美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区の横尾さんのアトリエで2015年10月14日小田貴月さん撮影

美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区の横尾さんのアトリエで2015年10月14日小田貴月さん撮影

2022.4.22

「礼節が大切」実践した人 高倉健 対談:横尾忠則、東京ステーションギャラリー冨田章館長

2021年に生誕90周年を迎えた高倉健は、昭和・平成にわたり205本の映画に出演しました。毎日新聞社は、3回忌の2016年から約2年全国10か所で追悼特別展「高倉健」を開催しました。その縁からひとシネマでは高倉健を次世代に語り継ぐ企画を随時掲載します。
Ken Takakura for the future generations.
神格化された高倉健より、健さんと慕われたあの姿を次世代に伝えられればと思っています。

鈴木隆

鈴木隆

「美術館から見た高倉健」と題して、追悼特別展「高倉健」巡回の美術館の学芸員から見た高倉健やその作品を語った記事を再掲載します。まず、初回は美術家の横尾忠則さんと東京ステーションギャラリー冨田章館長の対談です。
掲載:2015年11月10日
 
毎日新聞社は16年11月から、俳優・高倉健さんを追悼する特別巡回展を東京ステーションギャラリーを皮切りに日本各地で開催する。美術家の横尾忠則さんがアートディレクターに就任し、高倉さんの養女・小田貴月(たか)さんとともに作り上げる大規模な展覧会だ。高倉さんと深い親交があった横尾さんに2人のエピソードや特別展への構想を語ってもらった。聞き手は同ギャラリーの冨田章館長。
 
 冨田 健さんとの関わりについてお話しいただけますか。
 
横尾 最初は「日本俠客(きょうかく)伝」だと思うんですよ。それから健さんの映画を連続的に見るようになって「ぜひ健さんに会ってみたい」という気持ちが盛り上がって。ある時「会ってもいい」と連絡をもらったんです。
 
冨田 (会ったのは東京・赤坂にあった)ホテルニュージャパンですね。
 
横尾 1階の喫茶室でした。会った時、パネル貼りした写真をもらったんです。健さんが後ろ向きでドスを持って、背中に入れ墨をしてる写真。僕の名前入りでサインまでしてあって、感動しましたねえ。

東京ステーションギャラリー館長の冨田章さん=東京都世田谷区の横尾さんのアトリエで2015年10月14日、関口純撮影
 

「切ないね」感情凝縮

冨田 健さんのどこが良かったんですか。
 
横尾 言葉でそれなりのことは言えるんですけど、感じるものっていうのは簡単に言葉に置き換えられないんですよ。「いいね」。これだけです。
 
冨田 分かる気がします。健さんと長い交流が続いたわけですが、印象に残るエピソードはありますか。
 
横尾 ありますけど、健さんが存命だったら「余計なこと言わなくていいでしょ」と言われそうです(笑い)。ある夜、事務所で一人仕事をしてたんですよ。そうしたら健さんが入って来られた。長旅をしてたっていう雰囲気なんですよ。無精ひげを伸ばして、オーラ消しちゃった感じで、しみじみ語られました。ぼそっ、ぼそっと、言葉をかみ締めながらね。夜、北陸を車で走ってたら海岸で夫婦が車の外で痴話げんかをしてた。そんな光景は「見てて切ないですね」って。それだけ。「切ないですね」っていう言葉に、ものすごい感情が凝縮されてて。
 
冨田 ううーん。
 
横尾 やくざ映画に食傷気味になったような雰囲気で来られたこともあります。打ち切ってもいいんじゃないかと。まだ世間は、それを求めていないし、僕もいつまでもやってくださいみたいな気持ちがあったわけですよ。でも、健さんの中では別の時間と感情が流れてた。それで僕が「じゃあ、どんな映画を作りたいんですか」って言ったら、しばらく考えて突然ルルーシュの「男と女」、ああいう映画がいいねって。
 
冨田 そんなことがあったんですね。

横尾 僕の中では、やくざ映画イコール高倉健だったから、突然ルルーシュが来ちゃうとさ、「困ったな」と思ってね(笑い)。ビートルズが突然インドに行くと言った時びっくりしたけど、同じような感じを受けて。やがて第2ステージ、「幸福の黄色いハンカチ」とか全く違う健さんになっていくんですけどね。
 
