6月10日都内にて=撮影・下元優子

6月10日都内にて=撮影・下元優子

2022.7.21

インタビュー:彼は「どう生きたのか――」 萩原聖人が具現する戦時下の沖縄県知事:「島守の塔」

第二次世界大戦中の最後の官選沖縄知事・島田叡、警察部長・荒井退造を主人公とした「島守の塔」(毎日新聞社など製作委員会)が公開される(シネスイッチ銀座公開中、8月5日より栃木、兵庫、沖縄、他全国順次公開)。終戦から77年、沖縄返還から50年。日本の戦争体験者が減りつつある一方で、ウクライナでの戦争は毎日のように報じられている。島田が残した「生きろ」のメッセージは、今どう受け止められるのか。「島守の塔」を通して、ひとシネマ流に戦争を考える。

及川静

及川静

沖縄県南部に位置する糸満市摩文仁(まぶに)の丘に、平和祈念公園がある。そこは日本で最大の地上戦が行われた沖縄戦の終焉(しゅうえん)の地で、美しい海岸線には沖縄戦で亡くなった戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る数々のモニュメントが建立されている。そして、そのなかには消息を絶つ最後の最後まで「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」と訴え続けた、当時の沖縄県知事・島田叡(兵庫県出身)と沖縄県警察部長の荒井退造(栃木県出身)、2人の名前が刻まれた碑も建てられている。
 
7月22日(金)よりシネスイッチ銀座、他全国順次公開される映画「島守の塔」は、命を懸けて沖縄の人々を守ろうと奮闘したこの2人の島守と沖縄の人々の物語で、知事の島田叡を萩原聖人、警察部長の荒井退造を村上淳、そして、沖縄出身の比嘉凜の娘時代を吉岡里帆、後年を香川京子が熱演している。
 
コロナ禍の影響で撮影が延期となったことで、くしくも沖縄本土復帰50周年の2022年に公開となった「島守の塔」について、島田を演じる萩原聖人に話を聞いた。


 

島田の内面を考え抜き、演じながらアップデート

島田叡役は萩原聖人と強く推したのは、監督の五十嵐匠。それを聞いた萩原は、最初は戸惑ったようだ。
「五十嵐監督が島田役は僕にと、こだわってキャスティングしてくださったのですが、最初は自分自身どの辺りが島田と通ずるのかわかりませんでした。でも、監督にお会いして話をしていくなかで前を向くことができましたし、監督の情熱が伝わってきてとてもうれしかったです。また同時に、この映画は大きな責任を伴う作品になると思いました」

 
島田叡は、昭和20年の米軍が沖縄に上陸する直前に沖縄県知事となった人物。着任後、沖縄での地上戦が始まり、人々が混乱するなか、県庁が解散するまでの約5カ月間、県民を守るために尽力した。戦時下にもかかわらず地元の人々と踊ったり、笑わせたりするなど意外性のある人物だったという。
 
「人物像を知るために、脚本に加えて残っている資料や映像を見たりしました。脚本で描かれている通りの明るい人柄であると同時に、責任感の強い男でもあったと思います。しかし、人間はそれだけじゃ語り尽くせないところがありますよね? ですから、内心ではどういう思いだったのかということを考えたりしました」
 
萩原は島田を理解するために、物語の表層では見えない奥深くにある思いに近付いていった。
「演じながら感じたことですが、島田さんは過酷な現実を理解した上で〝生きるため〟に沖縄へ行き、そして家族にもう一度会えると信じていたのではないかと思いました。しかし島田さんが家族について話すシーンがなかったので、監督に相談し、荒井退造さん(村上淳)と故郷について話すシーンを考えていただきました。でも、そこでも島田さんは家族に会いたいと言わない。もしかしたら、それを言った瞬間に全てが崩れてしまうからではないか? 島田さんとはそういう男だったのではないかとも思いました」

 

「生きる」ことを考えさせる、使命を授かった作品

戦時下の厳しい状況を生き抜くのは、芝居といえども精神的に追い詰められたはずだ。しかし、萩原はまた違ったところで苦労を重ねたという。
「神戸弁にとても苦労しました。セリフの意味や思いを考える以前にそのハードルが立ちはだかり、方言監修の方に「今のヘンでした?」と毎回確認していました。それは沖縄弁を話す比嘉凜役の吉岡里帆さんも同じだったと思います。沖縄弁と神戸弁で話すシーンではどちらかがどちらかに引きずられて、よくおかしなことになっていました」

 
しかし、撮影が4日目に突入した日。現場に暗雲が垂れこめる。コロナの影響で撮影の中断が決まったのだ。
「これからというときでしたが、賢明な判断だったのではないかと思います。それに監督の執念と情熱を感じていたので、絶対に再開すると思っていました。とても不利な環境下でこうして撮り切ることができたのは、監督の思いによるところが大きい。監督の執念や情熱は、島田さんが抱いていたものと通ずるところがあるように感じます」
 
そう萩原が言う通り、撮影は1年8カ月後に再開されることが決まった。
「正直、緊張しました。1年8カ月というのは結構な時間ですので、気持ちやつながりを考えたり、神戸弁を思い出したり。ただ再開初日は大雨のなか、みんなを逃がす大変なシーンの撮影だったので、余計なことを考えている暇はありませんでした。かなり寒い日だったのですが、寒さを感じる間もないほど。ただ、それは島田さんや荒井さんも同じだったのではないかと思いました。使命が一番にあると、つらいとか大変だということを感じる間がなかったのではないか。そうじゃないと、あの状況を乗り越えるのは、無理だったのではないかと思います」
 
しかし、撮影が延期されたことで、公開が沖縄本土復帰50周年の年と重なり、さらにはロシアがウクライナに侵攻したことで、作品が持つ重みがより一層増すことになった。
「戦争がクローズアップされた状況で見ると意味合いが全然違って、映画との距離感が変わるなと思いました。このような中でこの映画を見た後に、『命どぅ宝(命こそ宝)』のように『生きる』ことについて考えたら、明日から何かが変わるかもしれない。この映画はそういうエネルギーを持っている作品だと思いますので、心でしか感じられないメッセージが伝わったらいいなと思います」

ライター
及川静

及川静

おいかわ・しずか 北海道生まれ、神奈川県育ち。
エンターテインメント系ライター
編集プロダクションを経て、1998年よりフリーの編集ライターに。雑誌「ザテレビジョン」(KADOKAWA)、「日経エンタテインメント!海外ドラマ スペシャル」(日経BP)などで執筆。WEBザテレビジョン「連載:坂東龍汰の推しごとパパラッチ」、Walkerplus「♡さゆりの超節約ごはん」を担当中。

カメラマン
下元優子

下元優子

1981年生まれ。写真家。東京都出身。公益社団法人日本広告写真家協会APA正会員。写真家HASEO氏に師事