「コンパートメントNo.6」 © 2021 - Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY

「コンパートメントNo.6」 © 2021 - Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY

2023.2.10

この1本:「コンパートメントNo.6」 魂の解放、極北の駅へ

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

ロードムービー(旅の映画)には想定外の出会いが付きものだ。しかしすてきな誰かと巡り合うとは限らないし、本作の主人公の道連れとなる相手の印象はサイテー最悪。せっかくの旅が台無しと思いきや、その先には心揺さぶる展開が待っている。「オリ・マキの人生で最も幸せな日」でデビューしたフィンランドの新鋭監督ユホ・クオスマネンが、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した逸品である。

1990年代。ロシアに留学中のフィンランド人ラウラ(セイディ・ハーラ)がモスクワ発の寝台列車に乗る。彼女の目的は、世界最北端の駅ムルマンスクで古代の岩面彫刻を見ること。ところが客室で乗り合わせた若い労働者リョーハ(ユーリー・ボリソフ)は粗野な迷惑男だった……。

モスクワにとどまった同性の大学教授イリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)と交際中のラウラは、酒癖が悪く、暴言やつきまといを繰り返すリョーハにうんざり。満員の車内に逃げ場はない。やむなく行動を共にするうちに2人の関係に変化が生じる。

最悪の出会いから始まる恋愛映画はよくあるが、本作にはロマンチックなムードはどこにもない。クオスマネン監督はとっちらかった客室や窮屈な廊下、車窓を流れゆくロシア的な暗く憂鬱な冬景色をカメラに収めながら、ラウラの内なる不安や孤独をあぶり出す。不器用でナイーブな一面を持つリョーハは、実は彼女と似た者同士。これは、まだ何者でもないラウラの自己発見の物語でもある。

すると終盤、スクリーンに北極圏の驚くべき絶景が出現する。物理的な移動とともに奇妙な恋の顚末(てんまつ)を見つめたこのロードムービーは、何もかもが凍(い)てついた世界の果てのような終着点へ見る者を誘う。そして異国の地で人生の迷子になった女性の魂の解放を、いとおしく映し取ってみせるのだ。1時間47分。東京・新宿シネマカリテ、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。(諭)

異論あり

「旅情」とか「恋人までの距離」とか、もしかしたら自分にも……的な甘苦い旅先の恋を期待してはいけない。

吹雪の中、強い酒で寒さをしのぐようなロシアの景色では、分厚いコートは手放せない。2人の俳優はハリウッド的なスター然としておらず、ちょっとくたびれて人間くさい。男女の距離はもう一つ近づかず、孤独感の方が浮かび上がる。寄り添うのも、互いにひかれてというより誰かにそばにいてほしいという気分のよう。それだけに、2人の心情は生々しい。映画なんだから夢を見させて、という向きには向かないかも。(勝)

技あり

J・P・パッシ撮影監督が撮った「北極圏のロードムービー」だ。大半が列車内の撮影で、スタッフは最小限、三脚なしで手持ち撮影。持ち込みの電力量も少なく、車内の電灯、例えばベッドの枕元の暖色灯を、ラウラの輪郭光や髪の光らせに使った。また引き画(え)では、広角レンズでしか撮れない所が出る。車室の片側に寝転んで新聞を見るリョーハ。対面でラウラは靴を脱ぐのに一苦労。2人を全部見せるためにリアルな遠近感は捨て、収差が強い広角レンズで撮った。監督に「あの映像の中に人生がある」と言わせた。大成功だろう。(渡)