冨田 健さんも横尾さんも表現をする人。共通点を感じることはありますか。
 
横尾 僕は(作家の)三島(由紀夫)さんからこんこんと言われたんです、「芸術家に一番必要なものは礼節だ」って。その言葉を健さんが実践してらした。そこが共通点かな。健さんが「三島由紀夫の映画を撮りたい。ついては三島夫人に声をかけたい」という話をされたことがあって、僕が目の前で夫人に電話したんです。そうしたら、夫人は「高倉さんが映画をお撮りになろうとしてらっしゃるんですか」って。「ご本人に会って聞いてください」と言うと「高倉さんが主人の自伝的映画を撮ろうとしてらっしゃるんでしたらお断りします」。健さんに伝えるとしばらく沈黙された。で、長年温めてきたのに突然「この映画はやめます」と言いました。僕は「礼節ってこういうものだ」と思わず感じました。
 

回顧展を超えて

冨田 健さんの展覧会の話を聞いた時驚いたんです。「なぜ美術館で?」と。でも、いろいろ考えてやってみようと。その時、横尾さんに関わってもらうことで、一つ意味合いを持たせられると思ったんです。単なる回顧展ではなくて、高倉健へのオマージュ(敬意)というか。
 
横尾 僕の個人的な気持ちを離れたところで高倉健を表現できないかと考えています。ぎりぎりになった時に、何かの力が働くのを期待している。健さんの想念や、みなさんの力です。

冨田 みなさん健さんに熱い思いを持っている。いろんな人の思いが一つになれば面白いなと思うんですよ。
 
横尾 僕は一人の作家として物を作る時には、作品が批評になってないと意味がないと思っているんです。映画監督が映画を作る時、映画の歴史の文脈の上に立って映画を批評するような映画ってあるじゃないですか。それはやっぱり傑作ですよ。
 
冨田 すごく重要な視点ですね。ところで、健さんといる時は心地よかったですか。
 
横尾 心地いいっていうか、幸せな感じかな。健さんが来られるというのが分かれば、その日は一日幸せ。帰られた後も何か幸せな空気が……という方です。今この瞬間でも、どこかの誰かと誰かが健さんの話をしてますよ、幸せな気分で。(特別展では)見る人の感性と知性を試すような、何かができるといいですよね。
 
冨田 そうですね。来た人に直感で感じてもらえるようなものができればと思います。
 
 

出発は東京駅

特別展では、幅広い人々に愛された高倉健さんの生涯を残された多くの資料と映像、愛用の品々でたどる。
展示は大きく分けて2部で構成。第1部は、映画俳優としての高倉さんの歩みを再現する。出演映画の映像、ポスター、写真……。主な作品をピックアップし、本人の書き込みの入った台本なども展示する。
 
第2部では、アートディレクターを務める横尾忠則さんが高倉さんの魅力を引き出す。高倉さんが愛用した品々を美術的な視点を加えて空間展示し、新たな「高倉健」を表現する。映画俳優をアートにする斬新で実験的な試みを通して、高倉さんの実像に迫っていく。
 
高倉さんが亡くなってから10日で1年。これまで高倉さんの遺志により、葬儀やお別れの会などは一切行われなかった。だから、特別展には、東京駅(東京ステーションギャラリー)から、旅好きな健さんが全国へとお別れの旅に出るという意味合いも込められている。
 
東京からまず向かうのは故郷・北九州。次いで「網走番外地」シリーズや「駅 STATION」など多くの作品の舞台となった北海道。道内各地をめぐった後、日本各地を巡回する予定だ。

ライター
鈴木隆

鈴木隆

すずき・たかし 元毎日新聞記者。1957年神奈川県生まれ。書店勤務、雑誌記者、経済紙記者を経て毎日新聞入社。千葉支局、中部本社経済部などの後、学芸部で映画を担当。著書に俳優、原田美枝子さんの聞き書き「俳優 原田美枝子ー映画に生きて生かされて」。

カメラマン
ひとしねま

小田貴月

高倉プロモーション代表取締役社長

カメラマン
ひとしねま

関口純

毎日新聞社アーカイブセンター