですね。演技の跡を感じさせないほどナチュラルなので、観客はジャンに引き込まれ、ジャンの視点から映画を経験することになります。笑顔のチャーミングな俳優なので、この人がまた笑顔を浮かべてくれるといいな、ジャンの笑顔が見たい、そんな思いで物語に引き込まれました。
 
他の俳優も、みんな絶品です。静かにジャンを支える夫のブライアン、会計士の仕事をしながら仕事よりも馬が大好きなハワード、そして馬主の組合に加わった村人ひとりひとりの顔がいいんです。ウェールズの大女優シアン・フィリップスも登場しますが、それが目立たないくらい、みんな実在感がある。ウェールズのパブに迷い込んだような気になります。
 
ドリーム

力を合わせて身分社会を覆す

そこから、労働者の映画としてのこの映画の姿が見えてくるでしょう。イギリスは階級の違いがはっきりした社会。階級というよりは身分といった方がいいくらいでして、生まれと育ちと富に恵まれた上流階級の人たちは、普通の人とは住む世界が違うんですね。そして、競走馬の馬主は、生まれと育ちとお金に恵まれた人たちの形作る、ごく狭い世界です。一般の国民は、競馬にお金をかけることはあっても馬主になるなんて考えられない。あるはずがないことなんです。
 
ところが、ウェールズの仲間は、生まれと育ちとお金にまるで縁がない人ばっかりなのに、その人たちがお金を出し合って馬を育て、競走馬にまで育て上げる。映画のなかに、高級カクテルラウンジみたいな競技場の馬主専用シートに馬主組合のみんながやってきて、他の馬主たちをびっくりさせる場面があります。自分たちの空間のなかに普通の人が押し寄せたことが理解できず、うろたえてしまうんですね。馬を飼うことで階級秩序を覆しちゃうんです。
 

諦めなければ希望はかなう……かもしれない

映画表現の重点は、馬よりも人に向けられています。ドリームアライアンスを育て始めることで、ジャンは見違えるように生き生きとなるんですが、変わるのはジャンだけじゃなくて、馬主組合に加わったみんな、それでいえばウェールズの村に住む人の全部なんです。希望を持ったひとりひとりの顔、表情が変わり、村の生活が変わってしまいます。
 
いま、希望という言葉を使いました。映画の冒頭では、ジャンも村人もみんな、希望を持っていない。夢や希望を持ってもそれが実現するはずはない。失望し、傷つくだけだから、希望なんか持たない方がいい。それが、一緒に馬を飼うことで、希望を持ち始める。そして、その希望が、少しずつ、実現していく。現実には起こりっこない夢がしっかりかなうんですね。
 
もちろんイギリス社会の現実は地域と富によって分断され、強いものが勝ち、弱いものは負け続けるだけ。だから夢を追い求めないことによってつらい人生を何とか生きているわけですけれど、実は追い求めないのではなく、あらかじめ夢を排除しているのかもしれません。ひょっとしたら、ほんとにひょっとしたら、夢と希望が実現することもあるかもしれない。希望を諦めない人がいるおかげで、見ている私たちも幸せになる。映画はこうでなくてはいけません。

1月6日公開。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。