「毎日映画コンクール」は1946年、戦後の映画界復興の後押しをしようと始まりました。現在では、作品、俳優、スタッフ、アニメーション、ドキュメンタリーと、幅広い部門で賞を選出し、映画界の1年を顕彰しています。日本で最も古い映画賞の一つの歴史を、振り返ります。毎日新聞とデジタル毎日新聞に、2015年に連載されました。
2022.2.14
毎日映コンの軌跡⑧ 女優賞の顔ぶれ 1970年代の斜陽化以降、個性的に
女優賞受賞者は、映画が斜陽化した1970年代以降、次第に個性的な顔ぶれが増えていく。映画会社の専属制は崩れ、撮影所体制も崩壊。自前のスターを育成できなくなって、映画界の外に人材を求めるようになっていた。
女優主演賞を見ると、第31回「あにいもうと」の秋吉久美子は公募オーディションで芸能界入りのきっかけをつかみ、第34回「もう頰づえはつかない」の桃井かおりは、文学座から映画界へ入った。両者とも、アイドル風の媚(こ)びや猫かぶりとは無縁、素のままのような演技が“シラケ”世代の象徴のように見なされた。
第33回「曽根崎心中」の梶芽衣子は、撮影所出身の最後の世代。日活にスカウトされて入社し、東映に転じて「女囚さそり」シリーズなどがヒットするものの撮影所は先細りする中、独立プロでの増村保造監督作品で演技開眼。受賞に「賞が欲しかった」と喜び、本格女優としての一歩を踏み出した。
第41回「火宅の人」などのいしだあゆみ、第43回「快盗ルビイ」の小泉今日子はアイドル歌手から女優に転身。人気歌手を主役に起用したアイドル映画は映画界の定石だが、ともにそこにとどまらぬ確かな演技力を見せている。桃井は第52回「東京夜曲」などで、小泉も第66回「毎日かあさん」で、いずれも再受賞するなど、現在に至る活躍は周知の通りである。
外国人で唯一の受賞者は、第48回「月はどっちに出ている」のフィリピン人、ルビー・モレノ。当時のラモス大統領から「祖国を後にする困難な道を選んだ全てのフィリピン人女性の威厳を高めるだろう」との祝辞が届いた。
ちなみに、これまでの女優賞の最年少は第75回で助演の蒔田蒔珠の18歳、最高齢は第68回主演の赤木春恵の89歳だ。