八甲田山

明治時代、八甲田山での死の行軍の全貌を描いたパニック大作。日露戦争を目前にした明治35年1月、青森第五連隊と弘前第三十一連隊は`白い地獄`と恐れられていた八甲田山に挑んだ。弘前は徳島大尉(高倉健)が率いる27人。青森は神田大尉(北大路欣也)率いる210人。徳島大尉は少数精鋭で案内人(秋吉久美子)に導かれ、自然と折り合いながらの行軍で全員帰還。しかし山田少佐(三國連太郎)が指揮を奪った神田隊は案内人も拒否して、自然を力でねじ伏せようと大寒波の中で遭難。生存者はわずかに12人だった。(追悼特別展「高倉健」図録より)

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