「戦争と女の顔」© Non-Stop Production, LLC, 2019

「戦争と女の顔」© Non-Stop Production, LLC, 2019

2022.7.19

今と重なる第二次大戦の傷 「戦争と女の顔」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから5カ月、戦争がどのような破壊と犠牲をもたらしているのか、考えずにはいられません。毎日毎日人々が殺され、負傷し、さらにトラウマ、精神的外傷を加えられてしまう。いたたまれない思いに襲われます。


帰還した女性兵士たち

戦争の傷は映画でも繰り返し描かれてきました。「国境の夜想曲」はシリア内戦後の人々の姿を描いたドキュメンタリーですが、戦闘がほぼ収束した後とはいえ、誰もが戦争のなかで生きることを強いられている。子どもの描く絵にも、人の殺される姿が当たり前のように登場していました。
 
とはいえ、戦争の傷というと、兵士ではない一般国民の受けた経験が中心でした。第二次大戦末期、生存の限界に追い詰められた日本軍兵士を主人公とする大岡昇平の「野火」は2回映画化され、そのどちらも傑作ですが、ここでは出てくるのは男ばかり。一般に兵士の経験が映画になるときは圧倒的に男性の経験に集中していました。戦争の与えたトラウマ、PTSDも、戦争の犠牲の中心として捉えた映画は比較的最近のことです。
 
ところがこの「戦争と女の顔」は、2人の元女性兵士が主人公。戦争のさなかではなく、兵士が帰還した後のお話ですが、これがきつい。見ているのがつらくなるほど、きついんです。


 

発作で動けなくなるイーヤ

映画冒頭、レニングラード、終戦直後の秋という文字が映ったすぐ後に出てくるのは、目を見開き、かすかに震えながら、棒立ちになった長身の女性。イーヤ、のっぽさんと呼びかけられても、反応を示しませんが、周りの人は発作でしょ、長いね、気にしてないけどなんて言うだけで驚いた様子がない。
 
とても長い場面ですが、やがて女性の目が動き、またたきをして、首を動かし、周りの人は、戻ったね、なんて言います。ここは病院、周りの人たちは看護師。イーヤと呼びかけられた女性も看護師なんですが、病気のために突然動けなくなってしまう発作が起こるんです。
 

まさかの展開 驚きも置き去り

映画は病院からイーヤの私生活に焦点を移します。イーヤはごく幼い子ども、パーシャを育てているんですが、パーシャと遊んでいて、ベッドで子どもを下にした状態の時、イーヤに発作が起こって動けなくなってしまう。この場面も長いんですが、何が起こっているのか観客がわからなかった映画冒頭とは違って、発作が治まらなければ子どもが窒息することが観客にはわかっていますから、いたたまれないほど見ていてこわい。
 
でも映画ですから、まさか窒息することなんかないだろうと期待して見てしまうわけですね。でも、そうならない。発作を起こしたイーヤの下敷きになってパーシャは死んでしまいます。
 
映画を見てこんなに驚いたのは久しぶりです。いくら映画でもやり過ぎじゃないかなんて映画を非難したい気持ちにさえなるんですが、そんな気持ちなんか横に置いて映画はスタスタ進んじゃう。実はパーシャ、外には自分の子どもであるようにいってきましたが、イーヤの子どもではなかった。一緒に従軍した女性、マーシャの子でして、まだ戦場にいるマーシャに代わってイーヤが育ててきたんです。


 

子ども亡くしたマーシャの予想外の反応

マーシャは帰還すると、イーヤにパーシャのことを尋ねます。この場面がまた長くて、イーヤはなかなか話そうとしないんですが、やがてパーシャが死んでしまったこと、自分に責任があることをマーシャに伝えます。そのときのマーシャの反応がまたびっくりなんですね。
 
だって、怒ったり泣いたりするのが当然じゃないですか。いかに戦友でも、自分の子どもを死なせちゃったんですから、詳しく聞き出したり、何でそんなことをしたのかと責めたり、子どもを失った悲しみを涙や叫びで表現したりという展開を予想するところですが、それがない。まるで、ない。その代わりに、踊りに行こうよとイーヤを誘うんです。まだまだ予想を越える展開が続きますが、紹介はこれくらいでとどめましょう。


 

キャラクターを深く掘り下げ

「戦争は女の顔をしていない」は兵士や看護師として第二次世界大戦に従軍した女性からの聞き取りを集めた、後にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービチの最初の著作です。女性の戦争経験に注目するだけでも独特ですが、登場する女性ひとりひとりの経験は、「戦争経験」などという枠に収めることができないほど生々しい。
 
ドイツ兵を殺すことにためらいがなくなったと述べる人がスターリンへの呪詛(じゅそ)を繰り返す人と並び、しかも誰もが戦争経験から自分を引き剝がすことができない。まだ読んでいない人にはすぐ本屋さんに行くことをお薦めしたい本です。
 
この映画を監督したカンテミール・バラーゴフも「戦争は女の顔をしていない」に示唆を受けたとのこと。でも、膨大な数の証言を収めた「戦争は女の顔をしていない」と違って、映画「戦争と女の顔」は2人の女性に焦点を絞っており、しかも映画の重心はイーヤからマーシャへと移ってゆく。キャラクターを掘り下げる、その深さが映画の特徴です。

きらびやかな技巧を駆使

バラーゴフ監督は、まだ30歳を超えたくらいですが、映画表現は若手とは思えません。赤と緑を中心とする色彩設計によってイーヤとマーシャの心象風景を描きだす。音楽を徹底的に排除することで感情移入を拒みつつ、所作によるきぬ擦れや低い声などの音を際立たせる。手持ちカメラを巧みに交ぜた長い長いショットを重ねながら顔のクローズアップを多用する。
 
「チェチェン アレクサンドラの旅」などで知られるアレクサンドル・ソクーロフのワークショップで映画を学んだとのことですが、きらびやかなほど多彩な映画技術の持ち主です。
 
ウクライナ侵攻の後、「戦争は女の顔をしていない」のスベトラーナ・アレクシエービチは戦争批判を繰り返し、日本のテレビにも登場しました。バラーゴフ監督もウクライナ侵攻を厳しく批判し、いまはロシアを出て、海外で活動しているとのこと。第二次世界大戦の傷が、いま続いている戦争の傷と重なり合って響いてくる映画です。
 
公開中。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

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