「デッドレコニング」のアクションを際立たせた小道具がつなぐ小津安二郎:勝手に2本立て
ときたま、古い映画雑誌──たとえばインターネット普及以前のもの──をぱらぱらとめくっていると驚いてしまうことがある。そこには、当然のように「ただの酷評」が頻繁に掲載されているのだ。そういうとき、1997年生まれの私は「そうか、かつてはそうだったのだな」と思わずにいられない。 それに比べると、映画媒体で単なる酷評を目にする機会はずいぶん減ったような気がする。インターネットを立ち上げれば、鑑賞者による忌憚(きたん)ない賛否があふれていて幾らでも読むことができるのだから、わざわざネガティブな表明をする必要もなかろうということかもしれないが、一介の映画好きとしては、どこか寂しくもある。映画そのもの...

髙橋佑弥
2023.8.06