手紙と線路と小さな奇跡 © 2021 LOTTE ENTERTAINMENT & BLOSSOM PICTURES CO., LTD. All Rights Reserved.

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2022.4.28

先取り! 深掘り! 推しの韓流:「手紙と線路と小さな奇跡」 80年代の韓国を再現し、あふれる幸福感 

映画でも配信でも、魅力的な作品を次々と送り出す韓国。これから公開、あるいは配信中の映画、シリーズの見どころ、注目の俳優を紹介。強力作品を生み出す製作現場の裏話も、現地からお伝えします。熱心なファンはもちろん、これから見るという方に、ひとシネマが最新情報をお届けします。

小田香

小田香

先取り! 深掘り! 推しの韓流

簡易駅の実話モチーフの〝ニュートロ〟作品

韓国では少し前から、若い世代がレトロ趣味を自分たちの感覚で楽しむ〝ニュートロ文化〟が流行している。日本で昭和を懐かしむような感覚に近いのかもしれない。1980年代の地方を舞台にした「手紙と線路と小さな奇跡」は、そんなレトロな空気があふれる中、昔から韓国で映画やドラマの題材となってきた〝簡易駅〟にまつわる実話をモチーフに、1人の若者の夢と成長や家族愛を温かく描いている。
 


慶尚北道奉化郡の山奥の村に暮らす少年ジュンギョンは、簡易駅の開設を求めて大統領に手紙を書き続ける。道路がないため、町へ出るには線路を歩いて、いくつものトンネルや鉄橋を越えなければならない厳しい生活を変えるのが彼の夢だ。彼の努力が実って駅ができるまでの過程は興味深いが、それ以上に心を動かされたのは、新たな出会いによってジュンギョンの世界が少しずつ開けていく様子だった。
 
ジュンギョンが高校に入学したのは、ソウル・オリンピック開催を2年後に控えた86年。都会では開発が進み、学生が民主化運動に明け暮れても、地方の高校生の彼にはほとんど関係がないようで、入学後もせっせと嘆願書を出す毎日が続く。そんなジュンギョンの天才性を見いだした同級生のラヒが、その夢を応援したいと、自分が彼の「女神(ミューズ)になる!」と宣言。ラヒにリードされて始まる彼らの青春の恋模様がなんともほほ笑ましい。
 

「エンドレス・ラブ」、デッキに絡まるビデオテープ…

中でも、親の不在中にラヒがジュンギョンを家に誘う一連の場面には笑わされる。この時ラヒが見ようと用意したVHS作品は、81年のアメリカ映画「エンドレス・ラブ」。ラヒはこれを「エロ」と呼ぶが、確かにこの映画のラブシーンは、韓国の高校生である彼らには刺激が大きかったかも。VHSを取り出そうとしてデッキに絡まってしまい、テープがヨレヨレになってしまうという体験は、誰でも一度はしているのでは(と言っても、若い世代にはピンとこないか……)。
 
こうした場面をはじめ、時代を映し出すノスタルジックな風物や光景がふんだんに登場するのが、この映画の楽しいところ。ジュンギョンがラヒに声のメッセージを送るため、中古のカセットテープの四角い穴をセロハンテープでふさいで再録音しようとする場面には、韓国でも同じだったんだなぁと、彼との距離がぐっと近くなったように感じた。彼らの恋を取り巻く懐かしさいっぱいの細やかな描写に、ほのぼのとした思いにさせられる。
 
実を言えば、見る前はパク・ジョンミンとイム・ユナという組み合わせは、ちょっと意外なキャスティングだと感じられた。だが、数学や物理の天才でも一般常識には疎く、どこかヌケている不器用なジュンギョンと、彼を積極的に引っ張っていくハツラツとしたラヒを見ていると、彼らのほかには思い浮かばなくなってくる。
 

意外とはまったパク・ジョンミン、イム・ユナ

デビュー約10年、「それだけが、僕の世界」や「ただ悪より救いたまえ」などで難役を務め、演技派として評価が高まるばかりのパク・ジョンミンは、30代半ばにして高校生を演じて全く違和感がない。主演作「EXIT」がヒットして、「少女時代のユナ」から映画俳優へと飛躍を遂げたイム・ユナも、生き生きした魅力で期待に応えた。ラヒが自分を〝ミューズ〟と言っても嫌みなく聞こえるのは、彼女が演じているからこそ。きれいな顔でコテコテの方言を話す面白さもある。
 
2人に加え、ジュンギョンの堅物の父親テユンに扮(ふん)したイ・ソンミンの演技が圧巻だ。ドラマ「ミセン 未生」で一躍知られて以降、数々の作品で活躍する彼は、映画の舞台となった慶尚北道奉化郡出身。故郷の言葉を映画で話す機会がくる日を以前から待ち望んでいたという。ただ、セリフはいたって少ない。
 
それでも、テユンの抱えているものの重さは、その表情やたたずまいだけで感じ取れる。明け方の駅でたばこを手にした彼が、定時の午前5時30分になるのを待ってタイムカードを押す。これだけの場面で、テユンの人となりを見事に表現している。人の心を動かす演技の神髄を見る思いだ。
 
そしてもう1人、オーディションで選ばれ、ジュンギョンの姉ボギョン役を好演したイ・スギョンの存在に注目したい。「沈黙、愛」やドラマ「ロースクール」で頭角を現した新鋭だ。弟をいつもそばで優しく見守る、透明感のあるまなざしが心に深く残る。
 

誰かの夢を応援したくなる

ほかに、ドラマ「賢い医師生活」のチョン・ムンソンが、ジュンギョンの才能を開花させようと奔走する物理教師役で味わいある演技を見せ、特別出演のコ・チャンソクが、娘ラヒとは似ても似つかない父親役で笑いを誘う。こんな豪華なキャストがそろったことが〝奇跡〟なのかもしれない
 
イ・ジャンフン監督はデビュー作である前作「Be With You いま、会いにゆきます」同様、ファンタジーのテイストをうまく織り込みながら、童話のような物語を紡ぎ出した。ジュンギョンの姉ボギョンのエピソードや、寡黙な父とのやりとりなど、家族の物語に涙する人もいるだろう。だが、映画は一貫してすがすがしく幸福感に満ちている。ジュンギョンが旅立つ姿に、毎日を丁寧に生き、時には誰かの夢を応援してみたいという気持ちになってくる。
 
2022年4月29日、東京・シネマート新宿、大阪・シネマート心斎橋で公開。順次全国で。

ライター
小田香

小田香

おだ・かおり 出版社勤務を経てフリーとなり、映画誌で日本映画と舞台の取材・編集を担当。1999年より韓国ドラマを見始め、2001年ごろから韓国俳優や映画・ミュージカル関係者を数多く取材している。現在は「韓流ぴあ」「韓国TVドラマガイド」などの韓流誌を中心に執筆。ほかに「おうちでCinem@rt」映画コラム、中国・台湾の映画・ドラマについても寄稿している。著書にノベライズを手がけた「イニョプの道」がある。