ファーザー © NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF  CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION  TRADEMARK FATHER LIMITED  F COMME FILM  CINÉ-@  ORANGE STUDIO 2020

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2021.5.06

この1本:ファーザー 混濁する記憶を痛切に

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

アンソニー・ホプキンスのアカデミー賞主演男優賞も納得。彼の演技だけでも見る価値はあるが、もちろんそれだけではない。認知症を映画言語で体験させるという、知的で大胆な試みである。

ロンドンの瀟洒(しょうしゃ)なアパートに1人暮らしのアンソニー(ホプキンス)は、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が恋人とパリに行くと聞いて落胆する。アンは新しいヘルパーに任せると言うのだが、偏屈なアンソニーは前任者とケンカして追い出したばかりだ。新しいヘルパーのローラ(イモージェン・プーツ)がやってくると、愛想良く振る舞ったかと思えば不機嫌になったりと、アンは気が気でない。

アンソニーは知的でおしゃべり、少々気難しい老人なのだな。そう思って見ていると、アレ?と思うことが起き始める。アンの夫と名乗る男が唐突に現れ、パリに行くなんて聞いていないという。買い物から帰ってきたアンは、見知らぬ女になっている。アンソニーがしきりと会いたがるもう一人の娘は誰なのか。

スリラーかサスペンスかと、見ている方は混乱するが、それが狙い。フロリアン・ゼレール監督が自らの舞台を映画化したこの作品、時間と記憶が混濁するアンソニーの世界を映像化しているのだ。仕掛けは舞台と同様だが、映画は美術と画像に加えて、編集によって時間と空間を操作する。アンソニーとアンの一続きの会話の中で、部屋のしつらえがいつの間にか少しずつ変わっている。カットが変わると時間が逆行していて、同じ場面が微妙に異なって繰り返される。

ホプキンスの演技は、不確かな記憶の残像と共にあるアンソニーが現実とは別の場所に行ってしまったことを痛切に示した。愛する者を失う悲しみと無力感に、とらわれるのである。1時間37分。東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマほかで14日から。(勝)

ここに注目

映像化されたアンソニーの心象風景を見ていくうちに、彼の心の世界を体感し、時にどれが現実なのか分からなくなってしまう。これまでの認知症を題材にした映画と一線を画した視座と、スリルさえも感じる脚本、構成力に目を見張った。消えた時計や服装へのこだわり、錯乱して幼児化していく姿など、介護経験者でなくともうなずける場面も多く、アンの一挙手一投足や頰を伝う涙に激しく感情を揺さぶられる。ただ、あえて耐えがたいほどの症状、重い現実には迫っていない。精巧で美しい認知症映画といってもいいだろう。(鈴)

技あり

ベン・スミサード撮影監督は、認知症の進行を克明に見せた。終幕、朝の老人ホームの個室で、青灰色の壁を背景に、着古したTシャツ姿のアンソニーが、アンからの絵はがきを右手に、ティッシュを持った左手でこめかみをたたきながら、ここがどこで、自分が誰かを思い出そうとする。バストサイズから彼が一歩前に出ると、カメラもアップに。「ママを呼んで」と泣き出し、キャサリンにすがる芝居は絶賛もの。明暗比の強い画面を作り、話の展開につれて支配色を寒色系にし、認知症の人の寒々とした世界を作った撮り方が奏功した。(渡)