©2023映画「春に散る」製作委員会

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2023.9.13

見どころはボクシングだけじゃない! ヒューマンドラマの金字塔「春に散る」

国際交流基金が選んだ世界の映画7人の1人である洪氏。海外で日本映画の普及に精力的に活動している同氏に、「芸術性と商業性が調和した世界中の新しい日本映画」のために、日本の映画界が取り組むべき行動を提案してもらいます。

洪相鉉

洪相鉉

「『人』が好きです。 そして、映画という媒体を通じてまさにその『人』を描き出す作業が好きです」
 
簡単そうに見えるが、実践はかなり難しい創作者の姿勢について穏やかながらも品のある口調で話していた巨匠を思い出す。2019(令和元)年10月、韓国ㆍ釜山広域市映画の殿堂のインタビュー室。釜山国際映画祭正式出品作「楽園」の瀬々敬久監督インタビュー。
 

筆者のキャリアとともに探る、瀬々敬久監督作品

2年連続の出品、さらにデビュー30周年だったため、彼にとっても特別な時間だったはずだが、筆者としても一生忘れられない席だった。初めて彼の作品に接したのは、それから19年前のこと。自分の後を継いで外交官になることを望んだ父の意思によって政治外交学修士号を取得、アメリカの国際関係学大学院の入学許可を得て留学を控えていたところ、突然演劇映画学科の学部に同期生より5歳も年上で入学、事実上、家族と絶縁されていた筆者は旅費もないため、いざとなったら野宿でもする覚悟で向かった第1回全州国際映画祭で「HYSTERIC」に出合った。 日本版「俺たちに明日はない」。 前作の「黒い下着の女 雷魚」のように衝撃的な素材を通俗的な映画では絶対に見られないタッチで描き出した彼の演出力は、スタートしたばかりの「アジアのサンダンス映画祭」への期待を抱ていた皆の胸を打った。その後、「RUSH!」「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」「ユダ」「サンクチュアリ」「ヘヴンズ ストーリー」まで通算6回にわたる全州国際映画祭への出品。筆者がパクㆍチャヌクの「渇き」に匹敵すると考えている「MOON CHILD」からは、アジア最大のジャンル映画フェスティバルの富川国際ファンタスティック映画祭への出品も続いた(「64-ロクヨン- 前編/後編」「なりゆきな魂、」「最低。」)。
 
そして、釜山国際映画祭で「アントキノイノチ」、アジアン・プロジェクト・マーケットのブライトㆍイーストㆍフィルムㆍアワード受賞に輝いた「菊とギロチン」を経て、3回目の正式出品作である「楽園」に至る間、筆者は演劇映画学科の学部を卒業し、映画理論で修士号を取得した。その後、広告界やメディア界などで活動し、富川国際ファンタスティック映画祭のプログラムアドバイザーになった(今は日本映画アドバイザー)。国際映画祭関係者として海外に日本映画を紹介するキャリアの中心に、いつも彼の作品があったと言っても過言ではない。そして紹介のたびに観客の熱い反応が伴ったことを振り返ってみると、彼は作品性と大衆性のいずれもおろそかにしない監督に違いない。さらに彼は今年9月4日で140回目を迎えた筆者の日本映画関係者インタビューでベスト10に入るインタビューイでもあった。作品は優れていても、それを演出論の側面で完璧に説明できる監督は多くない現実を考えれば、恐ろしいことである。

映画史に残る監督&俳優のコラボレーション「春に散る」

おそらく国内公開などのタイミング上の理由で国際映画祭のラインアップでは見られなかったが、断然今年の指折りの傑作と言える「春に散る」も彼が例の「デビュー30周年インタビュー」で言及した「瀬々敬久映画」の美徳がそのまま続いている。作品のホームページなどを見ながら、我々は今度「ミリオンダラーㆍベイビー」のような傑作のヒューマンドラマに出合えると期待している。もちろん、その予想通り、本編を見ると満足感は予想をはるかに超えているが、その結論まで達するプロセスで監督は「サムシング・モア」を披露している。
 
世の中の風景は一見均質に見えるが、もう少し近づいて見ると幾多の違いが現れるもの。瀬々監督は映画的叙事を構成しながら、この違いに注目する監督として有名だ。アメリカから帰ってきた往年のボクサーと、ある判定負けから戦意を失った若手ボクサーのバデームービーは、平易なドラマの設定を超える導入部から観客を没頭させる。そして、この吸引力を極大化させるのは俳優陣の演技力。本人も話しているが、監督はキャストに過度なディテールを求めない。それは俳優の創意性を発揮させるためだが、特に有能な役者はこういう監督に出会うと普段よりも解釈力と苦悩力が高まり、ドラマの完成度につながるキャラクターの構築を成し遂げる。この点を考えると俳優としての能力はもちろん、人間としての完成にも至っている佐藤浩市(広岡仁一役)と昨年筆者が全州国際映画祭で紹介した「流浪の月」という秀作で立体的なキャラクターを演じて話題を集めた横浜流星(黒木翔吾役)の組み合わせは、実に神の一手と言える。

 

ボクシング映画の枠を超え、社会と人間のあり方を描く

もうひとつ、瀬々監督は作品にいつも当代の時代像を適切に反映する一方、特有の社会的問題意識を加えることでより幅広い観客の心を動かしている。「春に散る」においてこれに当たるものは、いわゆる「限界集落問題」に対する描写だ。これは大分出身の監督の故郷の町でも起きていることらしいが、同作中で父親の死後上京する橋本環奈演じる広岡佳菜子(広岡仁一のめい)という人物が、その象徴として共感を引き出す。
 
最後に言及せざるを得ないのは「人間そのもの」に対する多面的な考察だ。「桜」が自分を喜んで投げ出す「特攻精神」より、まるでマーティンㆍブレストの「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」のように「生きてみる価値のある人生」への賛歌や希望を隠喩する映画を作るために監督が選ぶ道は「プロタゴニスト(protagonist)ㆍアンタゴニスト(antagonist)の対立」を設定するとしても、白黒の極端な対立構図に分けない包容的世界観を具現している。
 
以上のような「瀬々敬久映画」のストーリーテリングの装置が全て有機的に結合することで、「春に散る」は「原作モノ」を超える全く新しい作品として生まれ変わり、一般的な「ボクシング映画」の魅力以外にも人間の広い振幅に接する喜びを満喫させる映画体験を提供している。
 
エンドロールが上がっていたころ、筆者の頭の中にはちょうど20年前1月に公開され、筆者の人生映画となった「壬生義士伝」の佐藤浩市が思い浮かんだ。劇中で孫と大正時代の街を横切って「武士ならちゃんと歩け」というあの有名なせりふを読む彼は、20年後にまるでそのシーンの令和的解釈のような作品でシネフィルの胸を打つことを、誰が予想できただろうか。この感動のオーバーラップを現実化させてくれた「春に散る」の関係者の皆様に心より感謝申し上げたい。

ライター
洪相鉉

洪相鉉

ほん・さんひょん 韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。TBS主催DigCon6 Asia審査員。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大留学。パリ経済学校と共同プロジェクトを行った清水研究室所属。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは韓国トップクラスの人気を誇る。