日本映画優秀賞「夜明けまでバス停で」 高橋伴明監督=尾籠章裕撮影

日本映画優秀賞「夜明けまでバス停で」 高橋伴明監督=尾籠章裕撮影

2023.2.10

日本映画優秀賞 高橋伴明監督「夜明けまでバス停で」 「若者も年寄りも、もっと怒れ」:第77回毎日映画コンクール

毎日映画コンクールは、1年間の優れた映画、活躍した映画人を広く顕彰する映画賞。終戦間もなく始まり、映画界を応援し続けている。第77回の受賞作・者が決まった。

勝田友巳

勝田友巳

ベテラン高橋伴明監督がぶつけた怒りは、世の中の共感を得て広がっている。監督作「夜明けまでバス停で」は多くの観客を集め、毎日映コンでも日本映画優秀賞である。現代日本のひずみやゆがみを写し取った問題作。ただし、まなじりを決してというのではなく、ひょうひょうと軽やかに。「難しいことは言いたくないんでね」と、伴明監督涼しい顔である。

映画の起点は、2020年11月、東京・幡ケ谷のバス停で路上生活をしていた女性が殺害された事件だった。高橋監督の「光の雨」に出演した板谷由夏が、もう一度一緒にと話を進めていた時に、脚本家の梶原阿貴がこの事件で映画をやりたがっていると伝わってきた。
 

明けまでバス停で」©2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

幡ケ谷バス停事件 最初は乗り気じゃなかった

高橋監督といえば大阪・三菱銀行人質事件がモデルの「TATOO <刺青>あり」(1982年)、連合赤軍事件を描いた「光の雨」(2001年)、「BOX 袴田事件 命とは」(10年)など、事件を題材とした作品を多く手がけてきた。しかしこの時は「今ひとつ、乗り気じゃなかった」と振り返る。犯人が女性を襲った理由が不明で、事件に背景がない。「よく分かんないまま殺された、明確な理由なく殺した、という2人の話にしかならんのかなと」
 
それでも梶原と話し合ううちに、被害者を死なせないという案が出た。「それで開けた気がした。実際にあった事件や人物から逸脱するのは難しい。でも殺さないと決めて、発想が自由になれた。要は、ウソがつけるということだよね」
 
現代社会の矛盾を三知子に仮託した梶原の初稿は「よくまとまってるけど、優等生っぽい。もっと壊そうよと」。後半で路上生活者に身を落とした三知子が、全共闘世代のバクダン、派手婆らと出会って社会への怒りを呼び覚ます展開となった。


 

「腹腹時計」 こんなこともあったんだぜ

元過激派闘士らしいバクダンは三知子に爆弾作りを持ちかけ、隠し持っていた「腹腹時計」を手渡す。「腹腹時計」は1970年代に出回った爆弾製造マニュアルで、学生運動に加わって大学を中退したという高橋監督の思いが垣間見える。「社会的抵抗の連想で、『腹腹時計』を思い出してね。現実には技術はもっと進んでいるけど、アナログ的な気分もあったし、こんなことあったんだぜと伝えたかった」
 
バクダンと三知子が境遇を話し合う場面がある。バクダンは、ベトナム反戦や三里塚闘争を振り返って「どうしたらよかったのかな」とつぶやき、「今の政治はクソまみれ」と憤る。一方で三知子は「こうなったのは自分のせい」と答えるが、「自己責任」の欺まんに気付き「一度ぐらい、ちゃんと逆らってみたい」と決意する。
 
「基本テーマは『怒れ』です。若い人に怒っていいんだぞと伝わればいいし、年寄りにも思い出してほしい」。70年代にピンク映画で名をはせ、刺激的な作品で世の中を刺激した高橋監督だが、近年は「赤い玉、」「痛くない死に方」などヒューマニズムを前面に出した映画が目立っていた。
 
「怒ってもいいことないと思って、そういう傾向の映画が多かった時期もあったけど、怒りがたまってきてね。元を正せば岸信介から、安倍晋三へとつながっている。何か言いたいよなと。同じ思いの人がいっぱいいたということじゃないかな」


 

誰にでも届く言葉で

コロナ禍では「痛くない死に方」が上映延期になるなど、影響を被った。「失職状態でしたよ。たまたま家はあったけど、ホームレスになってもしょうがない。三知子と通ずるものがありました」。とはいえ、過激な主張や表現はなく、三知子が作った時限爆弾もとぼけたオチがつく。「難しいことを言わず、ひねらないで、誰にも届く言葉で表現したかった」
 
もともと、不条理なことが大嫌い。高校時代、バンド活動をしていた上級生が理不尽な理由で退学させられたことに猛反発。「頭にきてね、どういうことだと教師を追っかけ回して、校長もつるし上げた」。危うく自身の退学は逃れたものの「そこから世間に目が向くようになって、2、3人と新聞を作って発信したりした。大学に入って学生運動にもすんなりつながったのかな」。
 
今の日本はおとなしい。大学で教べんも執ったが「もっと怒っていいという思いはありますね。自己責任という言葉は大っ嫌いだけど、生活の中で当たり前になってしまったのかな。政治が巧妙に、経済や教育と結びつけたのかもしれない」
 

どんな状況でも作れるわい

映画のエンドロールで一瞬、国会議事堂が爆発する映像が挿入される。選考では賛否の分かれた一場面だが、怒りの象徴だろう。実は完成直前、周囲のスタッフにも黙って挿入したのだという。「強い反対があればひっこめるつもりだったけど、なかったんで。周りは絶句してましたけどね」
 
企画から公開までほぼ1年。タイムリーなテーマを限られた条件で作品にし、時を逃さず世に出す。製作費は少なくても、メッセージと娯楽性は十分だ。ピンク映画以来培った、機動力と馬力は健在だ。「撮影は11日かな。予算はもっと欲しいし、ああしたいこうしたいはいっぱいあるけど、映画の育ちが悪いんでね。どんな状況でも作れるわいと思ってますよ」
 
次は戦争物を構想中という。「戦後すぐの社会をやりたいなと。昭和24年生まれでかすかな記憶があるだけ。でも、あの時代を忘れちゃいかんという気になってきた」。時代ものはお金がかかりそうだが。「バジェットによって話の内容は変わる。予算があれば闇市をやるし、なければちっちゃい世界に限定するとか」。手はたくさん用意している。

ライター
勝田友巳

勝田友巳

かつた・ともみ ひとシネマ編集長、毎日新聞学芸部専門記者。1965年生まれ。90年毎日新聞入社。学芸部で映画を担当し、毎日新聞で「シネマの週末」「映画のミカタ」、週刊エコノミストで「アートな時間」などを執筆。

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