第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。
2022.7.20
「ゴツッとした映画でいい」村上淳が「島守の塔」に携わる最大限の敬意
経験を捨てる〝引き算〟で挑んだ現場
村上淳さんは沖縄県警察部長の荒井退造を演じた。荒井は1943年の沖縄県警察部長就任以降、県民の疎開を先頭に立って進めた。島田叡知事が着任してからは二人三脚で奔走し、45年3月までに7万3000人が県外に疎開。米軍上陸後も戦闘が激しい島南部から北部に多くの県民を避難させた。
荒井を演じるために最初に沖縄の空港に降り立ったときから、村上さんの目に映る景色は違っていた。「意識の問題でしょうが、『島守』を撮る、沖縄戦を撮るんだ」という覚悟を持って現場に臨んだ。
しかし、撮影は4日撮っただけでコロナ禍で中断。1年8カ月後に再開となった。「僕たち俳優やスタッフはその間、一旦「島守」を置いて他の仕事をした。でも五十嵐匠監督は、その間も俳優やスタッフ、登場人物のことを考え続けていたんです」。五十嵐監督の言葉や音量、言葉じりなど、コロナ前にも増して丁寧で切実になったと振り返る。演出の戸惑いや萎縮なども一切なかったという。「何を聞いてもキャパシティーがあり、ディスカッションもできて皆が納得してカメラが回った。理想的な現場でした」。五十嵐監督の途方もない優しさと執念を感じた。「終盤の雨に打たれるシーンは、1年半前にはなかった。シーンが増えて、戦争をきちんと撮ろうという気概にあふれていました」
沖縄でのロケーションが、一層「覚悟」を引き立たせた。多くの県民が非業の死を遂げた「ガマ」での撮影は、動物的な感性を刺激し恐ろしさを実感した。「そこに逃げて隠れていた人間を演じるというつもりで見ると、強く心に感じるものがありました」。観光やツアーでガマに接したときの「一定の恐怖や違和感とはまったく異なるもの」だったようだ。
「セットの撮影でも、カメラに対してこういうポジションを取ると自分はこう映る、とかある程度分かりますが、この作品ではそうした経験をほとんど捨てました」。役者生活30年のベテラン。演技の引き出しや技術はいくつも持ち合わせていたはずだが、本作ではあえて使わなかった。「不器用とか下手に映ってもそれでいいと思いました。うまく見える必要がないからです。真っすぐにぶつからないと成立しないだろうという感覚がありました」。その点では、現場で手探りだった。「できる限り、ステレオタイプのものにはしないように考えました」
その真意はこうだ。「そのくらいゴツッとしていて、ザラつきのある映画でいいんじゃないか。ツルツルとした映画である必要はない。もしかしたら、不器用とか下手と言われるかもしれないけれど、その引き算が僕がこの作品に携わる最大限の敬意です。これだけのことが起きて、これだけ大勢の人の生き死にがあったのだから、むしろ、ゴツッとしているべきだと考えました」
〝重たい映画〟とエンタメのはざまで
実は、取材の途中で村上さんは「この作品の取材は非常に難しい」と何度か口にしていた。「取材や撮影のときも、今回は特にポップな言葉は使いませんでした」。その理由をこう語る。「ポップにしたほうが入り口が広がる。入り口が広がるということは、分母が広がるのでより多くの人に見ていただけるんじゃないかと思うんですが……」
新型コロナウイルスも「無関係ではない」と話した。ある一定の年齢層の方々が「映画館に難しい作品を見に行きたくないというのもよく分かります。難しいものを求めていないのも分かる。僕もそういうときがあるから」と理解を示す。
「シンプルにいい作品ができたのでぜひ見てくださいと言いたいが、観客の方々と一緒に悩んで考えていきたいという気持ちがありました」。映画はエンターテインメントや娯楽でもあるわけで、村上さんが「難しい」という思いが伝わってくる。
「難しい映画でしょう」とか「重たい内容の映画でしょう」と言われたら、それは否定できない。「実際に、難しいかも」とも感じている。それでも、「見て考えてほしい作品でもあるわけで、国内の地上戦であれだけの犠牲者を出した戦争を描いた作品を、一緒に考えてみようよ」とあらゆる世代の人たちに言いたい。
「ある種の人間の尊厳が描かれている美しい作品であることは間違いない」。一つ一つの言葉をかみしめるように話す姿に、作品への思い、沖縄に対する考えの深さが刻まれている。
もう一つ付け加えてくれた。「この作品は『いい』というほど、悲しくなってしまう。悲しいシーンがいいと言われる」とした上で、「救いがあるとすれば、女優たちの輝きです」と明快に話した。「初めて見るような女優さんたちがすばらしい。女性がすごく輝いて見えたということは、ある種の救いだったと感じました」。