「秘密の森の、その向こう」© 2021 Lilies Films  France 3 Cinéma

「秘密の森の、その向こう」© 2021 Lilies Films France 3 Cinéma

2022.9.11

美しい光の中に描く死と向き合う悲しみ 「秘密の森の、その向こう」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

これはいい。美しく、胸にしみる映画です。見ているときから、目に映るひとつひとつの場面が自分の記憶に刻み込まれてゆき、この映画を忘れることはないだろうとはっきりわかる。紛れもない傑作ですが、さて、どうして優れているのかを言葉にするのが難しい。説明なんかいいから映画館に行って見てくださいといいたいんですが、それでは映画批評になりませんね。拙い言語化を試みましょう。
 


 

祖母を亡くした8歳の少女

お別れを告げる少女から映画は始まります。どの部屋にいるのも老人で、そのひとりひとりに少女がさようならという。でもベッドに横たわる人のいない部屋があって、そこでは老いてはいない女性が部屋を片付けています。部屋にある杖(つえ)に目を留めた少女は、これ、もらっていい、と女性に問いかける。いいわよと答えた女性は、窓の外に広がる秋の緑をぼんやりと見つめます。
 
そう、ここは老人のケアホーム。空っぽのベッドにはほかの部屋と同じように人がいたんだけど、お亡くなりになったんですね。少女は8歳のネリー。亡くなったおばあさんの持ち物を片付けるために、お父さん、お母さんと、施設にやってきたんです。大きな荷物をライトバンに積んだお父さんと別れ、お母さんの運転する車に乗ったネリーは、スナックを食べていいかとお母さんに聞き、許しを得ると運転しているお母さんの口にもスナックを入れてあげますが、お母さんの顔は、虚脱したかのように表情がありません。
 

説明せずに悲しみ伝える

映画が始まってからここまでで、6分くらいしか経(た)っていません。たったそれだけの時間で、しかも筋書きを説明するようなセリフはないのに、この映画が8歳の少女ネリーの視点から描かれていること、そしてお母さんのマリオンがその母、ネリーから見れば祖母を失った逃れることのできない悲しみのなかにあることを伝えている。作為の跡を感じさせず、無駄もありません。
 
次の場面は、古家のなか。木立を通した秋の光が窓から差しかかっていますが、ソファなど家具の多くには白いカバーが掛けられ、お父さんとお母さんは、冷蔵庫はどうしようかなんて話している。亡くなったおばあさんの家を片付けているんですね。ネリーは、小屋はどこ、連れてってとお母さんに頼みますが、お片付けがあるからと断られる。お母さんが小さいとき、森の中に木を集めて小屋をつくり、そのことを前にネリーに言ってたわけです。
 

自分とそっくり、母の名前の女の子

ネリーは家から出て、森のなかを歩き回って遊ぶんですが、お母さんがなぜかいなくなります。お父さんと離婚したというふうでもないし、お父さんには衝撃を受けた様子もないんですが、なぜお母さんが家を出たのか、説明はありません。お父さんと2人だけになったネリーは森のなかで小屋、といっても何本かの木を結わえ付けたようなものですが、そのお母さんのつくった小屋を見つけます。そして、自分とそっくりの少女と出会います。
 
映画はネリーと、ネリーにそっくりで、しかもお母さんと同じマリオンという名前の森で出会った少女とのつながりを描いてゆきます。マリオンの家に招かれたネリーは、ちょうどネリーのおばあさんのように足が悪いマリオンのお母さんに会うことになる。ネリーとマリオンはそっくりだし、ほかにも伏線が張られているので、あ、そういうことかなと観客は察し始めるでしょう。ネリーはそのことにいつ気がつくんだろうかというのが次の関心事になりますけれど、映画はわざとらしく隠すこともなく淡々と進んでゆきます。


 

森がつなぐ二つの時間

筋書きをバラしてはいけませんが、分類をすれば、これはタイムトラベル映画の一種ということになるでしょう。ネリーの家とマリオンの家の間に広がる木漏れ日の差す森が二つの空間をつないでいるわけですね。このタイムトラベルは映画のなかでも巨大な分野でして、いかにもSFらしい「プリデスティネーション」とか「テネット」などを始めとして「ある日どこかで」や「ペギー・スーの結婚」のようにタイムトラベルを生かしたロマンチックな作品に至るまで、数多くのお勧め映画が発表されてきました。
 
ただ、タイムトラベルを映画に組み込むと、どうして過去にさかのぼることができるのかという技術的(あるいは疑似技術的)な説明が長々と展開することは避けられません。そこのところがいつも私には興ざめだったんですが、この「秘密の森の、その向こう」の場合は、もっともらしい説明が一切ない。ただ、ごく当たり前のことのように、静かな少女が小さいときのお母さんに思いを寄せてゆくわけなので、これはSFというよりは少女のファンタジーを支える仕掛けとして過去と現在の交錯が描かれていると評した方がいいでしょう。
 

「燃ゆる女の肖像」に続く傑作

では、これは何を描いた映画なんでしょうか。映像だけで成り立っている映画にモチーフを求めるなんて陳腐ですが、それを恐れずに言えば、この映画の土台にあるのは、避けることのできない死と向かい合う、どうしようもない悲しみでしょう。それが、自分の若い時の記憶に重なり合い、子どもだった自分の目から見た世界と交錯する。映画は8歳のネリーの視点から描かれていますが、実はネリーのお母さんのマリオンが映画の主人公なんじゃないかと思います。
 
そして、美しい。屋外から見た家、窓から見える外の森というように視点が何度も切り替えられますが、その野外も屋内も光を繊細に捉えていて、その光によって照らし出されたネリーやマリオンの顔が美しい。映画は光と影の芸術であることを改めて思い知らされます。この映画を監督したセリーヌ・シアマの前作「燃ゆる女の肖像」も、やはり光と顔の美しい映画でした。「燃ゆる女の肖像」があまりにすばらしかったので、その次の映画をつくるのは大変だろうなんて私は思ってたんですが、いえいえ、シアマ監督、映画史に残る作品を続けざまに2本発表しました。いくら褒めても褒めすぎにならない映画です。

9月23日公開。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 千葉大学特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。