毎回、勝手に〝2本立て〟形式で映画を並べてご紹介する。共通項といってもさまざまだが、本連載で作品を結びつけるのは〝ディテール〟である。ある映画を見て、無関係な作品の似ている場面を思い出す──そんな意義のないたのしさを大事にしたい。また、未知の併映作への思いがけぬ熱狂、再見がもたらす新鮮な驚きなど、2本立て特有の幸福な体験を呼び起こしたいという思惑もある。同じ上映に参加する気持ちで、ぜひ組み合わせを試していただけたらうれしい。
2022.5.22
勝手に2本立て:「ティファニーで朝食を」 オードリー・ヘプバーンの図書館デート
カード目録で蔵書を検索
ある日、特にこれといった理由もなく突然に、「そういえは読んでいないな」と思いたち、ここのところはずっと小津安二郎研究で知られる田中眞澄の、古本についての著書ばかり読んでいた──「本読みの獣道」から「ふるほん行脚」(ともにみすず書房)へと刊行をさかのぼるように。これらの本は古書店めぐりがテーマゆえ、必然的に膨大な本を買いあさっている姿が印象に残ることになるが、そのじつ、田中は図書館を徹底的に活用する研究者でもあった。
自己管理が不得手で、借りた本は手つかずで返却日を迎えることが多々、最終的に「買わねば読めぬ」と諦めて、気がつけば手当たり次第に買っているという私からすると、耳が痛いことこのうえない……そんなことに思いを巡らせていたら、図書館が出てくる映画を見たくなった。
とはいえ、図書館が登場する映画は多く存在する。学校を舞台とする青春映画を見ると図書室場面があることは珍しくないし、刑務所映画でも図書係は頻繁に描かれる。そもそも図書館そのものを舞台とする映画(エミリオ・エステベス監督作「パブリック 図書館の奇跡」)や、主人公が図書館勤務というパターン(マイケル・ディナー監督作「オフビート」)もある。だから、すこし幅を狭める必要があろう。ということで今回は、数ある図書館場面のなかでもカード目録による検索システムが登場する映画を紹介したい。
ジョージ・ペパードの求愛も
真っ先に思い浮かんだのが「ティファニーで朝食を」(1961年)である。言わずと知れた、オードリー・ヘプバーン主演の〝名作〟だが、実のところほとんど記憶になかった。正直なところ「見たのは確かだが覚えていない」という事態は、なさけなくも珍しくない。
しかしそんななかで唯一覚えていたのが、ヘプバーン演じる主人公と、彼女に恋するスランプ作家(演じるのはジョージ・ペパード)の図書館デート場面。ペパードが図書館のカード目録による検索システムをヘプバーンに教え、じっさいに自著の目録カードを引き出してみせるのだ。あくまでこれはデートの一部に過ぎず、そう長い場面ではないのだが、のちに同じ図書館でペパードはヘプバーンに求愛することにもなる。
「J・エドガー」 レオナルド・ディカプリオのプロポーズ
さて、「ティファニーで朝食を」における図書館求愛展開を見ていて、さらに思い出したのがクリント・イーストウッド監督作「J・エドガー」(2011年)。同じくこちらも図書館求愛展開があるが、前者と違って「静かに!」と注意されたりはしない。舞台は国会図書館内だが、時間は深夜で閉館後。レオナルド・ディカプリオ演ずる主人公J・エドガー・フーバーは米連邦捜査局(FBI)の創設者なので、それゆえ入館が許されている。
J.エドガー© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.
通路両脇にはキャビネットがずらりと並び、数多(あまた)ある引き出しのひとつを開けると、そこには目録カードが詰まっていて、書名、著者名、主題ごとにアルファベット順で思い通りの情報を検索できる……フーバーはこの仕組みを得意げに語り、デート相手の秘書ヘレン・ガンディ(ナオミ・ワッツ)に時間を計らせて実演してみせる。とっさに言われた主題の書物を何秒で書棚から抜いてこられるか?
このあとフーバーは唐突に、明らかに時期尚早なプロポーズをし、やんわりと断られることになるのだが、以降ガンディは個人秘書として終生フーバーを仕事面で支えつづけることになり、斜め上の〝成就〟をみるのが面白い。また、のちに描かれるFBI独自の犯罪者情報管理法も図書館のカード目録システムを土台としているのは明らかで、この短い国会図書館場面は、以降のFBI隆盛展開の始点として位置づけられているといっていい。情報をコントロールする者が、世界を制するのである。
18世紀にはカードシステム化されていた
引っかかるのは、カード目録のシステムを紹介するさいにフーバーが「僕が発明した」(ちなみに吹き替え版では「僕のアイデアでね」と始まる)ことだ──噓(うそ)つきめ!
そもそもカード状の紙片は、古くから情報整理に活用されてきた。19世紀初期まで裏面が白紙だったことから、トランプ裏はメモとして用いられていたというし、当初は複数巻で製本されていた図書館目録も1780年ごろにはウィーンの宮廷図書館でカードシステム化されていたことが初期の例としてわかっている。アメリカでも、19世紀には図書目録がカード化し、1873年にメルビル・デューイによって創案された「図書十進分類法」と組み合わされてできたのが、いまに伝わるカード目録システムの祖なのである。
だから、フーバーは──図書館勤務の経験こそあるものの──仕組み自体を〝発明〟してはいない。映画を見進めると、彼には誇張癖があり、自らの功績を実際以上に偉大に見せようと細かな噓を頻繁に重ねている事実が提示されるが、これもその一環だろうか。
インターネットであらゆる情報の検索が可能になった現在、もはや図書館においてもカード目録を目にする機会は多くない。しかしだからこそ、ひかれてしまう。そして、どこかデジタルに移管しきれない側面もあったのではないかと思えてならない。
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