小津安二郎監督=1951年

小津安二郎監督=1951年

2022.2.14

毎日映コンの軌跡③ 続く量産体制 スター監督が賞を分け合う

「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。

 第二次世界大戦が終わって、日本映画界は混乱の中でも息を吹き返した。撮影所は軍の統制から解放され、連合国軍総司令部は民主主義を注入しようと、啓蒙(けいもう)的、解放的な映画作りを指導した。

1946年にはシンガポールにいた小津安二郎が、47年には南方から吉村公三郎が復員してくる。「陸軍」が軍部の不興を買って不遇だった木下恵介、戦争中に「姿三四郎」でデビューしたものの思うような映画作りができなかった黒澤明も、一線に復帰。戦意高揚映画「望楼の決死隊」などを撮った今井正は、左翼に回帰した。慣れない主題と格闘しながらも、監督たちは張り切って映画を作った。いずれも30代から40代で、脂が乗り切っている時期だ。

東宝、松竹、大映に加え、新東宝、東横(東映の前身)も製作を開始。50年代には量産体制に入り、日本映画の黄金時代へ駆け上がっていく。そんな中、毎日映画コンクールは回を重ねていった。

第2回(47年)の日本映画賞は、五所平之助監督の恋愛映画「今ひとたびの」。吉村による戦後の貴族の没落を描いた「安城家の舞踏会」と争った。監督賞は「素晴らしき日曜日」の黒澤。第3回(48年)は黒澤の「酔いどれ天使」が日本映画賞、「女」などの木下が監督賞。第4回(49年)は小津の「晩春」が日本映画賞と監督、脚本賞を制した。第5回(50年)は今井の「また逢(あ)う日まで」が日本映画賞、監督賞は「偽れる盛装」の吉村である。スター監督が覇を競うように賞を分け合う。

フィルムなど物資は不足がち、電力供給も不安定な中で、映画は人気に応えて量産体制が続く。そして大衆的な娯楽作に交じって、日本映画史に残る秀作が作られた。

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