「ブレット・トレイン」の原作「マリアビートル」の作者、伊坂幸太郎=吉井理記撮影

「ブレット・トレイン」の原作「マリアビートル」の作者、伊坂幸太郎=吉井理記撮影

2022.8.29

インタビュー:「ブラピはぴったりはまってました」 「ブレット・トレイン」原作者・伊坂幸太郎が見た映画と小説の差

俳優デビューから35年、トップスターであり続けるブラッド・ピット。最新主演作「ブレット・トレイン」の公開に合わせ、その変わらぬ魅力を徹底分析。映画人としてのキャリアの変遷、切り口ごとのオススメ作品、人柄を感じさせるエピソードと、多面的に迫ります。

ひとしねま

吉井理記

ブラッド・ピット主演最新作「ブレット・トレイン」は米国では8月5日に公開され、すでに世界の累計興行収入が1億ドルを突破する大ヒットだ。その超大作の原作者としてクレジットされたのが作家の伊坂幸太郎。2010年刊行の小説「マリアビートル」(KADOKAWA)を、デビッド・リーチ監督がハリウッド流に仕立て直した。
 
試写を見た作家がまず一言。「いやあ、おもしろかったですね。内容は物騒だし、はちゃめちゃな感じなんですが、やっぱり映画ならでは。見てて楽しくて」
 

(C)2022 Columbia TriStar Marketing Group,Inc. All Rights Reserved.

「天道虫」が「レディバグ」に

原作の「マリアビートル」のあらすじをざっくり紹介しておこう。
 
舞台は東京から盛岡に疾走する東北新幹線。主人公の殺し屋で、とにかく運の悪い「天道虫」こと「七尾」が引き受けたのは、新幹線ひと駅分で済む簡単な仕事のはずだったが、その七尾に復讐(ふくしゅう)を誓う「狼」、すご腕コンビの「蜜柑(みかん)」と「檸檬(れもん)」、酒浸りの「木村」といったクセの強い同業者たちが同じ列車に乗り合わせる。そこに他人をおもちゃにすることに喜びを覚える邪悪な中学生「王子」も絡み、てんやわんやの大混乱に……という物語だ。
 
「ブレット・トレイン」もおおむね原作通りで話は進む。舞台を東京―京都の架空の超高速列車に置き換え、七尾役は頼りないイメージそのままに、英語で天道虫を意味する「レディバグ」に名を変えてブラピが、王子役は女子学生「プリンス」に姿を変え、ジョーイ・キングが演じる。
 
「小説のアイデアをかなり使ってくれていたので驚きました。最初は原作と同じなのは『新幹線の中で殺し屋が戦う』ぐらいかな、と思っていたので。個人的には、列車が盛岡行きではなくなった、というのはちょっと(東北在住者として、東北の人たちに)申し訳ないな、という思いはありましたが……」
 
そう。いくら話の流れはおおむね同じといっても、そこは活字と映画である。舞台や役名のほかにも違いはある。「一番の違いは王子の描き方だと思います。僕は王子を悪の象徴、比喩として描きましたが……」
 

「王子」から「プリンス」 「エンタメとしてよかった」

眉目(びもく)秀麗だが悪の権化のような中学生・王子は、原作では蔭の主役とも言うべき存在だ。「なぜ人を殺してはいけないのか」といった質問で大人たちを翻弄(ほんろう)し、同調圧力や集団心理を巧みに操って他人を追い込み、殺し屋さえも手玉に取る。
 
「小説を書いている時、そこは大事な箇所だと思って書いていたんです。特に同調圧力や集団心理は、戦争や恐ろしい事件を持ち出すまでもなく、人間の怖さの最たるものだと思ってきました」
 
だが、映画ではこうした場面は一切登場しない。「『プリンス』も、王子とは違って分かりやすい悪人として描かれていました。でも、エンターテインメントして、僕はこれで良かったと思う。小説は小説で、映画は映画で描くものがありますから。『なぜ人を殺してはいけないか』という日本ではよく投げられる問いも、宗教も哲学も違う諸外国で通用するか分かりませんし」
 
ページを何度も読み返し、文章や行間に込められた意味を自分なりに咀嚼(そしゃく)し、のみ込む作業が楽しい読書と、今回の「ブレット・トレイン」で言えば2時間6分の上映時間、ノンストップでアクションや殺し屋たちの駆け引きで魅了する映画との違いである。それぞれを楽しめばいい。
 

原作で死ぬのは殺し屋だけだが…

あえて付け加えれば、もう一つ、記者が気づいた大きな違いがある。映画では殺し屋たちはもちろん、それ以外の人たちも死ぬ場面が描かれる。結末では「大惨事」とも言える事態も待ち受ける。
 
だが、原作は、死ぬのは殺し屋たちに限られる。記者個人の感想で言えば、この仕事で時に人の生死に触れ、友人や後輩、親族を亡くす経験をしてから、人がやたらに死ぬ作品に触れることが少しつらい。特に子どもが生まれてから、映像でも活字でも、子どもが死ぬ描写は相当の苦痛を感じるようになった。
 
このことを話すと、伊坂さんもうなずいた。「よく分かります。僕も子どもが生まれてから、あまり人を死なせるのはやめよう、と思うようになったんです。だから『マリアビートル』を書く時も、作中で死ぬのは、殺し屋たちだけにしよう、と決めていたんです」
 
その作家のやさしさが通じたのか、アクション映画としては、人が死ぬ場面は「最小限」の部類だといっていい。それでも、記者は少しひっかかった。読者はどうお感じになるだろう。
 
さて、最後にブラピである。「実は最初、『主演はブラピに決まりました』とエージェントに聞いた時、つまらないジョークだな、と本気で受け取らなかったほど。それが本当だったんで、もう驚いて……。頼りない『七尾』に合うのかなあ、と思っていたんですが、さすが名優です。ぴったりハマっていました」とのこと。
 
映画も原作も、ともに楽しんでいただきたい。

ライター
ひとしねま

吉井理記

よしい・りき 毎日新聞記者