「リコリス・ピザ」

「リコリス・ピザ」© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

2022.7.01

この1本:「リコリス・ピザ」 特別な「あの頃」奔放に

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

カンヌ、ベルリン、ベネチアの3大映画祭で監督賞を受賞し、米アカデミー賞ノミネート歴も数知れず。今や米国を代表する監督となったポール・トーマス・アンダーソン(以下、PTA)が、自らが育った思い入れある土地で、「ブギーナイツ」などの初期作品の舞台にもなったカリフォルニア州サンフェルナンド・バレーに回帰した。時はオイルショック、ウォーターゲート事件に揺れた1973年。しかしPTAが描くのは政治でも経済でもなく、偶然めぐり合った男女の青春物語だ。

子役のゲイリー(クーパー・ホフマン)は、傲慢なくらい自信家の高校生。カメラマン助手のアラナ(アラナ・ハイム)は、将来の展望が開けない25歳。恋愛映画のカップルとしては年の差からしてアンバランスな2人は、行き当たりばったりで新たな事業に手を染め、気まぐれが災いして次々と奇妙なトラブルに巻き込まれていく。

恋の甘酸っぱさはほどほどに、映画はストーリーラインを吹っ飛ばすようにあちこちへ蛇行する。ショーン・ペン、ブラッドリー・クーパーらの大物俳優が、はちゃめちゃな70年代のカオスとエネルギーをみなぎらせた変人キャラクターに扮(ふん)し、未熟な若者たちを振り回す。まるでオフビートな不条理コメディーだ。

これだけならひとりよがりのノスタルジアとそしられかねないが、自ら35㍉のフィルムカメラを携えたPTAは、魅惑的な光がきらめく映像美で魔法をかける。別れと再会を重ねるゲイリーとアラナの並走、疾走、迷走、さらにはトラックの暴走までも活写して映画ならではの甘美な興奮を呼び起こし、ロマンチシズムや夢幻性をたたえた瞬間をスクリーンに表出させる。

喜びも痛みも特別だった青春の〝あの頃〟へ、天才監督が誘(いざな)うタイムスリップ体験。奔放にして濃密な2時間14分である。東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマほか。(諭)

ここに注目

特別でもなんでもない日のちょっとした出来事や、ある瞬間だけを共有した、どこの誰かも知らないけどなぜか忘れられない人を思い出した時のような、不思議な感覚を味わった。

何年か後、この映画のタイトルやストーリーは忘れたとしても、ひたすらバックで坂を下るトラックのスピード、ただの酔っ払いかと思ったら急に場を仕切り始める変なおじさん(トム・ウェイツ)の満足げな顔、そんな断片的な場面を鮮明に思い出す時がある気がする。感動とか興奮とか胸キュンとも少し違う、心地よい時間だった。(久)

ここに注目

大人びた15歳と大人になりきれない25歳のカップルが主人公、というより70年代アメリカ、とりわけLA文化の水先案内人の作り。ウオーターベッドの販売とそのトラブル、市長選挙の事務所の裏側をジェンダーを絡めてみせるなど、アメリカっぽい風景の中をゲイリーとアラナが駆け抜ける。街並みやファッションなどもきっちり再現。当時のハリウッドへのオマージュや宗教観まで取り込んで、100点満点級の懐かしさ。ロマンスはほどほどに、心地よいテンポ感とスピーディーな展開に乗れれば、観客も疾走感を満喫できそう⁉(鈴)

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