藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。
2022.12.01
産まない自由求め孤独な闘い 禁欲的表現で感情移入「あのこと」:いつでもシネマ
フランスでは長い間、人工妊娠中絶が法律で禁じられてきました。それが合法となったのは1975年のことに過ぎません。今回ご紹介する「あのこと」は、まだ堕胎が違法だった63年のフランスを舞台として、妊娠した学生が中絶を模索するという作品です。2021年にベネチア国際映画祭の最高賞、金獅子賞を受賞しました。
1963年、中絶非合法のフランスで妊娠した女学生
アンヌは、男の子の関心を引くことばかりを考えているようなクラスメートと違って、勉強ひと筋の大学生です。文学の研究を進めて将来は先生になることを目指していて、その学力は先生にも一目置かれている存在です。両親は上流階級の出身ではありませんが、だからこそアンヌが勉強に励んで将来を切り開き、自分たちと異なる暮らしをするように応援しています。
そのアンヌがお医者さんに見てもらったら、妊娠していることがわかって、アンヌは衝撃を受けます。赤ちゃんを産んだら、自分の望んでいた将来を手にすることはできない。アンヌは中絶しようと画策しますが、何といっても中絶は非合法の時代。追い詰められていくアンヌを追いかけるように映画は進みます。
原作は、ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの自伝的作品。菊地よしみ氏の邦訳があります。その原作でもそうなんですが、妊娠したと知ったアンヌは、中絶が必要だ、それが自分の選択だという判断にゆらぎがありません。アンヌの決意が固いからこそ、中絶を認めようとしない社会と正面から衝突するんですね。
巻き添え恐れ反発する友人たち
見ているのがつらくなる映画です。つらい理由の第一は、アンヌの孤独でしょう。将来に希望を持ち、それを実現する学力も持っているアンヌにとって妊娠は自分から未来を奪うできごと。産む自由があれば産まない自由もあるとアンヌは考えるわけですが、中絶という言葉どころか、その可能性に触れただけですさまじい反発を受ける。
お医者さんに言っても、問答無用のシャットアウトですし、大学のクラスメートも相談に乗ってくれません。それもみなさん、中絶には賛成できないという立場を取っているからというよりは、私を犯罪者にするのか、巻き添えにするな、という態度なんですね。
おまけに出てくる男がどうしようもない。男の知り合いに相談しても、アンヌと性行為をすることばっかり考えていて、役に立ちません。妊娠する原因になった相手の男に持ちかけても、中絶には反対しないものの、自分で手配しろ、ぼくには関係ないことだという態度。アンヌは徹底してひとりぼっちなんです。
テクニック封じ主人公に密着
それでもアンヌは中絶の可能性を模索し、それが難しいとわかると、自分で自分の体に力を加えて中絶を試みる。体に外部から加えられる力がドキュメンタリーのような臨場感をもって描かれている。見ている方は、そんなことやってもダメだ、けがするだけだとわかりますから、それだけ見ていてつらくなる。妊娠のことばかり考えてしまうアンヌは勉強にも関心が持てなくなってしまう。自分の将来として考えた計画も実現できなくなってゆきます。
ストレートな表現に終始する映画です。スクリーンの画面は、まるでアンヌの後ろからカメラが追いかけてゆくように、アンヌばかりを映し続けます。音楽もほとんど加えていません。つまり映画のテクニックと言えるものはすべて禁欲してつくられたような作品なんですが、おかげで観客はアンヌに感情移入して見るほかはなくなっちゃうんですね。中絶の試みが繰り返され、どんどんエスカレートするので、見るのがつらくなるんですが、まさにそれがこの映画の狙い。アンヌのつらさを観客が受け止めざるを得なくなるんです。
かつてないリアリティーで中絶描く
中絶を描いた映画はこれまでにもありました。そのなかでも私のお勧めは、07年にカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した「4ヶ月、3週と2日」です。映画の時間を現実の時間と重ね合わせ、主人公と観客を同時に追い詰めてゆくところなんかこの映画とそっくりですし、音楽を加えていない点でも共通点が見られます。
ただ、「4ヶ月、3週と2日」では中絶するのは主人公の友だちであって、本人ではありませんでした。でもこの映画では、中絶するのは本人。映画のなかでこれほどのリアリティーをもって中絶が表現されたのは初めてのことでしょう。ベネチア映画祭で最高賞を受賞したのも当然だと思います。
アンヌはこの映画で妊娠のことを女性だけがかかり、女性を主婦にしてしまう病だと言っています。産まない自由を求める、叫びのような言葉だといっていいでしょう。そして、70年代のフランスでは、中絶合法化を求める運動が展開しました。産まない自由を女性が勝ち取ることが、女性がその人権を手にするうえで貴重なステップなんですね。その過程は、アニエス・バルダ監督の名作「歌う女・歌わない女」にも描かれています。
右派台頭の中でよみがえる現代性
妊娠中絶が早くから認められていた日本ではリアリティーが感じられないかもしれませんし、日本に限らず今から見れば、アンヌの孤独な苦しみは過去のものになったかと思うかもしれません。でも、世界にはまだ中絶を認めない国がたくさんあります。
その端的な例がアメリカでしょう。73年に中絶を否定する法律は憲法に反するとする判断が最高裁判所によって下され、このロー対ウェイド事件の最高裁判決によって女性が妊娠中絶する権利が認められました。ところが判決後には反対する運動が高まり、共和党右派を中心として中絶反対を求める運動がアメリカ保守主義の一翼を担うことになりました。宗教保守の支持する候補が最高裁判事に任命された結果、とうとう22年には最高裁判所が判決を覆しました。中絶合法化ではなく、非合法化という流れが生まれています。
その流れの中で見るとき、アンヌの経験は過去の時代のできごとに押し込めることのできない現代性を帯びています。そして、つらい映像が続くとはいえ、映画を見た後で印象深いのは自分の意志を曲げないアンヌの姿勢です。私の人生は私自身のものだ。自分の将来と自分の肉体について外部から干渉や制約を受ける理由はない。アニー・エルノーの原作は主人公のストイックと呼びたいほど毅然(きぜん)とした決意のために印象的なんですが、映画もその強い意志を見事に表現しています。見た後に背筋が伸びるような作品でした。
東京・Bunkamuraル・シネマ、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで12月2日公開。