「丘の上の本屋さん」©2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI.

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2023.3.01

イタリアの街並みの中で 読書が開く自由への扉 「丘の上の本屋さん」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

この文章が掲載されるのは3月ですが、先月2月はいい映画が目白押しで公開されました。どれも皆さんにご覧いただきたいので、せっかくですから短評を書かせてください。
 

「コンパートメントNo.6」© 2021 - Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY


恋愛劇になりそうでならない「コンパートメントNo.6」

フランソワ・オゾンの「すべてうまくいきますように」は生きる意志を失った父親の自殺を幇助(ほうじょ)するかどうかという選択に迫られた女性のお話。俳優のアンサンブルで見応えのある映画になりました。
 
「コンパートメント No.6」はフィンランドの留学生とロシア人の鉱山労働者が列車で出会う映画。そう申し上げると「ビフォア・サンライズ」みたいですが、ラブストーリーになりそうなのにそうはならない。その微妙な一線で女性が自分を再発見する映画に仕立てた監督の手際が見事でした。
 
既に広く絶賛されている「別れる決心」は確かにすごい。壊れた女が男を壊していくんですからフィルムノワールの定石通りですが、男の視点から女を描きながら男にも女にも寄り添って、突き放すことがない。だから悪い女とばかな男じゃなく、ばかな女とばかな男がともに追い込まれてゆくお話になりました。


「対峙」© 2020 7 ECCLES STREET LLC

人の死の重み感じる「対峙」「ワース 命の値段」

アメリカからは、暴力事件の犠牲者に目を向ける作品が届きました。ひとつは「対峙」、学校の銃乱射事件で、銃撃によって子どもを失った両親と、銃撃して後に自殺した子どもの両親が向かい合うという舞台劇のような映画ですが、演劇と違って映画はクローズアップができますから、顔だけで観客を引き込んでしまう力がある作品になりました。
 
もう一方は、同時多発テロ事件の犠牲者への補償基金を題材とする「ワース 命の値段」。人の命に値段をつけることをなんとも思わないシニカルな弁護士がひとりひとりの犠牲者に寄り添う人に変わってゆくところをマイケル・キートンが上手に演じています。私、「バットマン」の昔からマイケル・キートンが贔屓(ひいき)なんですが、年齢を重ねた後に出演した「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」や「スポットライト 世紀のスクープ」は、悪ガキみたいな昔のイメージを塗り替えて味のある俳優になりました。ニュース記事では暴力事件の犠牲者が死者何名なんて数字に押し込められてしまいますが、この2本の映画はどちらも遺族の姿を捉えることによって人が1人死んだことの重み、つらさを伝えてくれます。
 

「アラビアンナイト 三千年の願い」© 2022 KENNEDY MILLER MITCHELL TTYOL PTY LTD.

大作、ファンタジー、くせもの そして小品

まだまだあるんですよ。富裕層と貧困層の立場が逆転する「逆転のトライアングル」、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のジョージ・ミラーがティルダ・スウィントンを迎えてファンタジーに挑んだ「アラビアンナイト 三千年の願い」が並んでいます。
 
もうすぐ、やりたい放題の多次元ドラマなのにアカデミー賞最有力候補になった怪作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」も公開される。映画館に行くにはいい季節になりました。どれもご覧いただきたい作品ばかりですが、映画の面白いところは、大作や傑作の陰に、昔でいえば小品佳作という言葉がぴったりの、すごく小さな世界を描いたハートウオーミングな映画も公開されることです。見ていると心が洗われて、しっとり落ち着きを取り戻すような映画。「丘の上の本屋さん」はそんな作品です。


 「丘の上の本屋さん」©2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI.

小さな本屋に集まる人々

「丘の上の本屋さん」の舞台は、イタリアの町、チビテッラ・デル・トロント。丘の斜面に沿って石造りの家が建ち並んだその上のほうに道があって、そこに小さなカフェと古本屋さんが並んでいます。古本屋さんのなかでは、物静かな店主のおじいさんが本を読んでいます。おじいさんの名前はリベロ。イタリア語で自由という意味の言葉ですね。
 
お店にはいろいろなひとがやってきます。古本の出物があると売り込んでくる、ちょっと怪しげな男。昔自分が書いた本が見当たらないので探したい、出回ってはいないだろうかと繰り返し聞きに来る教授。隣のカフェでウエーターをしていて、ときどき店番もしてくれるニコラと、そのニコラが思いを寄せているキアラ。働いているお屋敷の女主人が求めているフォトコミックはないだろうかとお店に来るんですが、書架に並ぶのはセネカとかスピノザですからフォトコミックがあるはずもありません。
 

「丘の上の本屋さん」©2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI.


移民少年と老店主 分かっていながら心が動いた

この小さな古本屋さんの店頭を、ブルキナファソからやってきた移民の少年エシエンが訪れます。本が大好きなんですが、買うお金はない。そこでリベロはエシエンが来るたびに本を貸し、読み終えた本について問答をして、また新たな本を貸してあげる。最初はミッキーマウスのマンガからはじまりますが、それがピノッキオ、イソップ物語、「星の王子さま」と進み、とうとう「白鯨」をエシエンに貸すところまで行き着きます。「白鯨」なんて少年に無理じゃないかと私なんかは思うんですが、このエシエン、ちゃんと読むんですね。
 
見る前から古書店の老店主と少年の心が通う物語なんて紹介を聞いていました。いかにも感動を誘いそうな設定ですから心が動かないようにガードしてみたんですが、いえいえ、不覚にも感動してしまいました。そして、なぜ心が動いてしまったのか、考えてしまいました。
 

「丘の上の本屋さん」©2021 ASSOCIAZIONE CULTURALE IMAGO IMAGO FILM VIDEOPRODUZIONI.

背景に〝絶滅〟への諦観

イタリアの町が極端に美しく、お店にやってくる人がみんないい人だからということはあります。でも、鍵になるのは、本、そして読書ですね。知ることは自由を手にすること。本を読むことで書かれた言葉が心のなかに浮かび上がり、その言葉によって、読む前の自分よりも自由な存在になる。読むという経験を古い者が新しい者に教えることによって、自由な社会をつくり出してゆく。店主の名前がリベロ、自由なのは偶然じゃありません。老いたリベロは、エシエンに新しい世界を開く、先生の役割を果たしているわけです。
 
私は教員をしてきましたから、本によって新しい世界の窓口を若い人に伝えるのが仕事でした。それだけにこういうお話には弱いんですが、本も読書も、失われようとする世界の一部ではないかという暗い諦念がこの映画の背景にあるように思いました。いまでは古本屋さんばかりでなく本屋さんもずいぶん減ってしまいました。本を読むという行いそのものがアナクロニズムになりそうな危惧さえあります。書店が絶滅危惧種になってしまえば本という世界遺産を次代に残すことはできません。そんな危惧感があるからこそ、イタリアの美しい町の丘の上の、ちいさな古本屋さんが限りなく美しく切なく目に映りました。すばらしい映画の陰に隠れるような小品佳作をぜひご覧ください。

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ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。