「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.14
毎日映コンの軌跡⑦ 女優賞逃した木暮実千代 選考、新人発掘にシフト
演技派の名前が並ぶ男優賞に対し、女優賞にはスターが目立つ。第2回(1947年度)から男女それぞれに演技賞が設けられ、第2、第3回は連続で田中絹代が受賞した。この後第12回まで、女優の主演賞は高峰秀子3回、原節子、山田五十鈴が各2回と、戦前からのスターが妍(けん)を競った。
この間“戦後派”で気を吐いたのが、京マチ子。「偽れる盛装」で第5回の主演賞を受賞した。
この年は、戦前からの大スターで「雪夫人絵図」「帰郷」に主演した木暮実千代が最有力と見られていた。第4回「青い山脈」で助演賞も受賞しており、木暮のおい、黒川鍾信(あつのぶ)の著した評伝によると、「帰郷」の原作者大佛(おさらぎ)次郎が声援を送りに木暮の自宅を訪れ、ファンクラブは祝賀会の準備までしていたという。
選考でも本命と目され、実際、当初は木暮が優勢だった。ところが討議が進むにつれ、次第に「そろそろ既成スターじゃなく、新人から選びたいという考え方が支配的に」なって形勢が逆転した。京は、大阪松竹歌劇団から前年、大映に引き抜かれ、鳴り物入りでデビューしたばかり。「羅生門」「偽れる盛装」での妖艶なたたずまいと演技が高く評価された。一方、賞を逃した木暮は大いに落胆した。黒川によれば、結果を知った木暮は「食事がノドを通らないほど落ち込んだ」という。
50年代後半になると、映画会社がこぞって新しいスター発掘に精を出す。第13回で宝塚から松竹に転じた淡島千景(「蛍火」「鰯(いわし)雲」)、第15回は松竹の撮影所でスカウトされて映画界入りした岸惠子(「おとうと」)、第17回は東宝のニューフェースとしてデビューした岡田茉莉子(「秋津温泉」など)が主演賞に選ばれ、世代交代が進んでいく。